男児死亡で親がマンナンを提訴
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=766967&media_id=4
ミクシーの日記を見ると、親の責任云々ってのばっかし。
親の責任とは別に、
日本と言う文化国家には、製造物の責任ってある。わざわざ言うまでもなく。
詳しくは前にも書いたけど。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1011443642&owner_id=12848274
問題は、蒟蒻ゼリーはこういう事故を起こすような「設計」になっていたということ。親の子供への責任は当たり前だけど、だからといって、これがチャラになるなんてバカな話、あるわけないでしょ。
蒟蒻ゼリー
今まで何度もいろんな警告や、この危険性に気づく機会があったにもかかわらず、あの程度の変更しかしなかった。
設計のミスというのは
丸ごと凍らせやすい形
凍らせるとおいしい
子供が好む味
子供、老人でも簡単にアクセスできる販売方法
これがアルコールであれば、大人の管理責任をあてにした販売方法を行ってもいいかもしれない。でも、明らかに、子供が好みそうな味にしておいて、しかもコマーシャルまでかけちゃって、企業に責任があるのは当たり前じゃん。
(でも、これを一時、販売停止にしたのは偉いって思うけどね)
ちなみに、すずめも、蒟蒻ゼリーはすっごく大好きで、バーゲンがあったらしこたま買い込むクチなんだけどさ。
こういうのが、許される程、日本は、低レベルな国じゃない。
モノを作る人たちは、もっと誠実。
たとえば、おもちゃとか、
今まで「危険」ということで、即日回収、もちろん販売停止になったものの多くは、対象年齢以外の子が使ったとか、こういう使い方はしないでください、とか、ちゃんと、説明書やらパッケージやらに大きく明記してるものが殆ど。しかも、厳しい安全規格/テストを通して、製品には何の非も無いモノ。
即日回収どころじゃない。
昔、ジョンソンエンドジョンソンは、おもちゃじゃ全米で2位だったんだけど、この業界から撤退しちゃった。
私たちは、こういう事が当たり前の世の中に住んでる。
そして、こういう姿勢、企業の「誠実さ」に他ならない。
訴えられて云々ってのじゃあなく、すべての製品、ちゃんと誠実に設計されている。法律がどうのってのは関係無く。
これが日本の企業の「品格」
それに比べて、それを見抜く力が消費者に無いのかもね。
ところで、すずめ日記、
しばらく書いて無く見えてたかもしれないけど、
実は、この日記の前に、
ネットで暴走する医師たち
の感想文に関して、
アツーイ議論してたんでした。
すんごいコメント量なので、
お暇なヒトは見てね。
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今朝、一つ前の日記で、同じ件について書いたんだけど、
名古屋でもマンナンライフ提訴
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=767820&media_id=4
いろいろ反論いただいたので、
こちらにまとめて、カウンターアーギュメントします。
一つ前の日記とともにご覧下さい。
1
蒟蒻ゼリーは飴や餅、針とは違う
日本には飴や餅、針を危険なものとして扱う文化があります。多くの人に周知されています。それが理解されていない海外では、餅は危険なものとして禁じている所もあるそうです。
その上で、もし、特に子供用の飴として作るなら、メーカーは窒息を防ぐ工夫をしなければなりません。誰でも知っている通り、それがペコちゃんキャンディのような配慮になるわけです。
ここ十数年に市場に出た蒟蒻畑の危険性がそれと同等に認知されているとは考えられません。ですから、何百年かかって培ったお餅の危険性と同レベルの認知をさせる努力が企業には課せられるわけですが、明らかに、それは行われていません。それは、35年前の扇風機の事故に対して、企業が何億もの宣伝費をかけて、訴求したことと比較すれば自明です。
2
危険に対する注意を喚起する設計になっていたかどうか
危険は訴求されていたというみなさん。
では、パッケージにはどのような表記になっていたか、ご存知ですか?
