蒟蒻ゼリーの問題

2011年11月23日 (水)

しつこく、蒟蒻ゼリー問題への補足

2010年12月17日08:15
昨日、消費者問題組織系友人たちと話をしている時に思い出したこと。

この祖母の場合、40代だったという。
20年以上前は、ミニカプゼリーは非常にポピュラーなお菓子だった。同様の形状だが、寒天で作られており、50個入りのものなどが、普通に売られていた。特に小さな子供専用のようなもので、クマさんなど動物のイラストが描かれたりしていた。たしか、ブルボンなども作っていた。(現在でも売っている)また、このころも、コレを凍らせるとおいしいという口コミがあり、すずめも冷凍して食べた事がある。当時は、ネットなどの情報網は無く、ゼリーを凍らせて食べると言う発想は無かったが、誰かから母が聞いてきた気がする。
ファミリーレストランなどのお子様ランチのオマケにもついていた記憶もある。


そういう子育てをした者にとって、ミニカップは危険なものには思えないはず。メディアでいくら危険を訴えようと、なめてかかっても不思議ではない。


-----

この間、職場で携帯の電源が切れてしまった。
帰りに100円均一ショップへ寄り、電池式の充電器を買った。
説明書には、
「データが消えても責任は持ちません。あらかじめ、データを別に書き留めておいてください」
と書いてあった。
携帯を充電する時に、いちいちすべてのデータを書き留めるヒトがいるだろうか?
もちろん、メーカーはそんな事はありえないと知っている。ユーザももちろんだ。
「説明書に書いてある」は、単なる方便であることは、誰でも知ることだ。


蒟蒻ゼリーについて書いた日記

http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-c537.html
http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-b5dc.html
http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-75ae.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

遺族をバッシングする人たち/蒟蒻ゼリー

2010年11月29日21:36
こんにゃくゼリー 遺族が控訴
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1422316&media_id=4

訴訟は憲法でも保証された基本的人権に基づく権利。遺族は何ら、責められる事をしているわけではない。
それなのに、何だろう。なぜ、こんなにも画一的に遺族をバッシングする日記ばかりなのだろう。あまりにもみんなが同じすぎて気味が悪い。ネットの住民の特殊性もあるのだろうか。


以下、
彼らが書いている勘違いと、疑問に関して、列挙している。
(再掲)

● 親の過失について

この場合は祖母ですが、祖母の行為が間違っていました。
何人もの方が祖母を訴えるべきと書いてありますが、それも可能でしょう。しかし、祖母との間に謝罪や理解があったとしたら、訴訟に至る前に和解したはずです。そして、それは他人が口出しするべきことではなく、ましてや侮蔑やバッシングの対象にされるべきものでもありません。
更に、言うまでも無く、これは設計の瑕疵や企業の社会的責任とは別です。

よしんば、親がどんな酷い人であれ、(これはたとえ話です)この企業の責任が帳消しになるというのはおかしいでしょう。

今回の判決では、この親の過失の大きさが、設計の瑕疵の大きさ以上であったことによって、棄却されたのだと思います。(まだネット上に、公判記録や判決文は出ていないので、詳細はわかりませんが)これは、尺度、スケール感の問題です。
消費者の権利と、企業の経済活動に関する権利、どちらが重く考えられるようなスケールになっているかということであるとも言えるでしょう。蒟蒻ゼリーを欧米では禁止していますが、もし、このような事件が起こったら、もちろん、消費者の権利/安全が優先されるでしょう。

● 欧米での蒟蒻ゼリー禁止について
これは蒟蒻が日本の伝統的な食品であるというのとは無関係でしょう。なぜなら欧米でも『グミ』のような商品として弾力性の強いものは出回っていますし、日本人にとっても、蒟蒻ゼリーの味は蒟蒻を連想させるものではありませんでしたから。精製された食物繊維によって同様のものを作ることができます。

● 飴と餅について

飴という素材そのものについては、設計の問題ではありません(飴は何百年も前から知られていますが)。
個別に、どの形の飴の「製品」が危険かという問題になります。
確かに飴による事故は多く発生しています。
その事故が、もし、XX飴という製品形状そのものに、起因するものであったら、それは改善させるべきであり、また、それが改められない、被害があった、ということであれば、その製造業者を訴えるべきでしょう。

しかし、飴でも事故があるのだから、蒟蒻ゼリーの設計は許されるという問題ではありません。命を奪うほどの事故があるなら、当然、改められるべきです。

餅も同様です。蒟蒻ゼリーと同様に,一口で口に吸い込まれてしまい、気道を塞ぐ形状の製品で、且つ、事故が起こったとしたら、発売中止にすべきです。しかし、それ以前に、今回のこの事例を教訓として、そのようなものは、作るべきではありません(実際は、危険であると分かっているので作られません。本当は、すすって食べる餅の伝統食はあるのですが、危険なため、伝統食としても廃れてしまいました)


● 企業の責任について

想定できる全てのリスクに対して、なんらかの対策を取る責任があります。実際には、企業内に、自主基準を持ち、且つ、業界団体が様々な安全基準を作っています。これらを遵守することによって、責任が取れているということになるのでしょう。

しかし、この蒟蒻ゼリーに関しては、空洞の状態でした。
そこが問題になり、消費者庁ができたという経緯があります。

また、販売戦略も企業の責任です。
なぜなら、企業は製品が店舗のどこに、どのように並べられて売られるかというところまでプランして、製品を作るからです。蒟蒻ゼリーの場合は、店頭に山積みされる事を想定してデザインされています。(薬局の店内の棚に置かれるのだったら、箱形にし、また、キャンディのようにつり下げて売られるのだったら、穴をつけ、もっと長いデザインにします。当然、これらの方式より山積みの方がたくさん売れますが、山積み販売してもらうために値段を下げたり、CMを流して小売店にアピールします)
また、コマーシャルも同様です。番組の提供をされているものも多いと思いますが、主婦層にアピールできる番組や時間帯を選んでいます。当然、小さな子供もいる人たちが多いでしょう。もちろん、CMのイメージもそうです。
そういう戦略を立てて小売店に降ろせば、自然に店頭の山積みにしてくれます。
誰でも気軽に食べるようなゼリーとして売ったのは、小売店の責任ではなく、メーカーの恣意的な戦略です。
これは、デザイン系の人間なら誰でも知っている、学校でも習う程度の初歩的な知識です。

蒟蒻ゼリーはダイエット食品であるはずという「勘違い」がありますが、
そうであれば、他のダイエット食品と同様の扱いがされるべきです。(たとえば、何千円かの高価なもので、相応のパッケージデザインになっている)

山積み販売で購入する商品に対して、消費者は警戒感を持てなくて、当然です。今後も、「あぶないと言うニュースは知ってはいたが、『大丈夫だと思って』凍らせて食べた」という人が出てくるはずです。

● 事件へのマンナンライフ社の対応について

以下、
http://www19.atwiki.jp/mannanlife/
からの引用です


1歳9か月の幼児が祖母宅で凍らせたこんにゃくゼリーを食べる。ゼリーを喉に詰まらせ病院に搬送される(2008/7/29)

脳死状態になり多臓器不全で亡くなる(2008/9/20)

父親はマンナン社に事故を連絡。
マンナンライフ社は、事故発生の際は同業他社に報告する取り決めだったがそれをせず。

龍之介君の母、由佳さんが「事故を防ぐため、すべてのメーカーにこんにゃくゼリーの製造販売を禁止してほしい」とコメント(2008/9/30)

マンナンライフ社、一時製造中止決定。再開未定(2008/10/8)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081008-00000012-mai-soci

2008年11月26日 付け
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081126_mannanlife/

マンナンライフ、こんにゃく入りゼリー「蒟蒻畑」の販売を再開へ

(この再開に関しては、マンナンライフ社は改善を行ったのでということにしていますが、抜本的解決策になっていないということで、消費者団体等が講義をしています)


企業の社会的責任の1つに、危機管理があると思います。普通は、企業がその活動の範疇で何らかの重篤な事故が起こったなら、原因究明等、即時対応するはずです。しかし、マンナンライフ社は、この赤ちゃんが亡くなった事を連絡しても、無視でした。両親が公的機関に訴えて初めて、対応したようです。

● 親の訴える対象について

残念ながら、裁判という形を取る以上、金額の提示をしなければならない仕組みのようです。
ネットにアップされていないので、訴状は確認していませんが、要求の中には、製品の改善もしくは、販売中止が求められているのだと思います。(提訴の時の弁護士のコメントにはそう、ありました)
しかし、今回の裁判に至る前、事故の直後から、両親はマンナンライフ社、その他に対して、製品の改善、販売中止を、『先ず』求めています。

ネットの親バッシングには、この点に関するものも多くありましたが、事実は上記の通りです。

● 親のバッシングについて

この件に限らず、訴訟の原告に関して、感情的なバッシングが行われていることを頻繁に目にします。
今回も何千件もの日記がミクシー内にアップされていますが、どれも同じ内容、同じ誤解、同じ発想で親達を侮蔑、糾弾しています。聞くに耐えない口汚いものも多くあります。書く人間の品格のなせるものとは言え、その知性の貧困さに暗澹たる思いがあります。
論理的な部分は別として、子供を失った親に対してこのような事ができるものなのか、疑問さえ感じます。もし、遺族が、友人や近所の人であれば、こんな言葉は口にできないのかもしれないと思ったりもしますが。。。
そこが、ネットの怖さでしょうか。バッシングしている人たちは、自分自身の品格を貶めている事に気づいているでしょうか?
親の起こしてしまった行為自体は間違いでしょう。しかし、親自身は、消費者として、国民として憲法にも保証された当然の権利を行使しているにすぎず、何ら、蔑まれるべき事をしているわけではありません。
こんな声がネットで大量に出回ることによって、世論を左右してしまう怖さを感じます。

