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2013年7月 6日 (土)

ゼロ戦:人を部品とした兵器のデザイン

上野の国立科学博物館には、ゼロ戦が展示されてる。
(最近、行って無いので。。。たぶん)
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地球館の2階、入り口を入って、一番奥。
例の「イ」のうつったテレビジョンのとなりに、飛行機。
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こう、書いただけでも、その小ささが分かるだろう。博物館の部屋内に飛行機があるなら、部屋を入って一番に、気づくはず。ところが、巨大な機械式電卓の向こうにテレビジョンが置いてあって。。。その奥。
そう、書いてしまうほど、目立たない。
小さいからだ。
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いろんなテレビや戦闘シーンで見る飛行機。。。すごく大きな印象を受ける。そういうのもあるのかもしれない。
しかし、このゼロ戦の小ささには、ちょっとした驚きがある。
これは、まさに、空を飛ぶ、バイクだ。
自分の身体の大きさと比べてみるリアリティが教えてくれるものがある。
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ゼロ戦の非情さだ。
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すずめ的に、
設計者、デザイナが、デザインしてはならない姿。
その代表が、ゼロ戦と、核兵器だ、そう、思ってる。
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ゼロ戦を語る時、
多くの人は、当時の日本の技術の高さを褒める。
聞くと、この夏公開される宮崎アニメの題材も、ゼロ戦だとか。
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だけど、
その技術の大きなコンセプトは、
「無駄を省くこと」
なのだ。
何が無駄か。
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パイロットを守る機構が無駄
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なのだ。
だから、どこまでも小さくできる。合理的にできる。
ここで、パイロットは道具だ。
兵器を操縦させる、人工頭脳。
ここで、人は、兵器の部品だ。
今でいう、バイオ系ICチップ。
肉体は守らせなくても良い。
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これは、設計者は気づいていたはずだ。というより、それが当然であり、そこには、何の呵責も無かったのだろう。図面を引きながら、ここに、母や恋人が待つ少年が乗ることに、想いが巡らなかったのだろうか。
このスケール感、小ささは、設計者自身が一番知っているはず。
戦闘状態の空をバイクで飛ぶ事が、どういうことか。
なぜ、もっと、上部を厚くしてやらなかったのか。なぜ、もっと室内を広くしなかったのか。このコックピットには、少年しか入れないではないか。。。(そういうイメージ。。)
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空中戦でのゼロ戦の活躍。
小回りのきく、小さな飛行機。ちょうど、バイクのように。
でも、他の国の戦闘機パイロットたちには分かったに違い無い。
この飛行機を作る国の頭が、どれほどイカレてるか。
神風特攻隊、そういう病的な指令が出せてしまう国だ。
人を兵器の部品として使うことなど、当然。
技術よりも、その病的な冷酷さに恐怖感を持ったのではないだろうか。
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どういう映画か分からないけど、
この夏、公開されるという宮崎アニメは、ゼロ戦を作った技術者が主人公だとか。
もちろん、科学博物館のゼロ戦を宮崎も見たに違いない。
体格のいい自分が入れそうも無い、飛行機の小ささ。
無駄を省いたデザイン、
その「無駄」が何だったのか。
彼だって、見たに違いない。
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それなのに、それに気づかなかったとは思えない。
ゼロ戦賛美の歪みに。
それが賛美しているのは、少年さえも、兵器の部品としてしまうデザインであったことに。

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