買っていなくても、薬局の店頭には平積みで並んでいます。ご記憶でしょうか?私は覚えていません。
最初はこのようなデザインでした。
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/006/669/45/N000/000/000/hatake1.JPG
しかし、死亡事故が発生して、このように直されました。
http://www.orenjin.com/blogimg/0810/konnnyakubatake.jpg
そして、今回の死亡事故が起こり、一時生産中止になりました。
その後、発売再開においてはこのように直されています。
http://blog-imgs-31.fc2.com/e/0/1/e0166/200812022129.jpg
この二つ目の配慮は、死亡事故を起こした商品に対する表記にしては小さすぎると感じます。そして当時、消費者団体などから、そのような指摘を受けていた上で起きた事故でした。
このようなデザインに関わる者として、
デザイナがいかに「重要だ!」と考えて表記しても、
100%の消費者がそれを認知してくれると考えるのは傲慢です。
殆どの人が、分かってくれない。説明書は読まない。
その前提で、モノは作られています。
3
製品設計に改善方法は無かったか
消費者団体は「やわらかくする」などの提案をしました。
しかし、製品の魅力が落ちるということで、ここまでの堅さと決定しました。
なので、今現在も、メーカーによっては堅さの差があります。
これは私の推測ですが、
蒟蒻畑と同様の製品に寒天やゼラチンを使った一口ゼリーがあります。
こちらは柔らかく、凍らせてもツルン一気に口に入り辛くなっています。
値段は蒟蒻ゼリーの3分の一でしょうか。蒟蒻畑をこの寒天ゼリーレベルの柔らかさにすると、当然、こういうお菓子と競合します。
蒟蒻ゼリーはお菓子であるにも関わらず、薬局での販売ルートを構築できた成功例でもあります。単なるお菓子にしてしまったら、このルートは他の競合品に食われてしまうわけです。ですから、製品設計的に「堅さ」は重要であるのは理解できます。
そして、この販売力の維持と、人の命を天秤にかけ、現在の「堅さレベル」という決定をしたわけです。
4
凍らせる事に関して
これは、最初からメーカーが考えていたことではなく、消費者の方が思いついたようです。しかし、市場調査から、これが凍らせて食べられているというのは、メーカーは掴んでいました。
また、もちろん、その消費者の年齢構成がどうなっていたか、それも知っていたはずです。マーケティングの初歩の初歩ですから。
5
販売形態に関して
パッケージデザインに携わった経験から
これをどういうお店においてもらうか。
お店のどの棚に
どのような広げ方で置いてもらうか
これはデザインの大前提です。ですから、マンナンライフ社はこれが、普通のスーパーのレジの隣であるとか、お菓子売り場に置かれる事を想定してデザインしていました。本当に、大人だけに売るつもりなら、化粧品やタバコのようなデザインにしていたはずです。
デザインは生産計画の大きな要素です。もちろん、小さな子供のいる家族が買うことも勘定に入れたものです。でないと、今の生産量を販売することはできません。
6
裁判の意味
裁判でお金がもらえても、子供の命は戻ってきません。
それは誰でも理解出来るはずだと思います。
それなのに、この親たちがそれで儲けを狙っているという日記には、吐き気を覚えます。
これは私の推測ですが。
7月に死亡事故が起こり、その後生産中止、しかし、ほどなく販売が再開されました。その改善点の程度には議論があるかもしれませんが、不満を感じるものだったのでしょう。
おそらく、今までの事故でも、多くが何らかの金銭的購いを受けていると思います。ですから裁判にしてもしなくても、金銭的には同じかもしれません。裁判にしたということで、こんなに叩かれたり、いろんなお金もかかったりしますから。
しかし、司法にもっていくことによって、販売再開に関して、改善を求める力になるでしょう。
他の会社の製品での死亡事故でも和解例があるようです。その時の条件に、
もし、再び、同様の製品で事故が起きたら、販売をやめる。というものでした。(提訴報道に、そういう部分を盛り込まない報道に疑問を感じます。)
その意味で、私はこの親たちの勇気ある行動を評価します。