● 両親の気持ちについて

ネットの日記には、責任を「人のせいにしている」というバッシングが多くあります。
子供を失った事を人のせいにして、慰められる人がいるでしょうか?バッシングしている人たちは、そうすれば、慰められる人間が存在すると思い(もしかして、『あなた』はそういう人間ですか?)、この親がそれに該当しているということなのでしょう。しかし、それはあまりにも想像力が無さ過ぎです。そんな人間はこの世に存在しません。
そして、誰よりもそれを知っているのが、この親達のはずです。

確かに、この親/祖母は大きな間違いをしてしまいました。小さなお菓子を孫に食べさせたという極めて日常的な行為の結果として。
『あなた』が、世の中のすべての情報に精通していて、決して、ミスをしない人であれば、彼女の事を糾弾する資格があります。しかし、もしかして、30年に1度でも、ミスをすることがある方なら、あなたには、ミスをする人を、少なくとも「感情的に」糾弾する資格はありません。


● フールプルーフとユニバーサルデザイン

年間100万人の赤ちゃんが生まれます。そのすべての親達が、『あなた』と、あなたの周りの優秀な人たちと同じように、一度もミスをすることなく、子育てを全うできるというわけではありません。最初から高齢の祖父母に育てられなければならない子もいます。視覚や知的な部分に障害のある親もいるでしょう。忙しさに疲弊してしまっている親もいます。そのすべてが、更に24時間、神経をすり減らして、注意深くするべきでしょうか?
もし、すべての製品が、十分安全に配慮されて設計されていたら、そんな束縛から開放されます。その方が合理的ではありませんか?ことさら便利でなくても良いかもしれません。せめて、日常的に、人が生活の中で気軽に接してしまうものが、命までも奪わないように。
それが、フールプルーフ、ユニバーサルデザインの考え方です。

私はそれを支持しています。

(この日記は

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1623371502&owner_id=12848274

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1624413089&owner_id=12848274∨g_id=1623371502

http://mixi.jp/view_diary.pl?
id=1624480237&owner_id=12848274&org_id=1624441107

の前の3つの日記にいただいたコメントについて、項目別に書いています。


蒟蒻ゼリーの件について、1つ前の日記にこんなご指摘をいただいた。


>この裁判では企業の製造物責任法(PL法)上の責任の有無が争点になっており、判決では商品に欠陥はなかったとして棄却されています。大まかにいうと原告側が主張した設計上の欠陥、警告表示の欠陥、不適切な販売方法のいずれも認められないということのようです。

まさに、ここが、デザイナとしてすずめが最初に反感をもった所以だ。

この日記では、最初の重篤な事故、死亡事故が出て、国民生活センターから指摘された時点で、本来、こう、変えるべきだったと、デザイナとして思う具体例をあげてみたい。(本来は製品設計を抜本的に変えるべきだが、それが難しく、時間がかかるとしても、パッケージデザイン的に、変えるべき事はあった。)

裁判では問題に対して、「事故が発生した時点では、ここまでの大きさにしていたなら、許容範囲」としたわけだが、それは程度問題だ。
裁判官は、本来、どういう工夫ができたかというのが思いつかなかったのではないだろうか。


あの程度の表示を加えただけでは、「改善」とは呼べない。
なぜなら、本来、ここまでできるはずだから。ここまでできることは、どのデザイナでも分かり、あの程度では、それに手加減を加えたにすぎない。企業はそれを重々知っているはずだ。


ちなみに、現在、過去のデザインはこちら。

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20090305

さて、
事故を起こしにくくするために、最小限、どこまでの事をすべきか。具体的に説明したい。

元のパッケージの問題点は、単に,警告表示だけのものではない。もちろん、警告表示は大きくすべきである。しかし、問題はそれだけではない。
パッケージデザイン自身が、危険性を想起させないデザインになっていることである。

蒟蒻ゼリーはダイエット食品であり、小さな子供に与えるべきではない。というバッシングもあった。ならば、おやつのゼリーではなく、ダイエット食品のような、人工的なデザインにすべきだ。また、価格設定も、主婦が日常の買い物として気軽にカゴに入れる価格帯では無くすべきだ。


現在のパッケージは果物の写真を使い、シズル感によって、健康的なおいしさを表現している。暖色/パステル系で親しみやすい。また,有機的なイメージはカラフルで生活感にも溢れている。更に、蒟蒻畑というロゴタイプは、丸みを持たせ、囲みの方形の角も丸めている。柔らかいデザインにすることによって、やさしいイメージを出している。
これが主に置かれる薬局には、言うまでも無く、医薬品やダイエットサプリメントが置かれる。それらのデザインは、もっと、シンプルで硬い。その中では、かなり、柔らかな親しみやすさがアピールできるだろう。
消費者は、この親しみやすく、健康的なパッケージの製品を、さぞ、安心して手に取ることだろう。油断してしまってもしかたがないとも言える。


さて、私だったら、どうするか。

先ず、パッケージイメージを抜本的に変える。(これはデザインクオリティを下げるという意味では無い)
ダイエット食品ということなら、あえて黒でも良いかもしれない。
そして、果物の写真は使わない。代わりに、ピクトグラムにした果物のイラストを用い、
例えば,英語のアルファベットをデザイン的には位置し、硬く、かっこいいスタイリッシュなデザインにする(たとえばお酒のような)。子供が手に取らないような。
同時に、ロゴタイプももっと、角のある、硬いものにする。
警告表示を大きくするのはもちろんであるが、もっと、短い単語を大きく表示し、補足説明を下に書く。警告マークも、もっと太いラインを使い、インパクトを強くする。

更には、このような店頭での山積み用の袋を止め、店内の棚に置いてもらえるよう、箱にする。
ただし、箱は環境保護の視点からのオーバーパッケージになるので、一箱あたりの量を現行の 3倍にし、定価も、800円程にする。(内容量が多くなれば、パッケージの環境負荷は小さくなる)

現在の価格帯は、ちょうど、子供が「おやつ」として食べるものと、同等だ。
たとえば、ポッキーチョコレートやポテトチップス他、主婦が気軽にカゴに入れる価格帯になっている。これでは注意喚起ができない。
黒っぽい、高級感のあるパッケージにし、値段を上げることによって、
主婦が気軽に日常的な意識で買ってしまうことを回避させる。


本当は、ここまでの事は、誰でも思いつく。(おそらく、もっと)
誰でも思いつく事を、彼らはしなかった。手を抜いた。

PL法の責任の有無は、程度問題だ。
消費者保護の意識の高い欧米では、このような判決はありえない。(ありえない以前に、販売禁止がされている。)
日本は、商業活動を、消費者保護より優先したのだろう。
それが、今回の地裁の裁判官の尺度だった。

PL法の責任の重さを測る尺度が、
高裁では違う可能性もあると思う。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

こんにゃくゼリー:あるべき姿

こんにゃくゼリー:あるべき姿

2010年06月30日23:39
そう、
公的な規制はせず、
業界の自主基準にまかせるべき。

これが、一番正しいやり方だと思う。

こんにゃくゼリーに限らず、家電やその他、
たくさんの安全基準がそういう形だ。


こんにゃくゼリー メーカー側に改善要請へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1260505&media_id=88


ただし、
もちろん、ここには落とし穴がある。

業界団体のポリシーがどこまで、会員企業に浸透させていけるか。
売りたいなら、メーカーは団体を脱会すれば良いっていう事になってしまう。
これに対して、
本来、消費者が成熟していれば、
業界団体を脱会っていうような行為をしてまで、
儲け主義に走る企業の理念のお粗末さを見抜けるはずなんだけど、

どうなんだろう。
ミクシーの日記を見てると、
この国の消費者は、(意識の高い人もいるんだろうけど)
レベルが低いのも多そうだ。
欧米と比較するつもりは無いけど、
少なくとも、
おいしいから、売らなくなるのはけしからん
なんていうコトバは恥ずかしくて言えない程度ではあって欲しいけど。


もうひとつ、
小売り業界の理念も問いたい。
本来なら、
きちんとしたお店なら、

売れるなら何でも売る
っていうような、下品な了見は持っていないはず。
今までも、教育委員会やら、業界団体やらが、良く無いと判断したものの扱いを止めたお店は多い。店独自の良心基準を持っている所もいっぱいある。

そういう意志を通して欲しいもの。

メーカーやマーケット/消費者の成熟度が問われることになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

法ではなく業界の自主規制であるべきだけど。。。


2010年03月25日11:24
こんにゃく入りゼリー 安全対策で初会合
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1152724&media_id=88


夏までに「法規制」も視野にって。実は残念な方向性。
こういう基準はできたらお上からの「規制」じゃなく、業界の自主的なものであって欲しいなあ。「法」で規制しなければっていう事は、よっぽど、どうにもならないような、低レベルの企業の体質があったんだろう。確かに最初の遺族への対応も最低だったし。任せておけるようなヤカラじゃ無いんだろうな。


こういう所が企業の「質」を問われる場所だとつくづく思う。
よく、いろんな大企業の社会的責任云々って、いろいろ批判されてるよね。だけど、そのダメさ加減のレベルとしては次元が違う。
でも、こんにゃくゼリーがネタになると、ミクシーの日記が好意的なのにびっくり。若い人が多いからかもだけど。
彼らもトヨタやヒタチがあんな対応したら、怒るだろうにねえ。なにせ、原因はどうあれ、死者が出てもスルーだなんて。。。アリエナイ。

消費者庁さん、小売店への調査だけでなく、テレビコマーシャルの作り方の解析も是非、入れて欲しいね。現在のCMはクラッシュタイプってしてるけど、周りにハートを飛ばして、そのハートが売れ筋である事故品にそっくりだなんて、あまりにミエミエの宣伝を今でもやってるんだからね。
こういう、儲かれば人の命なんてどうでも良いっていうような、フザけた会社は実はそんなに無い。普通の企業はもっと良心的でココまではやんないってコトを私たち慣れてしまっていて、気づかないんだよね。
だからこそ、私たちはいろんな製品を安心して買えるのに。


-------

以下、転載


こんにゃく入りゼリーをのどに詰まらせて死亡する事故がこの15年間で22件起きていることを受けて、消費者庁は会合を開き、今年夏までに具体的な安全対策をまとめることになった。

 こんにゃく入りゼリーについては、現在、業界団体が自主的に「子供や高齢者は食べないように」といった注意表示を行っている。24日に行われたこんにゃく入りゼリーの安全対策プロジェクトの初会合で、消費者庁・泉政務官は「実際に(人が)亡くなっている現実を重く受け止めなければならない」と述べ、業界の自主規制だけではなく、法規制も視野に入れて対策を行う考えを示した。

 消費者庁は小売店での販売実態の調査などを行い、夏までに具体的な対策をまとめる方針。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

公園遊具:親の責任?

