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2012年11月23日 (金)

江古田の家 見学 

先週、

秋の澄んだ空気の中、

江古田まで自転車してきた。

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目的地は

江古田佐々木邸

http://www.city.nerima.tokyo.jp/annai/rekishiwoshiru/rekishibunkazai/bunkazai/bunkazaishosai/sasakikejyutaku-h24.html

同潤会が作った一戸建てで唯一、現存するもの。人が住みながら、

家族の歴史を紡ぎながら、

人と人との関係と家がどう、関わってきたか、

すんごい資料。
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江古田はすずめのお宿のある東京都世田谷からほぼ、真北にある。

調べてみると、ちょい、おもしろい。

同潤会っていえば、真っ先に思い浮かべるのが、都心の再開発のおされ〜な、ショッピングモール。。っていうすずめだけど。。。

http://ja.wikipedia.org/wiki/同潤会

なーるほど、こんなにいっぱい建ててるのね。

すずめが自転車で行った江古田はちょうど、自由が丘の真北。

これって、大正7年にできた田園調布からも真北になる。

他にも阿佐ヶ谷とかにあるって言ってたけど。。。阿佐ヶ谷も田園調布から真北かな?

だとしたらおもしろいじゃん。東急が理想郷として開発した田園調布。。。そのラインに国が音頭を取った同潤会?

っと思ってグーグルマップで当たったら。。。あらら、葛飾の方にもあるじゃん。
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でもって、それを、アバウトに、グーグルマップのルートで結んでみた。

Ekoda1_3

あらっ。これは不思議。いくつかの例外(調布 横浜方面)を除いて、ぐるりと、楕円になった。

でもって、その中心は、千代田のお城。

でもって、これを自転車で走るとすると、およそ80キロ。でもって、この千代田のお城から、すずめのお宿、江古田、金町そのほか、楕円の横の半径で言えば、12キロちょっと。狭い方だと10キロ弱。おもしろいじゃん。
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さて、せっかくのグーグルマップなので、これを航空写真で見てみた。

ホントは、100年前の昭和の衛星写真があれば良いんだけど。。。今度宇宙人氏に会った時にでもお願いしてみよっかと思いつつ。。。。

今の航空写真をみると。。。

Ekoda3_3

緑の部分以外、要するに、家が建て込んでる場所、それが、ちょうど(当たり前っちゃ、当たり前か。。)同じ楕円をしてる。

この円周は320キロ。ジャスト4倍だ。(面積で16倍)

独り言。。。そういえば、日本の首都圏人口は3500万?。100年前、この16分の1だったらおもしろいな。そのうちググってみよう。
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コレ、同潤会 楕円リングね。

Ekoda4_2

昭和の始めにできた同潤会の都市計画。

その楕円は、そっくり、同じ形のまま、100年後に4倍の都市になった。。。

なんていう、骨太な都市計画だったんだろう。

なーんて、のっけから、脱線しちゃったけど。。。

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そうそう、江古田の住宅ね。

江古田って、ずっとずっと昔、こすずめだったころ、友達の音大生がいて、遊びに行ったことがあった。。。でもってこの江古田住宅の前は、ニチゲイ。日大芸術学部。そっか、ここにあったのね。新しいめちゃ、かっこいい建物が建ってる。通り沿いには、ホリウチなんかがあったりして。(ホリウチってプロ用の現像屋さん。銀座のは何十年も前から24時間営業で、徹夜で撮影した写真をカメラマンが出しに行ってた。。。今は昔。。でも、まだ、ちゃんと健在ってのがうれしい)

あらら、また、脱線。

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はい、江古田住宅。

駅から徒歩、5分ってとこだろうか。

順番に見学できるってコトで、

待ってると、

年配の男性が通った。

「ここね、うちの親父も申し込んだんだけど、外れたんですよ。」

な〜んて。見ず知らずのすずめなんかに話しかけてくれるんだから、きっと、このあたり、まだまだご近所コミュニティは元気なのね。

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佐々木邸

なるほど。。。かなり、大きな家。

外の塀は後で作ったんだろうけど、門柱は昭和の最初のものだろうか。

でも、その割に、いくつかの樹意外は、小さい。

井戸もある。

配置も面白い。

100坪の中に平屋。だけど、家は半端に片方に寄せられてる。

今の考えで言ったら、大きな面積を残すように、もっとギリギリに寄せるんじゃないだろうか。

裏庭がかなり半端。通路としては広すぎる。かと言って何かに使うには狭い。

当時はそんなこと、考えない程、潤沢にスペースがある時代だったんだろう。この周りも、もしかして、田園地帯だったのかもしれない。
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家そのものは。。。