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この件、とても誤解があるようなので、説明を追加します
これは,企業の責任を問うた民事裁判ですよね
親の責任は、別です。
親に対する落ち度は、刑事裁判などで、検察が問えば良いことです。
親が本当に子供を殺してしまう程の怠慢なら罪になるでしょう。
(それが、この製品の恐ろしさでもあるのかもしれません)
前の日記で申し上げたように、
親に落ち度があるからといって、この企業の社会的責任は帳消しになるわけがありませんが。
誤解を招くといけませんので、不要だと承知の上で申し上げますが、
私はこの親御さんたちがそういう罪で問われるとは思っていません。
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この日記はここ何日か書いておりました
蒟蒻ゼリーの問題の続きです。
詳細は、二つ前の日記、およびそのコメントに記載されています。
ただ、私は、こういう食品の設計をする専門家ではありませんので、机上の空論である可能性は大きくあります。このようなものの生産は、工場のライン、その他、プラントとして構築ができるかどうか、様々な要素が複雑にからんでいますので、外部の人間が思いつく事がおいそれとできるものではありません。それをご理解いただいたた上で、お読み下さい。
危険を回避するためには、どういう部分に着眼するべきか、そういう視点で書いています。
蒟蒻入りゼリーの場合、ユーザーの過ちとして、「凍らせる」というのがありました。
しかし、現在の状態ですと、凍らせることができてしまいます。また、問題は、凍らせるではなく、凍らせても一度に口に入らなければ良いということだと考えます。
そこで、
凍らせる問題を解決するために
現在のパッケージの材質をもっと弱く、もろくします。特に低温では弱くなる素材を選び、部分的に弱い部分を作ります。そうすることによって、冷凍し,中身が膨張すると、本体が弾けて割れてしまうようになります。
こうすることによって、消費者が物理的に凍らせられない製品になります。
(もちろん、これはパッケージにその理由とともに明記します)
凍らせられるけど、凍らせないでくださいというのと、
凍らせると破裂するので、凍らせられませんというのとでは大きく違います。
その上で、技術的にもしできることなら、現在のパッケージの中にいれるものは、クラッシュタイプのようなものにします。今のプラントはおそらく、固まる前の液状のものをパッケージに充填し、後に固めている方法だと想像します。そこで、クラッシュタイプと同じ破片状のものを、アガーや寒天など、もっと柔らかい素材に混ぜ、ベースは柔らかいゼリーで砕かれた破片状の固いゼリーが入っている状態での充填ができるのではと思います。この混入割合をできるだけ蒟蒻ゼリーの多い状態にできれば、今のと食感が近くなるでしょう。
意外に口の中に入る2種類の食感は良いかもしれません。
こういう状態のものですと、ますます、「凍らせると破裂するパッケージ」は効果があるでしょう。破れたら、ベトベトになってしまうわけですから。
さて、それでも、防げないと思うのは、これをどうしても凍らせたいと思う人々です。
また、凍ったゼリーという市場もあると考えます。
これに、スティックタイプを使えないかと思います。下、補足1に書いたように、凍らせて食べるには安全なものだと感じます(もちろん商品テストが必要です)。ですから、わざわざ、「凍った製品」を用意するわけです。
しかし、スティック形状は逆に、凍らせないで食べると危険です。(補足1/下記)そこで、こちらは、逆に溶かして食べるとベトベトになってしまうような工夫をします。具体的には、パッケージに穴を空ければよいわけです。冷凍食品/アイスクリームの流通でしたら、温度管理はされているので、密閉の必要はありません。
そして、もちろん、この意図、その他注意書きはきちんと表示します。
その上で、プロモーションに関しても、大々的に変えます。
今、「ゼリー」という名称が通ってしまっていますが、この「ゼリー」という概念を払拭するための新しい名称を考えます。そしてそれを商品名ではなく、業界全体で、一般名称としてつかいます。
たとえば「デザート蒟蒻」のような名称でしょうか。
(単なる私の思いつきで熟慮が必要です。補足2/下記)
マンナンライフ社(その他のメーカーも)は