遊具事故訴訟バッシング

前の日記のコメントでも引用されていたが、
こうやって消費者が何でも訴えるようになると、訴訟社会になってしまう。
公園で誤った遊び方をしていて、死亡したからといって、市を訴えることなどしたら、公園から遊具が無くなってしまうではないか。そういう声がある。


実は、公園の遊具の安全性問題には、結着がついている(ある程度)が、その経緯を引いて考えてみたい。


今でも、「公園 遊具 事故 訴訟」とぐぐると、多くの事故事例を引いたバッシングがぞろぞろ大量に出て来る。

「バカ親が」「アホが」「子供を殺してお金儲け」「何でも人の責任にする風潮」...

ネットのブログを見ると、1995年頃からこの手の訴訟が相次いだようだ。もちろん、すべてが自治体、遊具メーカーの非を認めたものばかりではない。しかし、認められた物に対しても多くのバッシングがある。これはいかがなものか。多くはその口調などから、学生など若い人のものだと思われるが、今の日本、子供を知らない大人が多すぎる気がする。

子供を持つ大人なら、小さな子を連れて公園へ行った時、その遊具の不備に気がついた経験があったのではないだろうか。もしくは、聞いたことがあるか。(後に説明する通り、最近は無いはずだが)
若者たちのどれほどが、自宅近くの公園の遊具を見た事があるだろう。背の低い子供の立場で見た事はあるだろうか。
多くの場合、危険に気づいた人が市等に電話をして、修理を頼む。しかし、そういう人がいない場合は、(何年か前まで)野放しだったのだ。公園は遊具を作っても、何も管理をしないのが普通。ましてや安全基準どころか、JISさえ無い。何十年も前に耐用年数を過ぎたものも当たり前。

また、もっと基本的な視点も欠けている。
ここで、親が自分の責任を他になすりつけていると糾弾する人々は、逆に言うと、自治体他は責任を親になすり付けるのはオッケーだと許していることに気づいていない。

自治体の責任を追求する VS 子供(親)の責任
という問題は常につきまとうが、管理すべきものを放置しているという責任が、チャラにされて良いはずはない。それを世間はみんないっしょにごちゃ混ぜにして、バッシングしてきた。

しかし、子供を失った勇気ある人々が訴えることによって、改善した。
現在はいろいろな角度から、こういう問題を改善するシステム作りができた。
それでも、防げないかもしれないが、「防げるはずの死」は防げる。

でも、遅い。「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」を国交省が出したのは平成14年。いまだにJISは適応されていない。(これからだが)
ほんの何年か前までは、野放し、無法地帯。
ネットには「親は文句を言い過ぎ」のような揶揄があるが、何人もの子供が亡くなっても、誰も動きはしなかった。訴訟になるようになっても、なかなか動かなかった。(本来なら、自治体の管理区域の遊具の点検は、『緊急』を要することのはず)ちょっとやそっとの訴訟数じゃ、国を動かす力になんてなりゃしないのだ。

バッシング覚悟で、それに耐えながら活動し、たくさんの子供の命の上に作られた、法整備。

すずめはこの分野に関わったことは無いので、ネットから見える部分からだけだが、なるほど、国、メーカー、業界団体、市民が連携しての良い形を作ろうとしている意図が見える。


ネットの事故報道は、この改善をした後のものは見当たらない。
もちろん、ゼロにはならないだろうが、理不尽なものは減っているのだろう。

訴訟社会を懸念する声もあるが、こういう力にもなるのだ。

さて、公園遊具に対して、どう、取り組んでいるか。
国交省や業界団体の宣伝?
を見ると、かなり論理的には良いセン行っているようにみえる。
もちろん、こういうのがどれほど能書きと同じように効力を発揮できるかは簡単には判断できないけど。。。
でも、何にも無かった、つい、5年程前よりかは、全然マシで、っていうか、すばらしい進歩で、
こういう取り組みも何もされていない、他の蒟蒻系団体と比べると雲泥の差っていうのは、ハッキリ言える。

国交省のホームページを見ると...
公園遊具に対する、いろんな問題点、分析などを記した書類がいくつか出て来る。
その中の、「子供」に関する分析がなかなか、良い。


http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha02/04/040311/040311_07.pdf


から、かいつまんで紹介すると。

------

以下引用

1.子どもの遊びにおける危険性と事故
1-1 子どもの遊び
(1)子どもと遊びの重要性
子どもは、遊びを通して自らの限界に挑戦し、身体的、精神的、社会的な
面などが成長するものであり、また、集団の遊びの中での自分の役割を確認
するなどのほか、遊びを通して、自らの創造性や主体性を向上させてゆくも
のと考えられる。
このように、遊びは、すべての子どもの成長にとって必要不可欠なもので
ある。

--ここまで。
はい。要するに、たとえば、すずめが「公園遊具を危なく無いモノにすべき」って言ったら、きっと上のような反論が出てくるだろう。そんなの先刻ご承知。それを先ず、先手打って言ってるワケだ。

そして、こんな文面もある。
---以下、抜粋の上、引用


(2)子どもの遊びの特徴
子どもが遊びを通して冒険や挑戦をすることは自然な行為であり、子ども
は予期しない遊びをすることがある。
また、子どもは、ある程度の危険性を内在している遊びに惹かれ、こうし
た遊びに挑戦することにより自己の心身の能力を高めてゆくものであり、子
どもの発育発達段階によって、遊びに対するニーズや求める冒険、危険に関
する予知能力や事故の回避能力に違いがみられる。


------

子供はアブナイ事をする。そういう特性がある。
それを先ず,肯定している。

こういう事故の親バッシングに必ず出てくる台詞。
「親が教育すべき」
はいかに、浅はかな了見か。

だからこそ、モノを作る人々は、いかに安全に作るかに切磋琢磨してきた。
「気をつけないヤツ、気をつけるよう教育できないヤツは死んだって自分が悪い」
なんていう無知と戦って。
それは結果的に、社会的、肉体的弱者、障害を持っていたり、怪我をしていたり、様々な事情で「強さの平均値」にいない人々にも有効な手段であり、社会を強くしてきた。

引用
-----
・すべり台を腹這いになり頭から滑る
・ラダーの握り棒の上を歩く
・事故防止のために設置した柵で鉄棒遊びをする

-------

こんなコトは日常茶飯。子供が普通にやることだ。
やらない子の方が特殊で、「やるな」と教育されたらやらない子はほんの少数でしかない。

というところで、長くなったので、続きはまた、明日。

------

さて、国交省「子供の遊び」の書類の続き。
ここから先がおもしろい。

以下、引用(抜粋)

------


1-2 リスクとハザード
(1)遊びにおけるリスクとハザード

(解 説)
1) リスクとハザードの意味
①リスクは、遊びの楽しみの要素で冒険や挑戦の対象となり、子どもの
発達にとって必要な危険性は遊びの価値のひとつである。子どもは小
さなリスクへの対応を学ぶことで経験的に危険を予測し、事故を回避
できるようになる。また、子どもが危険を予測し、どのように対処す
れば良いか判断可能な危険性もリスクであり、子どもが危険を分かっ
ていて行うことは、リスクへの挑戦である。
②ハザードは、遊びが持っている冒険や挑戦といった遊びの価値とは関
係のないところで事故を発生させるおそれのある危険性である。また、
子どもが予測できず、どのように対処すれば良いか判断不可能な危険
性もハザードであり、子どもが危険を分からずに行うことは、リスク
への挑戦とはならない。

--------

そして、このリスクとハザードの境界は社会状況や子どもの発育発達段階によっ
て異なり、一様でない。
もちろん、これには、物理的な要因を持つもの(設計や管理状況に起因するもの)と人的な要因を持つもの(利用する側の不適切な状況によるもの)とがある。それそれを他方が他方を完璧にカバーできるものでは無いだろう。たとえば、いくら、完璧な遊び方をしても、設計的に危険な部分があれば怪我をする。また、いくら安全な遊具でも脱げやすい靴で遊べば怪我につながる。


しかし、全米遊び場安全協会(NPSI)は包括的な遊び場の安全プログラムにおい
てハザードを分類している。(国交省も同様の概念で分類している)


クラスAハザード 生命に危険があるか、重度あるいは恒久的な障害を引き起こしうる状態
クラスBハザード 重大な、恒久的でないケガを引き起こしうるすべての状態
クラスCハザード 軽度のケガを引き起こしうる状態

国交省はこの部分、言い切っていないが...要するに、こういうコトが当然、言いたいであろうというのは。。。

平たく言って、擦りむいたり、イタイ思いをしたりするのはオッケーだし、そこからも子供は学べる。まあ、できるだけクラスBは無い方が望ましい。少なくとも物理的要因でのものは、起こしてはいけない。
しかし!決して、命を落としたり、障害を残したりするようなことは、あってはいけない。どんなことがあっても。