さざえさんち。。。というより、もっと、高級?ってか、さすが、教養人っぽい雰囲気。

でも、ドラマなんかにでてくる、昭和の洋館とも違う。生活感のある家。

外壁がモルタルじゃなくて、木。

今なら、防火上、建築基準、通らないんだろうなあ。

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管理者は文化人類学の先生。

フレンドリーで素敵な方。何か、この家のイメージに合う。
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玄関は。。。思った程広く無い。

左には小さな2畳の女中部屋。(ここには、電気さえ来ていないそう)

右には、客間。

天井が素敵。この時代の先端の素材だったんだろう。

それに続く、和室。

床の間があり、先祖から伝わったという槍だの。。。銃刀法取り締まり対称の武器?がかけてある。(平和主義のすずめはよく分かんない)

先生の説明によると、ここまでが、この家の公の場。

だから、ここまでの建材は高級。この先のプライベート空間とは違う。

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説明にもあったけど。。。この家の構造は興味深かった。

男性、女性、このジェンダーを分ける機能としての家。

女性たちの住む部屋と男性の部屋との区分け。

縦構造、それがそのまま、家の作りとして具現化してる。

その中で、このメインの和室に続く女性の部屋の和室、後に増築したという部分、それが斜めの関係を持っているのが面白い。斜めというのは、半分隠し、半分開けられるという意味なんだろう。

この家は、家長を頂点にした縦の関係を培う作りで、その圧力をそのまま子供たちに伝える力学的構造を持ってる。。でも、その一方で、プライバシーを守るという機能もあったのかもしれない。ただし、この時代のプライバシーとは、個人としてのそれではなく、性差としてのプライバシー。

だから、キッチンにも入らない。。。それは、上下関係というのよりも、もっと、尊厳のあるもの。。。「尊重」って感じのものだったのかもしれない。。。。

ふーん、そっか。悪く無いかもね。昔のなんでもかんでも、男尊女卑っ!っていうフェミニストたちの運動が、そんなにすべての女性たちに受け入れられてこなかったってののヒ ミ ツ ♫ はこんな所にもあったのかも。「私たち、ホントは、オトコたちに、『尊重』されてる」。。彼女たちにとっては、フェミニズムはこういう尊厳を失うことでもあったのかも。な〜んて、思ったりもした。(ってか、そういう感じのことは、当時も言われてたと思うけど、こういう眼に見える算数的な「形」になってる所がすずめ的におもしろかった)

そうそう、この先生、最後に「お手洗いを見てね」っとおっしゃって。。。

入ってみると。。そう、この「斜め」がお手洗いの中にあった。

斜め構造にするための廊下の歪みをお手洗いの中の壁が見せてくれてる。

厠に、昔の男性と女性の関係の「力学構造」が形になって残ってるって、何か、イイ。

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この家、

資料じゃない。住まいとして、使われて来たもの。

だから、いろんな改築をしてきた。

なるほど。。。住まうのは生身の人間。

寒ければ、暖房が欲しい。暑ければ、クーラーが欲しい。

よくバリアフリーなんかのユーザビリティの話で、室内の段差やキッチンの高さの話が出てくるけど、ここ、とりあえず、キッチンはいわゆる、古いキッチンセットが入れられていた。こういうのは、ダイレクトに人の「身体」に来る。腰を痛める。だから、変えざるをえない。住まいとして本当に住んでいた当時はいろいろ変えたけど。。。今はそれを昭和の最初に戻しているとのこと。縁側もサッシにしていたのを、木製にもどした。ガラスは、歪みのある古いものを、わざわざ取り壊し前の丸ビルから譲り受けたんだそう。
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もひとつ、すずめ的視点。

日本の家って、

畳で表される。この家もそう。

どの一間の押し入れ、縁側は4間だったかな。。(ウェブの図面、あとで見てみよう)

wikiによれば、この間ってのは、 

• 江戸間 - 1間=6尺。畳の大きさは5尺8寸×2尺9寸

• 京間 - 1間=6尺5寸。畳の大きさは6尺3寸×3尺1寸5分

で、イロイロあるけど、

畳サイズは今のマンションなんて、全然小さくなってると思うけど。。。でも、不思議と、ロジックは同じ。どの不動産広告も、部屋の大きさは「畳」で表されてる。

でもって、よーく見ると。。。どの部屋も、何となくこの畳の幅が廊下やトイレ、階段などの幅になり、同じ単位のマトリックスで家ができてるのが分かる。おかげで、どの部屋にも同じカーテンがかけられるし、ドアなんかもみんな既製品が使える。

