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2014年8月31日 (日)

数学のエッセンスのカリキュラム

昔、中学の時代、連立方程式の問題をやってて、思いついたことがある。
とにかく、あまり深く考えず、全部を記号にしてしまうのだ。そうすると、眠くてもできる。。。

例えばこんな例題があったとする。




一郎くんは、A駅から谷を越えてB駅までのハイキングをすることにした。
計画ではA駅から山の頂上まで毎時4㎞の速さ、頂上からB駅まで毎時5㎞の速さで歩いて、
5時間歩けばよいはずであった。
しかし実際にはA駅から頂上まで毎時3㎞、頂上からB駅まで毎時4㎞の速さでしか歩けなかっため、
6時間28分歩いたことになりました。
A駅から頂上までの道のりをx㎞、頂上からB駅までの道のりをy㎞として連立方程式を立て、
A駅から頂上を経てB駅までの道のりを求めよ。


----

普通に考えれば、XとYを二つ使う。。。というのが学校で習うことなんだけれど、
それでは、眠い時にできない。
実際、当時はこんな単純な問題だけではなく、もっとトリッキーで複雑なのもあった。

で、当時、私が編み出した方法、



これを、いろいろ複雑に考えず、すべてまず、?と思ったものは全部記号にしてしまう。

A駅から山の頂上まで計画では a分 時速 bkm 分速ckm
頂上からB駅まで計画では  d分 時速 ekm 分速fkm

実際は
A駅から山の頂上まで g分 時速 hkm 分速ickm
頂上からB駅まで j分 時速 kkm 分速lkm

A駅から山の頂上まで  Xkm
頂上からB駅まで  Ykm
全部の道のり Zkm

たとえば、一発で書けるのは、

X+Y=Z
c÷60=b



上の記号は必要なのも必要じゃないのもあるんだけど、無くてもとりあえず設定してしまう。そこから式を解いていく。


当時の問題は、式を解答に書かなければならないので、その時はこのa--iっていうのは、書かない。。。ように書き直すのが、当時は眠いとできなかったので、結構、減点になってしまったんだけど。
(でも今考えれば、こうやって連立10項目あってもバツじゃないはずだと。。でも当時はそうは、思わなかった)


で、こういうのをやってれば、中学生でも思いつく。

上の文字の設定は問題用紙の言葉の上にマルで囲んで a とかbとかって書いていくわけだけど、それって、当時の中学生レベルの英文和訳の方法と似てるのだ。

連立方程式って、英語の文法と同じじゃないか?

と。

そう、当時は空想にすら無かったけれど
こういうのが、コンピュータ言語になってったワケだ。
(コレに気づく中学生はきっとジョブズのような天才だったんだろうけど、凡人にはたんなる裏技とでしかなかった)


でも、凡人でも、
連立方程式って英語文法と同じ「かも」?

という程度には思いつく。
なぜ、ココでちょっと、後押ししてくれなかったのか。
裏沢なので、解答用紙から消しゴムで消さなければならないと思わせず、
それこそが、数学のエッセンスだったのだと。


で、
まあ、凡人は、
その後、退屈な数学や物理よりも。。。まだ、ロマンを感じることのできる、
文系に流れていく。
小学校1年生からずっと、授業中は黒板ではなく、机の下をみてきた(要するに隠れて本ばかり読んでた)筋金入り文学少女のワタシは文系妄想一直線で、迷う事無く文系を選んだ。


小学校では、代数を使わず、ロジックでこういう問題を解かされていた。
それを中学で代数を使えば、いとも簡単に解けてしまうことは発見だった。
だけど、本当はここに、重要な数学のエッセンスが隠されてたはず。
代数とは何だったのか。

なぜ、こういうことに、1項目、費やさなかったのか。

代数だけでなく、数学全般に、こういう本当の意味を伝える項目が無い気がする。
そういうのがあれば、
この時点で、日本国民全員が、文系 理系 に分かれてしまうことなく、
もっと、融合したものとして、捉えていくことができたかもしれないのに。

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補足:
もう一つ、学生時代、数学のエッセンスについて、
記憶してることがある。

ボイジャーのメッセージだ。
これには、人類の姿と、
物理や数学の公式なんかが書いてあるということだった。

数学の記号は、
宇宙の法則だから、
宇宙人でも理解できるからというもの。
なるほどと思った。
この時も、数学って言語なのだと思ったのだった。
英語じゃなくても、数字じゃなくても、
(宇宙人が英語を読めるのかっ!という突っ込みは子どもでも当然ある)
伝えられるのが、数学のロジックなのかと。
(これもまた、おぼろだけど、二進法だったというような記憶もある。。)


この人類の絵というのは、おぼろに記憶している。

で、今、調べてみたら、もしかして、1972年のパイオニア10?号の話かもしれない。
ボイジャーには、この人類の絵は載せなかったとある。
いずれにしても、こういう論というか、イメージは、
子どもでも思いつく。。。というか、子どもは思いついているけれど、
その思いつきが、案外重要なものであったという事は、知らず、
そのうち、忘れてしまう。。。
本当はこういうのを、カリキュラムに入れていれば、
もっと違ったかもしれない。


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