この3つをきちんと分けて考えるべきだ。
誰かが死ぬような事故は、完全に、特殊だ。

蒟蒻系問題でも、公園遊具バッシングでも、これをごちゃまぜにしている無知がある。
彼等の多くは、クラスCのものもすべてダメという極論ばかり繰り返している。これは、全く別モノなのだ。

確かに、怪我は防げない。しかし、こうしたハザードの程度をどこまできちんと設計時に把握できるか。。。
作り手の責任だ。そして、それをしっかりとあらゆるアリエナイ可能性を考えて防ぐ工夫をみんながしている。


ところで、いくつか前の日記でフレアし、今まだネットで暴走中の蒟蒻畑擁護/設計者はどこまで理解していたか。
明らかに、これはクラスAハザードを引き起こす商品だ。
それを知っていないはずはない。何人も亡くなっているのだ。
それをどこまで、真摯に受け止めていたか。事故の報告を受けても『無視』などというのは、「真摯」などの範疇には入らない。明らかに。


-----


さて、この公園遊具の安全の取り組み、とても興味深い。
ものすごーっくいろいろ、いろんな角度からの検討が重ねられ、作られているように「見える」

http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha02/04/040311_.html
(国交省の資料たち)


本当の所は分からない。もともと、つい、この間まで、死んだ方が悪いんじゃないの~みたいなのがまかり通っていた世間の「常識」がある中、どこまで行政、業界が真摯に取り組めるか。完璧なお題目だけがお飾りっていうのだってあり得るし、コレに乗じて一儲けしようという誰かの意図が隠されていないとも言えない。

しかし、まあ、素直に読んでみたい。これから何かを変えて行こうとする時に、一つのモデルとして、勉強になる。


http://jpfa2.aaw.ne.jp/jpfa/PHP/showParkDetail.php?di=56

JPFA
社団法人 日本公園施設業協会

ここではSPマークというのを発行している。
玩具におけるSTや家電のSGのようなものらしい。

(ホントは長い実績があって、カバーする範囲の広いSGなんかの認定システムの方がもっと良くできてるはずだけどね...できたら、建築やその他の分野とも比べたらおもしろいんだろーな)


認定条件は

協会の正会員であること
きちんとした製品で仕様が適切であること
協会の認定する資格保持者が配置されていること
S:2008QMS-SP表示認定審査として、ISO9001(:2000)及びJIS規格に準拠する高い品質管理能力と安全管理能力があること。

しっかりしているなと思うのは、以下の二つの資格

1 公園施設製品安全管理士
「協会の正会員に所属して、公園施設の設計・製造・施工あるいは維持管理業務の成果の安全性を判定し、それらの安全性を確保する業務を行う者」

要するに,設計、設置の時、ちゃんとした「目利き」の「人」が判断するということだ。
もちろん、こういう仕組みにはインチキの余地もあるかもしれない。しかし、創造性の余地も残せる。たとえば、滑り台の形は「こう」でなければならないというような物理的な縛りだと、宇宙船のような滑り台なんかできなくなってしまう。
しかし「目利きの人」の判断が「基準」なら、自由度が高い。特に公園遊具はシンプルだ。こういう緩やかな基準が良いのかもしれない。

そして、ここには、もう一つ、ダブルの安全確認がある。設置した後のチェック資格だ。

2 公園施設製品整備技士:「協会の正会員に所属して、公園施設製品安全管理士の指導管理・監督のもとで、公園施設の点検・調整・修繕等、整備全般に関する業務を行う者」

もし、「管理士」が安全であると許可したものでも、経年的に安全が維持できなければ、ここではねることもできる。

そして、保険制度の導入や利用者への様々な啓蒙活動も行っている。

ここは、「社団法人」となっているが...
結局は「企業努力」だ。こんな法人が待ってれば湧いて出て来るワケがない。
誰かが努力して、立ち上げたはず。
会員には、当然だがメーカーの名前が並ぶ。
会長の名前をネットで調べてみた。
なるほどね、ナントカ製造っていう、遊具の会社の社長さんだ。
(政治家さんやお役人じゃなくて)
そう、きっと、業界の関係者が自主的に作り上げていったんだろう。
おそらく、この業界をリードする人物なんだろう。

国交省、地域の人々、業界
この3つが連携して、子供たちを守る仕組み。
やろうと思えば、ここまでできるんだよね、企業さんって。

こんな良いモデルがあるんだし、
今までモメてた蒟蒻業界関係者だったら、知ってるはずでしょ。
すずめがチョイって調べてもこういうのに当たるんだからね。
「努力してる」って言いたけりゃ、ここまでやってからにしろよなっ

----

| | コメント (0) | トラックバック (0)

企業の誠実さ

すずめの思い出話

昔のコトなのでまあ、話してもいいかなと思う。


どんな製品でも事故はある。
それを私たちは、どんなに誠実に受け止めてきたか。

企業はお金儲けのためにある。お金儲けをすることを、許されている。
しかし、それは責任と引き換えに得ているもの。だから、自らの製品に対して責任を持つ。

そんな当たり前の事を疑う人がいる。
彼等は企業が、今まで、どんなに誠実に消費者の事を考えてきたか、知らないのだ。

さて、その歯車のひとつのデザイナとして、見た話。

ある日、営業部の人が持って来た記事。
すずめが担当した商品とおぼしきものが載っている。
社名も製品名もぼかして書いてあって、はっきりはしないが、この記事を書いた読売新聞から取材があったそう。
内容は、本当はそうやってはいけないと明記してあり、どう考えても非常識で普通はやらなさそうなコトをやっている。その結果、皮膚炎。それも小さなものらしい。
しかし、会社は全商品回収に決めた。後で、聞いた話。この読売に訴えた人、その手の事が趣味で今まで何度もこういうことがあったという。しかしそんなことは、商品の問題とは関係ない。営業部長をはじめ、重役が謝りに行ったそうだ。
実はこの商品、大ヒットしたものだった。100万個の中の1件。これからもまだまだ売れる商品だ。しかし、こういった部分で瑕疵があるとすると、製品的には改良のしようがない。(もちろん、パッケージには大きく注意が書いてあるが、やってしまうことは防げないのだ)結果、回収、撤退。その後は他の小さな会社が真似をした商品を売っていた。もし、この会社の規模が小さかったら、ここまでの対応はしなかっただろう。上で「責任」と書いたが、それには目先のものだけでなく、市場の中でのリーディングカンパニーとしての「責任」もあるのだ。

すごい会社だと思った。みんなは淡々としていた。新聞に載ったんだもん、しょうがないよ。
企業は信用が第一だ。こんなことで、その信用を落としてはいけない。そんなの、当たり前のことなのだ。こういうことの積み重ねが、企業や業界の信用を作って行く。



ある日、名古屋だったか,消費者センターから「お手紙」が来た。
オーバーパッケージだという。
消費者センターには地域のいろんなクレーム情報が寄せられる。それをひとつひとつ分析し、どうするか、決められる。

商品が小さいのに、こんな大きな箱に入れるとはけしからんというものだった。みんなが言う。もし、消費者センターが納得しなかったら、大きな部屋の真ん中に座らせられて、周りをコワイおばさんがぐるりと囲んで、「糾弾」されるんだゾ。(たぶん、ウソです)
。。。っというワケで、弁明を書いた。「この商品は小さいけれど、高額。箱を小さくすると、店頭で万引きの標的にされるため、大きくせざるを得なかった....云々」
納得してもらえたのか、名古屋には行かないで済んだ。

各地の消費者センター(この場合は名古屋)は地域の消費者からの膨大な情報から、選択し、検討する。
ちなみにこれは国民生活センター(当時は通産省の内部)の下部組織だ。こういう所で調べられ、問題有りとなったら、いろんな所へ情報が上げられ、様々な商品テストなどを含む調査をされた上、最後には国から問題が公開されてしまう。このレベルから国の公開までにはまだまだ何段階もあり、また、時間も相当かかる。(たまに、あまりに危険に深刻なものがある場合は、それが省略され、早く公開される事もあるが。)
国民生活センターからは突然、情報公開がされるわけではない。内々にこういうやり取りがあり、企業は適宜改善していく。それが充分ではないと言う時に、初めて上へ上げられ、更に検討され、最終的には公開されてしまう。もう、そこまで行ったらアウト。普通はもっと前の状態で解決するのだ。


これは、お客様サービスから入ったもの。
火傷だった。小さなもので、軽かったそうだが。
新聞に出る前に、こうやって伝えてくれたことは大感謝。
社長や重役が謝罪に行った。

すずめたちは、今回の事故を繰り返さないためにどうすればいいか。
頭をしぼった。
この商品には数々の注意事項がある。説明書にはそのあらゆる可能性に対して明記している。しかしそんなものは読まないということで、パッケージにはその中で特に重要なものを3項目に限って、大きく表記していた。もちろん、今回の事故を誘発した「やってはいけないこと」は第一項目に書いてあった。
しかし、それ位では事故は防げなかった。3項目の中で「怪我」に連結するのは、この1項目だ。重要な部分を他のといかに別に強調できるかがポイントなのだ。

この「やってはいけないこと」をするのはどういう時か。その時、商品のセット内容のうち、どれを操作しているか。その部品に警告シールを入れることにした。
それも「1度に1回分!」と大きく書き、下に小さく「一度に入れる分量は一回分にしてください」と。60ポイントの巨大な文字。さすがに、これが見えない人はいないはず。文章にすると、どんなに大きな文字でも読まない人がいる。また認知科学的に、人が一瞥で読めるのは数文字。(そんなことは当時は知らなかったが、デザイナは感覚的にやっていた)だからメインの文字は6文字にし、分からないかもしれないので、下に補足を入れた。


謝罪の後、お客様に今後の改良点を報告に行った。
反応は良かったようだった。自分たちも悪かったことだしと。生産中止までは要求されなかった。
しかし、小さな火傷だとはいえ、こんな事故を起こした商品は長くやってはいけない。間もなく生産を中止した。かなりのヒット商品だったし、デザイン目立ってたんだけど。