「蒟蒻畑」という商標をやめます。「デザート蒟蒻 クラッシュ(例)」のような訴求にします。また、今までのイメージを変えるために、女性が果物を抱えたハワイアンのイメージを全く違う画像に変え、注意喚起をCMにも盛り込みます。
そして、業界団体の拘束力をもっと強くし、上記のような配慮、戦略を守ったメーカーのものにだけ、業界団体推奨のマークを記載します。おそらく、大手スーパー、薬局など、普通の小売店でしたら、自然に推奨マークが入っていないものは、置かなくなるでしょう。
これは、食品に関しては素人の知識で書いています。
しかし、マーケティング的な訴求方法に関しては、そこそこ、的を得ていると思います。
いずれにしても、
この商品、「改善」は不可能ではないと思います。
そして、具体的に、どう、どこまでするべきだったか、
この道のプロなら、分かっていたはずです。
私が、簡単に日記に書けてしまえる程度のことなのですから。
補足1
スティックタイプの形状にともなう危険
スティックタイプとは、8ミリx2ミリ程度の筒状のビニールに充填されたものです。
これは口にくわえて、歯でしごいて凍った中身を出して食べます。この構造上、一度に口に入るのは、1cc程度の少量になります。凍った状態ではビニールと中身の間に摩擦があり、一度に口に入ってしまうのを防いでくれます。
しかし、これを常温で、凍っていない状態で食べると、口で吸って食べることになります。強く吸いすぎると、中身が一度に喉の奥まで行ってしまいます。また、スティックという形状の性質上、口にパッケージが喉の奥まで入るように加えると、この状況は喉の奥でおこり、窒息を誘因する危険があります。
補足2
例であげた「デザート蒟蒻」の名称
デザートも蒟蒻 も一般名称であり(調べていませんが)商標としての登録制が無いかも知れません。もし良い名前があれば、業界団体で商標を獲得し、それを会員企業に使用許諾することによって、団体の拘束力を強めることができるでしょう。しかし、商標獲得が難しい時代、もし、それができなかったとしても、一般名称に「認証マーク」を連動させれば、効力があるかもしれません。また、これはロイヤリティの形にし、会員が生産量に応じて許諾料金を支払うことにすれば、相互扶助の仕組みが作れるでしょう。
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ほとぼり冷めたので。
っていうワケじゃなく、古新聞を整理してて、
蒟蒻系の記事が目に止まったので。
2月ごろの某新聞のコラム。
賛否両論として、
両者の言い分が書かれていた。
その蒟蒻賛成派
「飴や餅は良いのに、なぜ?」
という意見もある。。。。。「ある」ということまでしか書いていなくて、この意見が良いのか悪いのかは言及されていないが。。。こういうのが、マトモな論拠だとしている所がヘンじゃん。
ネットに蔓延する、蒟蒻系の間違いについて
もう一度まとめておきたい。
って言う事で、間違いの基本。
「飴と餅はいいのかっ」
っていうヤツ。
なぜ、蒟蒻入りゼリーとお餅は別なのか。
(何度も書いたんだけど、ここにだけ絞ってもう一度)
しつこくてすみません。
こういうのの大間違いは、ミソもナントカもカントカも(っと何種類か似たモノを頭の中で列挙したけど、自粛)
全部、一緒にしてしまうことにある。
先ず、飴と餅と蒟蒻は3つとも別。
なので、いっしょにしないで、別に比べなくてはいけない。
ということで、先ずは餅から。
ズバリ言うと、
餅は、その食べ方まで製品の設計が示唆していない
対して、
蒟蒻入りゼリーはその食べ方、口に入れる方法まで設計されていて、その設計に瑕疵がある
これが根本的な違い。
もし、餅が、
小さな一口大のパッケージに入っていて、
ツルンと一口で食べられてしまって、
尚かつ、年間15億個売っていたら、
これは「危険!」
どんなに「餅は危険」ということが周知されていようと、15億個のうちには、絶対に、事故があるはず。
だから許されない。
しかし、今の普通のお餅の売られ方は、
切り餅であれ、丸餅であれ、どう食べるかは、調理次第。磯辺焼きにする人もいれば、乾燥させてアラレにする人もいる。いずれにしても、メーカーの餅の設計は、そういう食べ方まで示唆していない。
しかも、その調理、食習慣に起因する危険は、長い歴史の中、周知されているとも言える。
一方で、蒟蒻入りゼリーは
ハート形のまるい部分をつまむと一度に口に入れられる構造になっている。
ハートが安全だという根拠は、窒息事故の原因が、口に入れる時、吸い込むようにしてしまい、そこから一気に喉の奥まで行ってしまうからというのが原因だと考えられていた。
