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2014年8月15日 (金)

この日の意味

この日の意味

69年前のこの日、何があったんだろう。
1945年の長い一年を考えてみる。
この年、こんなことがあった。

1月25日 最高戦争指導会議、決戦非常措置要綱を決定。 
2月4日 ルーズベルト、チャーチル、スターリン、ヤルタ会談。ソ連の対日参戦密約。

2月4日のヤルタ会談
この後、戦局は明らかになっていく。

3月6日 国民勤労動員令公布。 
3月9日 B29が東京を夜間大空襲。 
3月14日 大阪大空襲。 
3月17日 硫黄島の日本軍全滅。(戦死 23,000人) 
4月1日 米軍が沖縄本島に上陸。 
4月7日 鈴木貫太郎(海軍大将)内閣成立。 
4月7日 呉から沖縄に出撃の戦艦大和が九州南方で撃沈される。 
4月12日 ルーズベルト米大統領死去。副大統領トルーマンが昇格。 
4月16日 ソ連軍がベルリン攻撃開始(〜5月2日)。 

東京、大阪が空襲を受ける。
そして、ドイツが無条件降伏

5月7日 ドイツが連合国に無条件降伏。 
5月14日 最高戦争指導会議で、対ソ交渉方針決定(終戦工作始まる)。 
5月30日 ヒトラー自殺。 

私は、この日に注目したい。

6月8日 天皇臨席の最高戦争指導会議、本土決戦方針採択。

日本は、本土決戦をスローガンとすることになる。
少女たちが竹槍を持ち、
鬼畜米兵を殺す訓練を受ける。そういう時代。
皆、一丸となって、本当に信じていたからこそ、
藁人形を突いていたのだろう。

そして、ポツダム宣言

7月17日 トルーマン、チャーチル、スターリンがポツダム会談。
7月26日 ポツダム宣言発表。 

しかし、日本はこの2日後、
黙殺を表明

7月28日 鈴木首相、ポツダム宣言黙殺を表明。

そして、
 
8月6日 B29が広島に原子爆弾投下(死者約15万人)。 
8月9日 長崎に原子爆弾投下(死者約7万人)。 

さらに、
ソ連が参戦し、太平洋戦争は、第二次世界大戦へと変わる。

8月9日 ソ連が、日本のポツダム宣言拒否を理由に、対日宣戦布告。 

その翌日。

8月10日 政府が中立国スイス、スウェーデンを通じて米英中ソにポツダム宣言受諾を申し入れ。

日本は即座に反応した。
 
8月13日 御前会議・閣議が連合国の回答をめぐり紛糾。 
8月14日 天皇裁決で、ポツダム宣言の無条件受諾を決定。 

しかし、この間、
終戦に反対してのクーデターが起こる。そして、49年前の今日。

8月15日 天皇の「終戦の詔書」録音放送。日本が無条件降伏 鈴木内閣総辞職。 

もう、3月の時点で、
日本の敗戦は分かっていた。
5月にドイツが降伏した時点でも、分かっていた。
東京空襲の時に、なぜ、降伏できなかったか。

何よりも、なぜ、ポツダム宣言の後、
せめて1週間で降伏していれば、
広島、長崎は原爆に焼かれることは無かった。

今日、ネットではこんな記事が回っていた。
真偽の程は定かではない。
ググっても、出典は出てこない。
書いてあるのはどれも個人のブログだ。
http://sunmorinaga.area9.jp/article/0100563.html 
トルーマンを投げ飛ばした日本女性

そこから、ちょっと引用してみたい。トルーマンと林田民子氏なる女性との会話

「大統領閣下、なぜ広島、長崎に原爆を投下したのですか?」
「20万人を超える若いアメリカ兵の命を救うためです。」
「日本はすでに無条件降伏を決めていました。どうして20万人ものアメリカ兵が死ぬのでしょうか?」
「抗戦派の抵抗も考えられ、これ以上戦争を長引かせては、若いアメリカ兵の命が危ないと判断したからです。」
「大統領閣下、貴方は嘘を言われている。マリアナにある戦略爆撃司令部は、ポツダム宣言に対する返事があるまでは原爆の投下はあり得ない、と明言していました。」
「それは若いアメリカ兵20万人の命を・・・」
「大統領、貴方は日本が無条件降伏することをすでに知っていた。それなのになぜ原爆投下を命じたのですか?ヤルタ協定で日本に侵攻する予定のスターリンへの警告でしょう」
「そんなことはない。すべてアメリカ兵20万人の命を守るためだ」
「大統領、貴方には日本人の命などどうでもよかったのです。あの原爆投下によって20万人以上の人間が死傷することは、初めからわかっていたはずです。貴方が虫けら同然と思っている日本人が20万人死んでも、貴方にとっては問題ではない。人体実験をしたかっただけです。スターリンが警告を素直に受け取り、アメリカに逆らうとこの原爆がモスクワに落ちると・・・。ただそれだけのために20万人以上の日本人を犠牲にしたのです。20万人のアメリカ兵の命を守るためではない!大統領、貴方は今世紀最大の悪魔です」

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引用、ここまで。

この後、彼女は、トルーマンを背負い投げで投げ飛ばしたとある。
真偽は分からない。だが、原爆投下に関しては、今もある我々の言い分だ。

確かに、2月の時点で、概ね日本への原爆投下のシナリオは描かれていただろう。
そして、5月、ドイツがあっさり降伏したことによって、それはより、はっきりとした計画になる。
彼らは、ポツダム宣言を日本が無条件に受け入れるなんて、思っていない。
何日かかるか。それを計算し、日本が降伏する前に、最も効果的な時期を狙って、原爆を投下した。
そして、ソビエトがどう、参戦するかも、シナリオが組まれていた。

それは事実だろう。

だが、
日本にも、チョイスはあった。
というよりも、回避する鍵は日本が握っていた。

ポツダム宣言の後、
1週間で受諾すれば良かったのだ。

ポツダム宣言を黙殺し、
国民は黙々と本土決戦をスローガンに、
竹槍訓練をしていたのだ。
それが日本であり、私たちが忘れてはならないことだ。

もし、原爆投下までの流れが、
仕組まれたことで、日本には不可抗力だとすると、
落とした者だけが悪いことになる。
だが、本当に悪いのは、戦争、それ自体だ。
日本にも、回避できるチャンスも、方法もあった。
そのチャンスを捨ててしまうという、あやまちを犯した。

もう、二度と、
そんなあやまちは繰り替えさない。




平和誓う 69回目の終戦記念日
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3010837

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