これは、大昔の話だ。これよりもっと昔から、ずっとやってきた一般的な対応にすぎない。もちろん,今も。
どれもささやかな事故。
しかし、こういう小さな積み重ねを企業は日々、行っている。
特別なことじゃなく、どこの会社も普通に。
もっと何億もかけた大きな対策もある。

でも、こういうささやかな積み重ねが、
今の日本の産業を作っている。
だから、私たちの商品は、
世界に出して恥ずかしく無いレベルなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

蒟蒻ゼリー 日記まとめて

男児死亡で親がマンナンを提訴
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=766967&media_id=4

ミクシーの日記を見ると、親の責任云々ってのばっかし。
親の責任とは別に、
日本と言う文化国家には、製造物の責任ってある。わざわざ言うまでもなく。


詳しくは前にも書いたけど。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1011443642&owner_id=12848274


問題は、蒟蒻ゼリーはこういう事故を起こすような「設計」になっていたということ。親の子供への責任は当たり前だけど、だからといって、これがチャラになるなんてバカな話、あるわけないでしょ。


蒟蒻ゼリー
今まで何度もいろんな警告や、この危険性に気づく機会があったにもかかわらず、あの程度の変更しかしなかった。

設計のミスというのは

丸ごと凍らせやすい形
凍らせるとおいしい
子供が好む味
子供、老人でも簡単にアクセスできる販売方法


これがアルコールであれば、大人の管理責任をあてにした販売方法を行ってもいいかもしれない。でも、明らかに、子供が好みそうな味にしておいて、しかもコマーシャルまでかけちゃって、企業に責任があるのは当たり前じゃん。
(でも、これを一時、販売停止にしたのは偉いって思うけどね)
ちなみに、すずめも、蒟蒻ゼリーはすっごく大好きで、バーゲンがあったらしこたま買い込むクチなんだけどさ。


こういうのが、許される程、日本は、低レベルな国じゃない。
モノを作る人たちは、もっと誠実。

たとえば、おもちゃとか、
今まで「危険」ということで、即日回収、もちろん販売停止になったものの多くは、対象年齢以外の子が使ったとか、こういう使い方はしないでください、とか、ちゃんと、説明書やらパッケージやらに大きく明記してるものが殆ど。しかも、厳しい安全規格/テストを通して、製品には何の非も無いモノ。
即日回収どころじゃない。
昔、ジョンソンエンドジョンソンは、おもちゃじゃ全米で2位だったんだけど、この業界から撤退しちゃった。


私たちは、こういう事が当たり前の世の中に住んでる。
そして、こういう姿勢、企業の「誠実さ」に他ならない。
訴えられて云々ってのじゃあなく、すべての製品、ちゃんと誠実に設計されている。法律がどうのってのは関係無く。

これが日本の企業の「品格」
それに比べて、それを見抜く力が消費者に無いのかもね。


ところで、すずめ日記、
しばらく書いて無く見えてたかもしれないけど、
実は、この日記の前に、
ネットで暴走する医師たち
の感想文に関して、
アツーイ議論してたんでした。
すんごいコメント量なので、
お暇なヒトは見てね。


----


今朝、一つ前の日記で、同じ件について書いたんだけど、


名古屋でもマンナンライフ提訴
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=767820&media_id=4


いろいろ反論いただいたので、
こちらにまとめて、カウンターアーギュメントします。


一つ前の日記とともにご覧下さい。



蒟蒻ゼリーは飴や餅、針とは違う

日本には飴や餅、針を危険なものとして扱う文化があります。多くの人に周知されています。それが理解されていない海外では、餅は危険なものとして禁じている所もあるそうです。

その上で、もし、特に子供用の飴として作るなら、メーカーは窒息を防ぐ工夫をしなければなりません。誰でも知っている通り、それがペコちゃんキャンディのような配慮になるわけです。

ここ十数年に市場に出た蒟蒻畑の危険性がそれと同等に認知されているとは考えられません。ですから、何百年かかって培ったお餅の危険性と同レベルの認知をさせる努力が企業には課せられるわけですが、明らかに、それは行われていません。それは、35年前の扇風機の事故に対して、企業が何億もの宣伝費をかけて、訴求したことと比較すれば自明です。


危険に対する注意を喚起する設計になっていたかどうか

危険は訴求されていたというみなさん。
では、パッケージにはどのような表記になっていたか、ご存知ですか?
買っていなくても、薬局の店頭には平積みで並んでいます。ご記憶でしょうか?私は覚えていません。


最初はこのようなデザインでした。

http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/006/669/45/N000/000/000/hatake1.JPG

しかし、死亡事故が発生して、このように直されました。

http://www.orenjin.com/blogimg/0810/konnnyakubatake.jpg

そして、今回の死亡事故が起こり、一時生産中止になりました。
その後、発売再開においてはこのように直されています。

http://blog-imgs-31.fc2.com/e/0/1/e0166/200812022129.jpg

この二つ目の配慮は、死亡事故を起こした商品に対する表記にしては小さすぎると感じます。そして当時、消費者団体などから、そのような指摘を受けていた上で起きた事故でした。

このようなデザインに関わる者として、
デザイナがいかに「重要だ!」と考えて表記しても、
100%の消費者がそれを認知してくれると考えるのは傲慢です。
殆どの人が、分かってくれない。説明書は読まない。
その前提で、モノは作られています。

3
製品設計に改善方法は無かったか


消費者団体は「やわらかくする」などの提案をしました。
しかし、製品の魅力が落ちるということで、ここまでの堅さと決定しました。
なので、今現在も、メーカーによっては堅さの差があります。

これは私の推測ですが、
蒟蒻畑と同様の製品に寒天やゼラチンを使った一口ゼリーがあります。
こちらは柔らかく、凍らせてもツルン一気に口に入り辛くなっています。
値段は蒟蒻ゼリーの3分の一でしょうか。蒟蒻畑をこの寒天ゼリーレベルの柔らかさにすると、当然、こういうお菓子と競合します。
蒟蒻ゼリーはお菓子であるにも関わらず、薬局での販売ルートを構築できた成功例でもあります。単なるお菓子にしてしまったら、このルートは他の競合品に食われてしまうわけです。ですから、製品設計的に「堅さ」は重要であるのは理解できます。
そして、この販売力の維持と、人の命を天秤にかけ、現在の「堅さレベル」という決定をしたわけです。



凍らせる事に関して


これは、最初からメーカーが考えていたことではなく、消費者の方が思いついたようです。しかし、市場調査から、これが凍らせて食べられているというのは、メーカーは掴んでいました。
また、もちろん、その消費者の年齢構成がどうなっていたか、それも知っていたはずです。マーケティングの初歩の初歩ですから。



販売形態に関して

パッケージデザインに携わった経験から

これをどういうお店においてもらうか。
お店のどの棚に
どのような広げ方で置いてもらうか

これはデザインの大前提です。ですから、マンナンライフ社はこれが、普通のスーパーのレジの隣であるとか、お菓子売り場に置かれる事を想定してデザインしていました。本当に、大人だけに売るつもりなら、化粧品やタバコのようなデザインにしていたはずです。

デザインは生産計画の大きな要素です。もちろん、小さな子供のいる家族が買うことも勘定に入れたものです。でないと、今の生産量を販売することはできません。



裁判の意味

裁判でお金がもらえても、子供の命は戻ってきません。
それは誰でも理解出来るはずだと思います。
それなのに、この親たちがそれで儲けを狙っているという日記には、吐き気を覚えます。

これは私の推測ですが。

7月に死亡事故が起こり、その後生産中止、しかし、ほどなく販売が再開されました。その改善点の程度には議論があるかもしれませんが、不満を感じるものだったのでしょう。

おそらく、今までの事故でも、多くが何らかの金銭的購いを受けていると思います。ですから裁判にしてもしなくても、金銭的には同じかもしれません。裁判にしたということで、こんなに叩かれたり、いろんなお金もかかったりしますから。

しかし、司法にもっていくことによって、販売再開に関して、改善を求める力になるでしょう。
他の会社の製品での死亡事故でも和解例があるようです。その時の条件に、
もし、再び、同様の製品で事故が起きたら、販売をやめる。というものでした。(提訴報道に、そういう部分を盛り込まない報道に疑問を感じます。)


その意味で、私はこの親たちの勇気ある行動を評価します。

-------


この件、とても誤解があるようなので、説明を追加します


これは,企業の責任を問うた民事裁判ですよね

親の責任は、別です。
親に対する落ち度は、刑事裁判などで、検察が問えば良いことです。
親が本当に子供を殺してしまう程の怠慢なら罪になるでしょう。

(それが、この製品の恐ろしさでもあるのかもしれません)
前の日記で申し上げたように、
親に落ち度があるからといって、この企業の社会的責任は帳消しになるわけがありませんが。


誤解を招くといけませんので、不要だと承知の上で申し上げますが、
私はこの親御さんたちがそういう罪で問われるとは思っていません。

------


この日記はここ何日か書いておりました
蒟蒻ゼリーの問題の続きです。
詳細は、二つ前の日記、およびそのコメントに記載されています。

ただ、私は、こういう食品の設計をする専門家ではありませんので、机上の空論である可能性は大きくあります。このようなものの生産は、工場のライン、その他、プラントとして構築ができるかどうか、様々な要素が複雑にからんでいますので、外部の人間が思いつく事がおいそれとできるものではありません。それをご理解いただいたた上で、お読み下さい。

危険を回避するためには、どういう部分に着眼するべきか、そういう視点で書いています。


蒟蒻入りゼリーの場合、ユーザーの過ちとして、「凍らせる」というのがありました。
しかし、現在の状態ですと、凍らせることができてしまいます。また、問題は、凍らせるではなく、凍らせても一度に口に入らなければ良いということだと考えます。