ところが、面白いのは、縦の長さ。

キッチンのシンクの高さは、小津安二郎の映画麦秋にもでてきたけど、昔はもっと低かった。それが今は80センチとなり、最近じゃ85センチの方が良いなんてハナシもある。

もちろん、部屋の中の段差はバリアフリーになり、天井の高さも(その意味でこの江古田住宅の天井はとっても高かったので、びっくりだったんだけど)いろいろ変わってきた。(金融公庫なんかの基準に天井高もあるしね)

人は、家の縦方向については、いろいろ変えてきたけど。。。横方向のロジックについては、変えないんだなあ。。それは、人間の最低単位っていうのが、畳の大きさと合うからなんだろう。江古田の家の女中部屋は2畳。この広さがあれば、人は生活できるってコトか。

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そんな事を思いつつ、江古田邸で気づいたこと。

ここには、縦方向のバリアがたくさん作られていた。

縁側なんていうのは、その最たるもんだろう。居室ではなく、庭ではない。庭とは縦方向のバリアが作られているから。そして、居室ともほんの2センチ程だけど、やはりバリアが作られている。それから廊下、キッチン。。。このバリアによって、人は室内と外を分ける。

江古田邸では、この廊下のバリアはあったけど、男性と女性を分ける和室の間には段差は無い。このあたりの微妙さが人間関係だったのかもしれない。

家長であるお父様は、戦争に向かう中、家に防空壕を掘り、掘りごたつや暖房設備を整え。。。いざとなったら、ここに篭城できるようにしたとのことだったけど、それって、この家がお城だったってことだろう。そして、その住民たちの結束のためには力関係っていうテンションが重要だったのかもしれない。力関係が結界をつくり、その緊張感で守り合ってた。現在だけでなく、将来にわたって。。。。娘がふてくされて駆け落ちしたりしたら、成り立たないしね(^^; 

うーん。なるほど、建築って、おもしろいね。

人の肉体はみんな同じ。

これを、男性と女性で分ける、それで将来を担保する。それを力関係として具現化するものが、建築。

江古田邸をデザインした建築家は、それを意図して、押しつけたのか。。もしくは、ユーザの希望に沿う形で具現化したのか。

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でもって。。。それが、最初に書いた、中央である、千代田のお城なのか、東京駅なのか。。あの辺り、からほぼ同心円で等距離、にある。正確に言えば、10キロちょっと。それが、この時代のニューファミリーだったのか。

この距離は、歩いて行くには遠い。親しみを持つにも遠い。それが、個人の「城」と国との隔たりで。。。きっと、国にとっても、個人にとっても、いい塩梅の距離感だったんだろう。スープがしっかり冷める距離。100年前は4分の1。今は交通機関の早さは4倍。自転車は時速10キロ。車は時速40キロ。なんか、計算ぴったしじゃん。(嘘っ)

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そんな事を思いつつ。

帰りはちょっとだけ、哲学堂公園を見て、無事帰宅。


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39キロ!

すずめってば、偉いじゃん。

すずめの自転車は時速10キロっ♪

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コメント

mixiへのコメントに

>大正七八年ころの東京府の人口は230〜250万くらい。
周辺を含めても300万には達しないだろう。


というのをいただきました。


>日本の首都圏人口は3500万?。

おぼろな記憶だったんですけれど。。。

wikiで調べてみると


東京都区部の人口は883万人(2010年6月現在)であるが、昼夜人口変動を考慮すると、オフィス街の多い都区部における昼間人口ははるかに高い。東京都では約1,300万人、東京都市圏では定義にもよるが約3,400 - 3,700万人である。


っていうコトは、3700人

上で楕円リングで囲ったのは、千葉や埼玉、横浜も入ってるので、現在の『都市部』なので、この3700人圏

で、
かけ算してみると。。。

230x16=3680


きゃあ、すごい!
マジで16倍!

大発見!!!
2012年11月27日 20:51

投稿: すずめ | 2012年11月27日 (火) 20時55分

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