だから、吸い込まないですむように、手で押せば口に入るような構造にしたワケ。
だが、この方式は完璧だろうか。
むしろ、前よりも危ない要素さえある。吸い込まないといけない場合は、少しずつ前歯で噛み切って口に入れる行為を誘因する部分もある。それによって、大きな塊を一度に口に入れてしまう事を防いでくれる。
しかし、ハート形パッケージは二つのまるい部分をつまむと、全部がパッケージから出てしまう。なので、一度に口に入れてしまうことは防げない。
もちろん、まるい従来の形とハート型と、どちらが良いか、きちんとデータにとって分析しないと答えは分からないかもしれないが、少なくとも完璧ではないのは確か。
「こんなに工夫している」という人たちは、こういう部分、分析できていない。
蒟蒻ゼリーは
明らかに、一気に一口で食べる構造になっており、
一気に一口で食べられる「設計」が問題なのだ。
それに加えて年間15億個という数。
もし、蒟蒻ゼリーが
粉で売っていたりするなら、材料だ。PL法の対象じゃない。
蒟蒻ゼリーが食べたくてしょうがないヒトには、
この蒟蒻粉で作る事をお勧めしたい。
ちょっとした製菓材料店になら売っている。ゼラチンよりは割高だけど、こういうのだったら、どうにでも作れる。
それだったら、餅と同じ扱いと考えて良いだろう。
さて、次は飴
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さて、次は飴の問題。
最初に蒟蒻畑と飴との違いをズバリ書く。
販売量の違いだ。
販売戦略の違いとも言える。
飴は「材料」ではない。
まるい飴は誰でもそのまま口に入れる。
言うまでもなく、その設計は食べ方まで示唆した物だと言える。
しかも、子供が好んで食べる。小さな子に「食べるな」とは言えるかもしれないが、食べる事を防げない。
こういう設計の意味では、蒟蒻畑も同じだ。
たとえば、医療用のトローチなどは、真ん中に穴の開いたリング状でなければ許可されなかった(規制緩和で変わったかもしれないが)こういう工夫の余地が物理的に可能な中、普通の丸い飴は危険な設計だと言えるだろう。
ただ、ほとんどの飴の形は、まんまるのボール状ではなく、扁平で楕円などをしており、気管にそのまますっぽりハマることを防いでいる。
(たまに「昔ながらの」というような製品ではまんまるの物もあったりするが、非常に稀だ。)
また、小さい幼児専用として、ペコちゃんキャンディやアンパンマンキャンディ、チュッパチャプスのように棒がついているのもある。これらは明らかに、幼児専用キャラクターを付け、子供に訴求している。
小さい子には小さい子専用の商品を作り、それが市場の中でバランスを取っている。
そんな中で、今もって危険だと思うのは、千歳飴だ。
これは「細く長い」事に意味があり、この形を変えることはできない。
これは普通なら、小さく割って、子供の口に入れてあげるのが当たり前だ。そんなのは常識だと言われるかもしれない。しかし、長い形をしている以上、そのまま舐めてしまう事は防げない。これを先端から舐め続けると、先はかなり鋭く尖ってくる。これで事故があったとしたら、「割ってやらない親」の責任もあるだろうが、「設計」に起因する所が大きい。
しかしこれを許しているのは、「販売方法」だ。
千歳飴は、季節限定として、10月から11月の短い期間に、特定の売り場で、特定の形で売られる。
しかも、買うのは、日常品としてでなく、高価な祝いの品としてだ。
もしこれが、テレビ宣伝をかけて、ジャンジャン、スーパーでも薬局でも売っているものだとすると話は別
だが、この程度なら許容範囲と言えるだろう。
(本当はもっと割れやすいように空気を多く含ませたり、キャラメルのような柔らかい素材で作ることも有りだと思うのだが)
再度まとめると、
飴にも子供に危険な設計の瑕疵はある。
しかしバランスを取った市場作りをしていることにより、これを許容範囲としている。
コマーシャルをガンガンかけて15億個も同じ危険を持つ商品を売っていない。
これはあまりに大きい。
ミソもナントカもカントカもいっしょにしてはイケナイ。
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これは2009年3月の日記です
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