そこで、

凍らせる問題を解決するために

現在のパッケージの材質をもっと弱く、もろくします。特に低温では弱くなる素材を選び、部分的に弱い部分を作ります。そうすることによって、冷凍し,中身が膨張すると、本体が弾けて割れてしまうようになります。
こうすることによって、消費者が物理的に凍らせられない製品になります。


(もちろん、これはパッケージにその理由とともに明記します)

凍らせられるけど、凍らせないでくださいというのと、
凍らせると破裂するので、凍らせられませんというのとでは大きく違います。


その上で、技術的にもしできることなら、現在のパッケージの中にいれるものは、クラッシュタイプのようなものにします。今のプラントはおそらく、固まる前の液状のものをパッケージに充填し、後に固めている方法だと想像します。そこで、クラッシュタイプと同じ破片状のものを、アガーや寒天など、もっと柔らかい素材に混ぜ、ベースは柔らかいゼリーで砕かれた破片状の固いゼリーが入っている状態での充填ができるのではと思います。この混入割合をできるだけ蒟蒻ゼリーの多い状態にできれば、今のと食感が近くなるでしょう。
意外に口の中に入る2種類の食感は良いかもしれません。

こういう状態のものですと、ますます、「凍らせると破裂するパッケージ」は効果があるでしょう。破れたら、ベトベトになってしまうわけですから。

さて、それでも、防げないと思うのは、これをどうしても凍らせたいと思う人々です。
また、凍ったゼリーという市場もあると考えます。
これに、スティックタイプを使えないかと思います。下、補足1に書いたように、凍らせて食べるには安全なものだと感じます(もちろん商品テストが必要です)。ですから、わざわざ、「凍った製品」を用意するわけです。
しかし、スティック形状は逆に、凍らせないで食べると危険です。(補足1/下記)そこで、こちらは、逆に溶かして食べるとベトベトになってしまうような工夫をします。具体的には、パッケージに穴を空ければよいわけです。冷凍食品/アイスクリームの流通でしたら、温度管理はされているので、密閉の必要はありません。

そして、もちろん、この意図、その他注意書きはきちんと表示します。

その上で、プロモーションに関しても、大々的に変えます。

今、「ゼリー」という名称が通ってしまっていますが、この「ゼリー」という概念を払拭するための新しい名称を考えます。そしてそれを商品名ではなく、業界全体で、一般名称としてつかいます。
たとえば「デザート蒟蒻」のような名称でしょうか。
(単なる私の思いつきで熟慮が必要です。補足2/下記)

マンナンライフ社(その他のメーカーも)は
「蒟蒻畑」という商標をやめます。「デザート蒟蒻 クラッシュ(例)」のような訴求にします。また、今までのイメージを変えるために、女性が果物を抱えたハワイアンのイメージを全く違う画像に変え、注意喚起をCMにも盛り込みます。


そして、業界団体の拘束力をもっと強くし、上記のような配慮、戦略を守ったメーカーのものにだけ、業界団体推奨のマークを記載します。おそらく、大手スーパー、薬局など、普通の小売店でしたら、自然に推奨マークが入っていないものは、置かなくなるでしょう。


これは、食品に関しては素人の知識で書いています。
しかし、マーケティング的な訴求方法に関しては、そこそこ、的を得ていると思います。

いずれにしても、
この商品、「改善」は不可能ではないと思います。
そして、具体的に、どう、どこまでするべきだったか、
この道のプロなら、分かっていたはずです。
私が、簡単に日記に書けてしまえる程度のことなのですから。


補足1 
スティックタイプの形状にともなう危険

スティックタイプとは、8ミリx2ミリ程度の筒状のビニールに充填されたものです。
これは口にくわえて、歯でしごいて凍った中身を出して食べます。この構造上、一度に口に入るのは、1cc程度の少量になります。凍った状態ではビニールと中身の間に摩擦があり、一度に口に入ってしまうのを防いでくれます。
しかし、これを常温で、凍っていない状態で食べると、口で吸って食べることになります。強く吸いすぎると、中身が一度に喉の奥まで行ってしまいます。また、スティックという形状の性質上、口にパッケージが喉の奥まで入るように加えると、この状況は喉の奥でおこり、窒息を誘因する危険があります。


補足2

例であげた「デザート蒟蒻」の名称
デザートも蒟蒻 も一般名称であり(調べていませんが)商標としての登録制が無いかも知れません。もし良い名前があれば、業界団体で商標を獲得し、それを会員企業に使用許諾することによって、団体の拘束力を強めることができるでしょう。しかし、商標獲得が難しい時代、もし、それができなかったとしても、一般名称に「認証マーク」を連動させれば、効力があるかもしれません。また、これはロイヤリティの形にし、会員が生産量に応じて許諾料金を支払うことにすれば、相互扶助の仕組みが作れるでしょう。

------

ほとぼり冷めたので。
っていうワケじゃなく、古新聞を整理してて、
蒟蒻系の記事が目に止まったので。

2月ごろの某新聞のコラム。
賛否両論として、
両者の言い分が書かれていた。

その蒟蒻賛成派

「飴や餅は良いのに、なぜ?」

という意見もある。。。。。「ある」ということまでしか書いていなくて、この意見が良いのか悪いのかは言及されていないが。。。こういうのが、マトモな論拠だとしている所がヘンじゃん。

ネットに蔓延する、蒟蒻系の間違いについて
もう一度まとめておきたい。
って言う事で、間違いの基本。

「飴と餅はいいのかっ」

っていうヤツ。

なぜ、蒟蒻入りゼリーとお餅は別なのか。
(何度も書いたんだけど、ここにだけ絞ってもう一度)
しつこくてすみません。

こういうのの大間違いは、ミソもナントカもカントカも(っと何種類か似たモノを頭の中で列挙したけど、自粛)
全部、一緒にしてしまうことにある。
先ず、飴と餅と蒟蒻は3つとも別。

なので、いっしょにしないで、別に比べなくてはいけない。


ということで、先ずは餅から。

ズバリ言うと、


餅は、その食べ方まで製品の設計が示唆していない

対して、

蒟蒻入りゼリーはその食べ方、口に入れる方法まで設計されていて、その設計に瑕疵がある


これが根本的な違い。


もし、餅が、
小さな一口大のパッケージに入っていて、
ツルンと一口で食べられてしまって、
尚かつ、年間15億個売っていたら、

これは「危険!」
どんなに「餅は危険」ということが周知されていようと、15億個のうちには、絶対に、事故があるはず。
だから許されない。

しかし、今の普通のお餅の売られ方は、
切り餅であれ、丸餅であれ、どう食べるかは、調理次第。磯辺焼きにする人もいれば、乾燥させてアラレにする人もいる。いずれにしても、メーカーの餅の設計は、そういう食べ方まで示唆していない。
しかも、その調理、食習慣に起因する危険は、長い歴史の中、周知されているとも言える。

一方で、蒟蒻入りゼリーは

ハート形のまるい部分をつまむと一度に口に入れられる構造になっている。

ハートが安全だという根拠は、窒息事故の原因が、口に入れる時、吸い込むようにしてしまい、そこから一気に喉の奥まで行ってしまうからというのが原因だと考えられていた。
だから、吸い込まないですむように、手で押せば口に入るような構造にしたワケ。

だが、この方式は完璧だろうか。
むしろ、前よりも危ない要素さえある。吸い込まないといけない場合は、少しずつ前歯で噛み切って口に入れる行為を誘因する部分もある。それによって、大きな塊を一度に口に入れてしまう事を防いでくれる。

しかし、ハート形パッケージは二つのまるい部分をつまむと、全部がパッケージから出てしまう。なので、一度に口に入れてしまうことは防げない。
もちろん、まるい従来の形とハート型と、どちらが良いか、きちんとデータにとって分析しないと答えは分からないかもしれないが、少なくとも完璧ではないのは確か。

「こんなに工夫している」という人たちは、こういう部分、分析できていない。


蒟蒻ゼリーは
明らかに、一気に一口で食べる構造になっており、
一気に一口で食べられる「設計」が問題なのだ。

それに加えて年間15億個という数。


もし、蒟蒻ゼリーが
粉で売っていたりするなら、材料だ。PL法の対象じゃない。

蒟蒻ゼリーが食べたくてしょうがないヒトには、
この蒟蒻粉で作る事をお勧めしたい。
ちょっとした製菓材料店になら売っている。ゼラチンよりは割高だけど、こういうのだったら、どうにでも作れる。
それだったら、餅と同じ扱いと考えて良いだろう。

さて、次は飴
----

さて、次は飴の問題。

最初に蒟蒻畑と飴との違いをズバリ書く。

販売量の違いだ。

販売戦略の違いとも言える。


飴は「材料」ではない。
まるい飴は誰でもそのまま口に入れる。
言うまでもなく、その設計は食べ方まで示唆した物だと言える。
しかも、子供が好んで食べる。小さな子に「食べるな」とは言えるかもしれないが、食べる事を防げない。
こういう設計の意味では、蒟蒻畑も同じだ。

たとえば、医療用のトローチなどは、真ん中に穴の開いたリング状でなければ許可されなかった(規制緩和で変わったかもしれないが)こういう工夫の余地が物理的に可能な中、普通の丸い飴は危険な設計だと言えるだろう。
ただ、ほとんどの飴の形は、まんまるのボール状ではなく、扁平で楕円などをしており、気管にそのまますっぽりハマることを防いでいる。
(たまに「昔ながらの」というような製品ではまんまるの物もあったりするが、非常に稀だ。)

また、小さい幼児専用として、ペコちゃんキャンディやアンパンマンキャンディ、チュッパチャプスのように棒がついているのもある。これらは明らかに、幼児専用キャラクターを付け、子供に訴求している。
小さい子には小さい子専用の商品を作り、それが市場の中でバランスを取っている。


そんな中で、今もって危険だと思うのは、千歳飴だ。
これは「細く長い」事に意味があり、この形を変えることはできない。

これは普通なら、小さく割って、子供の口に入れてあげるのが当たり前だ。そんなのは常識だと言われるかもしれない。しかし、長い形をしている以上、そのまま舐めてしまう事は防げない。これを先端から舐め続けると、先はかなり鋭く尖ってくる。これで事故があったとしたら、「割ってやらない親」の責任もあるだろうが、「設計」に起因する所が大きい。

しかしこれを許しているのは、「販売方法」だ。
千歳飴は、季節限定として、10月から11月の短い期間に、特定の売り場で、特定の形で売られる。
しかも、買うのは、日常品としてでなく、高価な祝いの品としてだ。
もしこれが、テレビ宣伝をかけて、ジャンジャン、スーパーでも薬局でも売っているものだとすると話は別
だが、この程度なら許容範囲と言えるだろう。
(本当はもっと割れやすいように空気を多く含ませたり、キャラメルのような柔らかい素材で作ることも有りだと思うのだが)


再度まとめると、
飴にも子供に危険な設計の瑕疵はある。
しかしバランスを取った市場作りをしていることにより、これを許容範囲としている。


コマーシャルをガンガンかけて15億個も同じ危険を持つ商品を売っていない。
これはあまりに大きい。


ミソもナントカもカントカもいっしょにしてはイケナイ。


----

これは2009年3月の日記です

| | コメント (0) | トラックバック (0)

蒟蒻ゼリー販売停止は正しい

蒟蒻ゼリー、販売の見送りは正しい。
というより、この姿勢が、私たちの住む日本のスタンダードだ。


ミクシーの日記、これを書き始めている時点で、1000件をこえている。
すごい関心だが、どれも、「飴や餅も禁止しないのにおかしい」だ。
君たち、おかしいよ。

■こんにゃくゼリー、消費者団体が「販売見送り」求める声明
(読売新聞 - 12月01日 19:18)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=683110&media_id=20

-----


っというワケで、すずめの大好物、蒟蒻ゼリーが入手できないのは、あまりに残念だけど、
ユーザビリティの観点から、ここは我慢。

世の中には、危険なものはたくさんある。しかし、製造者はその危険に責任を持たなければならない。
責任を持つと言っても、健康な子供の命だ。持てる物じゃない。だったら、それを回避する形にしなければならない。それができないなら、売ってはいけない。
そういう経緯で売られなくなったものは数多ある。世に出る前に危険ということで、ボツったものも星の数ほどあるだろう。
そんなもの関心のある人は少ないだろうが、蒟蒻ゼリーは別。だっておいしいもん。って、おかしいよ。
今まで、柔らかくするだの、形状を多少変えるだの、いろいろ試みられていたが、やはり,ダメなのだろう。売れる「設計の質」には達していないのだ。

蒟蒻ゼリーちょい、パタパタしてみた。

市場規模は100億円
95年以来、過去13年間で17名が死亡

もちろん、食物による窒息はこんな数字じゃない。2005年のデータでは4485人。
しかし、こんなものと比べて良いハナシなのだろうか。


ところで、ちょっと前から、食に関するニュースが飛び交っている。
雪印、不二家、吉兆、汚染米...
どれもフザけた話で、許し難い。だから、雪印も、吉兆も潰れて当然なんだろう。(実はすずめはそうは思わないのだが)
しかし、よく考えると、どれも、死者なんて出ていないし、余程の稀な偶然が重ならない限り、死者を出す程のことにはならない。汚染米も、毒性は低いし、雪印のも、お腹を壊すという程度だろう。致死的な要素は無い。

これだけじゃない。もし、製品の中に、ほんの小さな金属片でも入ろうものなら、同じラインで作ったすべての製品は即日回収だ。何万袋というポテトチップスが、小さな金属片が入っているという「可能性」だけで、廃棄される。
これが、当たり前の日本の市場のレベルなのだ。

その日本で、こんにゃくゼリーは、死者を出した。
そして、原因は、消費者が「凍らせて食べるな」と書いてあるにもかかわらず、凍らせて食べたこと。もしくは、高齢者や子供は気をつけろと書いてあって、気をつけなかったことにある。
しかし、メーカーはそれに責任は無いのか。

ある。

なぜなら、

子供が喜ぶ味になっている。
子供や高齢者が食べるお菓子と同じ流通で売られている
凍らせるとおいしくなる
凍らせやすい形になっている。

そして、
窒息しやすい量/形状になっている

これは、設計/デザインの問題だ。
もし、蒟蒻ゼリーにお酒が入っていたら、子供は食べられないし、親も管理するだろう。
ワインのような味だったら、子供はおいしいと思わない。こっそり食べたりもしない。
売られる流通も違う。酒類を乳幼児のいる家庭で管理するのは当然だし、誤飲を避けるようにするのは親の注意義務と言ってもいいかもしれない。(もちろん、メーカーも子供の気を引いてしまわないデザインにしなければならないが)

もしくは、凍らせると、破裂する、不味くなる。そんな設計にするとか。
(そんな事をすれば、商品力は無くなる。)
そして、結果的に、少々の怪我をしても、最低限、「死ぬ可能性の無い」設計にする。それだけは守らなければならない。


これは、長い間かかって、日本の消費者が戦って、勝ち取った権利だ。
それが、日本のスタンダード。
そんな大切なものを、「おいしいから」
飴や餅はオッケーでヘン、などという、短慮で蔑ろにしていいのか。


年間100億円の市場を封じる命令をする業界団体
それに従う企業。
この時勢で、ぎりぎりの苦しい選択だと思う。
しかし、それを貫く姿勢は、評価したい。
日本の企業はすばらしい。

長くなったので、
飴や餅の話は明日。

----

これは、一つ前の蒟蒻ゼリーについての続きです。


この問題の本筋は一つ前に書いたことで、他の多くの人が引用している餅や飴っていうのは、ハナシが違うので、いっしょにしたくないので、別に書く。

餅は日本の伝統食であり、喉に詰まらせると危険ということは何百年も前から認知されている。
それでも事故は後を絶たないが、これを禁止することはできない。

餅は、材料であり、その調理方法は調理する人の責任だ。
そこは「製品」と大きく異なる。(PL法でもそうだ)
製品の場合、作った人間の設計通りに、使われる。パックの牛乳はコップに注がれて飲まれるし、ペットボトルは口にくわえて飲む。あたりまえだが、そう,考えてデザインしてある。
だから、その設計が危険な物であってはいけない。こぼすことがある位なら良いが、死ぬような事があってはいけない。


餅がいくら伝統食とはいえ、本当に危険なら、自然に誰も食べなくなるという形で無くなる事もあるだろう。
たとえば、餅の食べ方には、「すする」という伝統的な形もあるそうだ。柔らかい餅をすするように飲んでいくらしい。
相当危険だ。だから、ほとんど知られていない。おそらく売ってもいないだろうし、食べさせる店舗も無いのだろう。
伝統食の餅とはいえ、こういった、あまりに危険というのがあらかじめ分かっているものには、相応の対策をした上でないと、商品にしてはならない。(すずめがエラそうに言うまでもなく、当たり前に世間の常識だ)
そして、もし、餅を、もっと柔らかくして、ツルンと一口で入ってしまうような形状にして、商品にしたら。。。やはり、同じ危険があるだろう。餅メーカーの中ではそういう商品アイデアもあったこともあるかもしれない。しかし、もちろん、危険ということで却下されているんではないだろうか。(これはすすめの妄想)

飴にしてもそうだ。
喉に詰まらせる危険というのは、親なら誰でも認知している。だから、小さな子供に与えても安全なように設計されているのもある。小さな子にはペコちゃんキャンディやアンパンマンのパラチノースキャンディって、親たちはちゃんと知っている。

飴は「製品」だから、そういう設計上の配慮があってしかるべきなのだ。
飴ばかりじゃない。私たちの周りの製品には、いろんな配慮がされている。


たとえば、おもちゃには、安全基準がありSTマークが付いている。だから、対象年齢の子供に与え、説明書に書いてある通りの使い方をしていれば、確実に安全だ。しかし、それでも時として事故が起こる。多くは説明書に禁止している使い方を、与えてはいけない対象年齢以下の子供に与えて起こる事故だ。しかし、それにでも,メーカーは責任を取る。(実際、アメリカで2位のシェアを持ったジョンソンエンドジョンソンはそれで玩具部門を潰した)これは今に始まったことではなく、大昔からそうだ。
5歳の子には言って聞かせられても、その子のそばにいる、2歳の弟は、お兄ちゃんと同じ事をしようとする。でも、理屈で教えても分からない。だから、法的には安全基準を守っていても、企業の良心として、対象外の小さな子供にまで配慮している。

シャボン玉液は、体重の軽い子供が一気飲みしても死なない量の小さなボトルでしか売ってはいけない。
子供用の首飾りはすぐに切れてしまうよう、弱くする
子供が絡む商品を包むビニール袋は、かぶれない程小さな大きさでも、穴をあける。。

こういう基準の多くは、公的な「規制」ではない。企業や企業が自ら作る業界団体の自主的なルールだ。

今回の問題でも蒟蒻畑は販売中止になったが、他では売っているというのがあった。「規制」ではないので、別に守らなくても良い。
上記のニュースでも、消費者団体が「お願い」をしてるだけで、規制や強制をしてるわけではないので、売りたければ売れる。
でも、あえて、また販売中止したら、本当に、偉いと思う。


どんなに間違って使用しても、死ぬほどの事故は出してはいけない。
35年前の扇風機であろうと、保証しなければならない。
何億円かけても!
これが、日本のスタンダードだ。
作り手の良心以外の何ものでもない。

この問題、消費者が間違った使い方した時は自己責任で、
という問題じゃない。なぜなら、これは、子供が食べるからだ。
子供の命は子供のものであって、親の自己責任で片付けて良いものではない。
子供に、命をもって、自己責任を問うてはいけない。
製品には命を奪ってしまうような設計の瑕疵がある。
そして、消費者が製品を理解して事故を「減らす」という問題でもない。
一人たりとも,たかが、ゼリーで、命を落としたり、一生植物人間にさせてはいけないのだ。

この、苦しい時勢に、販売中止をした企業は、本当に偉かったと思う。
それが、日本のクオリティなのだ。
消費者として、ちゃんと、受け止めてあげたいと思う。


---


この日記は3つ程前から続いています。
いろいろコメントを下さったかた、ありがとうございました。

----


蒟蒻ゼリーの話、

消費者としての視点としては二つあると思う。

一つ目は、企業の姿勢をどう、評価するか。


確かに、ミクシーの日記でも、あんなにたくさんの人が販売再開に「是」と書いていた。
だから、そういう消費者の声に答えるべく、売る会社もあるだろう。

しかし、これを危険だとして売らない会社もある。


皆が欲しがっているものを売るのは当たり前
とするか、
社命を賭けて売らない決断をするか、

この二つの差。これを消費者として、どう,考えるか。
すずめ的には、後者を支持/賞賛したい。

もう一つ、一つ前にも書いたけれど、
これは、「規制」じゃない。
消費者団体という、何の権限も無い,NPOだか何だかの、「お願い」なのだ。
聞いても聞かなくてもいい。
何だか政治家さんが絡んだ報道がされていたので、いろんな解釈がされてしまっているようだが、
「販売再開」ということがあれば、この団体に限らず、それに疑問を呈する所があって当たりまえだろう。
たまたまこの団体が報道されているだけで、誰しも疑問を感じるはず。抜本的な改善策が示されないで再開というのに、どこも何も言わない方がおかしい。

こういういろんな安全基準は、国の法律などで規制されているのではなく、多くが、業界内部の、もしくは、企業内部の自主的な基準だ。(そういえば、今朝のニュースで韓国で日本でヒットした歌がエッチだからと禁止されたってやってた。でも、これは国の規制なんだね。日本じゃこういうのは、映倫とかも業界の自主規制だけど)


そして、これももう一度繰り返してしまうが、
「食べ物で喉につまる」は消費者の責任というのは、当たり前だ。
だが、この製品の場合、こういう事故が起こってもおかしくない製品設計がされていて、且つ、実際に17人も亡くなっている。
事故が起こる可能性のある設計がされているものは、売ってはいけない。

もちろん、これは程度問題で、将来、もっと危険が認知されれば、売られても良いのかもしれない。
特に、これは個人的な想像だが、商品力を落とさずに、設計変更をするのは難しいのではないだろうか。
だから、どうしても、売りたいなら、今の状態から、どこまで、安全に対して、すり寄って行くことができるか。
3歩歩んでも許されない?でも、5歩なら許される?その程度の問題になるのかもしれない。
しかし、そのためには、周知の為のキャンペーンプランや、販売方法の変更など、納得のいく形を明確にしてもらわないと分からない。
今の時点で、それは見えない。


しかし、こんなこと、産業界では普通に行われていることだ。
モノを作る人たちはそれほど厳しい基準を持っている。
だから私たちは、安心してモノが買える。
それは、同じ消費者である先人たちが、戦って勝ち取ってきた権利だ。
蔑ろにしてはいけないと思う。

消費者としては、そういう企業の誠実さをきちんと感じて、覚えていてあげたいと思う。

2008年12月2日の日記の転載

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月17日 (金)

蒟蒻ゼリーの問題への補足

昨日、友人たちと話をしている時に思い出したこと。

この祖母の場合、40代だったという。
20年以上前は、ミニカプゼリーは非常にポピュラーなお菓子だった。同様の形状だが、寒天で作られており、50個入りのものなどが、普通に売られていた。特に小さな子供専用のようなもので、クマさんなど動物のイラストが描かれたりしていた。たしか、ブルボンなども作っていた。(現在でも売っている)また、このころも、コレを凍らせるとおいしいという口コミがあり、すずめも冷凍して食べた事がある。当時は、ネットなどの情報網は無く、ゼリーを凍らせて食べると言う発想は無かったが、誰かから母(当時60代)が聞いてきた気がする。
ファミリーレストランなどのお子様ランチのオマケにもついていた記憶もある。


そういう子育てをした者にとって、ミニカップは危険なものには思えないはず。メディアでいくら危険を訴えようと、なめてかかっても不思議ではない。


-----

この間、職場で携帯の電源が切れてしまった。
帰りに100円均一ショップへ寄り、電池式の充電器を買った。
説明書には、
「データが消えても責任は持ちません。あらかじめ、データを別に書き留めておいてください」
と書いてあった。
携帯を充電する時に、いちいちすべてのデータを書き留めるヒトがいるだろうか?
もちろん、メーカーはそんな事はありえないと知っている。ユーザももちろんだ。
「説明書に書いてある」は、単なる方便であることは、誰でも知ることだ。


蒟蒻ゼリーについて書いた日記

http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-c537.html
http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-b5dc.html
http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-75ae.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月30日 (火)

ここまですべきだった/蒟蒻ゼリー

蒟蒻ゼリーの件について、1つ前の日記にこんなご指摘をいただいた。


>企業の製造物責任法(PL法)上の責任の有無が争点であり、判決ではこの時点で、商品に配慮はされていたとして棄却されています。設計上の欠陥、警告表示の欠陥、不適切な販売方法のいずれも認められないということのようです。

まさに、ここが、デザイナとしてすずめが最初に反感をもった所以だ。

この日記では、最初の重篤な事故、死亡事故が出て、国民生活センターから指摘された時点で、本来、こう、変えるべきだったと、デザイナとして思う具体例をあげてみたい。(本来は製品設計を抜本的に変えるべきだが、それが難しく、時間がかかるとしても、パッケージデザイン的に、変えるべき事はあった。)

裁判では問題に対して、「事故が発生した時点では、ここまでの大きさにしていたなら、許容範囲」としたわけだが、それは程度問題だ。
裁判官は、本来、どういう工夫ができたかというのが思いつかなかったのではないだろうか。


あの程度の表示を加えただけでは、「改善」とは呼べない。
なぜなら、本来、ここまでできるはずだから。ここまでできることは、どのデザイナでも分かり、あの程度では、それに手加減を加えたにすぎない。企業はそれを重々知っているはずだ。


ちなみに、現在、過去のデザインはこちら。

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20090305

さて、
事故を起こしにくくするために、最小限、どこまでの事をすべきか。具体的に説明したい。

元のパッケージの問題点は、単に,警告表示だけのものではない。もちろん、警告表示は大きくすべきである。しかし、問題はそれだけではない。
パッケージデザイン自身が、危険性を想起させないデザインになっていることである。

蒟蒻ゼリーはダイエット食品であり、小さな子供に与えるべきではない。というバッシングもあった。ならば、おやつのゼリーではなく、ダイエット食品のような、人工的なデザインにすべきだ。また、価格設定も、主婦が日常の買い物として気軽にカゴに入れる価格帯では無くすべきだ。


現在のパッケージは果物の写真を使い、シズル感によって、健康的なおいしさを表現している。暖色/パステル系で親しみやすい。また,有機的なイメージはカラフルで生活感にも溢れている。更に、蒟蒻畑というロゴタイプは、丸みを持たせ、囲みの方形の角も丸めている。柔らかいデザインにすることによって、やさしいイメージを出している。
これが主に置かれる薬局には、言うまでも無く、医薬品やダイエットサプリメントが置かれる。それらのデザインは、もっと、シンプルで硬い。その中では、かなり、柔らかな親しみやすさがアピールできるだろう。
消費者は、この親しみやすく、健康的なパッケージの製品を、さぞ、安心して手に取ることだろう。油断してしまってもしかたがないとも言える。


さて、私だったら、どうするか。

先ず、パッケージイメージを抜本的に変える。(これはデザインクオリティを下げるという意味では無い)
ダイエット食品ということなら、あえて黒でも良いかもしれない。
そして、果物の写真は使わない。代わりに、ピクトグラムにした果物のイラストを用い、
例えば,英語のアルファベットをデザイン的には位置し、硬く、かっこいいスタイリッシュなデザインにする(たとえばお酒のような)。子供が手に取らないような。
同時に、ロゴタイプももっと、角のある、硬いものにする。
警告表示を大きくするのはもちろんであるが、もっと、短い単語を大きく表示し、補足説明を下に書く。警告マークも、もっと太いラインを使い、インパクトを強くする。

更には、このような店頭での山積み用の袋を止め、店内の棚に置いてもらえるよう、箱にする。
ただし、箱は環境保護の視点からのオーバーパッケージになるので、一箱あたりの量を現行の 3倍にし、定価も、800円程にする。(内容量が多くなれば、パッケージの環境負荷は小さくなる)

現在の価格帯は、ちょうど、子供が「おやつ」として食べるものと、同等だ。
たとえば、ポッキーチョコレートやポテトチップス他、主婦が気軽にカゴに入れる価格帯になっている。これでは注意喚起ができない。
黒っぽい、高級感のあるパッケージにし、値段を上げることによって、
主婦が気軽に日常的な意識で買ってしまうことを回避させる。


本当は、ここまでの事は、誰でも思いつく。(おそらく、もっと)
誰でも思いつく事を、彼らはしなかった。手を抜いた。

PL法の責任の有無は、程度問題だ。
消費者保護の意識の高い欧米では、このような判決はありえない。(ありえない以前に、販売禁止がされている。)
日本は、商業活動を、消費者保護より優先したのだろう。
それが、今回の地裁の裁判官の尺度だった。

PL法の責任の重さを測る尺度が、
高裁では違う可能性もあると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)