« 大飯原発停止のリスク | トップページ | 社会システムとゼマンティク すずめ的妄想 »

2012年4月15日 (日)

社会的ヒューマンエラー

少し前に11ヶ月の子が自宅のこたつの中で亡くなったという事件があった。原因や詳細は分からない。だが、この親は5時間、寝ている子を置いてでかけたという。

こういう記事がネットに出ると、その手の人たちの罵倒日記が並び、フレアする。確かに信じられないような怠慢だ。だが、本当にあり得ないことだろうか。
事件的には、類似のものがたくさんある。どれも、やってはならない事だと、100%の人が知っていて、しかし、やってしまったというものだ。たとえば、飲酒運転も麻薬も、強いて言えば、ほとんどすべての犯罪が該当する。100%の人がやってはならないと思っていても、つい、やってしまうことは、他にもたくさんある。遅刻も、食べ過ぎ飲み過ぎさえそうだろう。

こういうものをどう、防ぐべきかということを考えたとき、最終的にぶつかる壁がある。
決してゼロにはできないということだ。

犯罪というのは除外して、事故についてのみ考えると、
事故というのは、様々な偶然が重なって起きる。普通は起きない。だけど、或る偶然と或る偶然が連鎖してしまったとき、予想外の展開が置きてしまう。
横浜市立病院での患者取り違え事故も、取り違えを回避できる局面はたくさんあった。どれも小さなことだ。そのどれか一つで、気づいていれば、回避できた。
しかし、そのすべての局面で誰も気づく事が無く、事故は起こってしまった。
例えば、エレベータで看護師が二つのストレッチャーを担当してしまったが、たった二つしか無いストレッチャーの行き先を間違えるなんてありえない。この看護師にしてもそうだろう。一日に何回も、職業人としては何万回も同じような仕事をして、たった1度、間違えたのが、肺の手術と心臓の手術をする患者の取り違えだったのかもしれない。
取り違えた後、別の看護師が本人の名前を呼んで話かけたが、本人は別の名前を呼ばれたのに、「はい」と返事をしてしまった。それも、ふたりとも。
これも、ありえないことだ。
どれも、責めようと思えば責められる。取り違えが重篤な事態を引き起こすことは、十分知っている。

これがヒューマンエラーだ。ヒューマンエラーは防げない。
減らすことはできるかもしれないが、決してゼロにはできない。だからもし、これを限りなくゼロに近づけるためには、もっと別のアプローチ、フールプルーフなどによる、人を介在させないことによる方策が取られる。どう間違えても、絶対に、エラーが起きないような。
たとえば、三方活栓のようなアプローチで。

三方活栓のエラーについて
http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-49d7.html

さて、冒頭のテーマ、11ヶ月の乳児のケースにもどる。
5時間乳幼児を放置するというのは、普通なら考えられない。100%の親が、それをしたらどういう危険があるか、しっており、してはならないと思っている。
しかし、たとえば深夜は親も寝てしまう。4時間なんて普通に熟睡している。子供だってそうだ。普通は寝ている子を4時間やそこら、一人にしておいても、何も起こらないのだ。ここに油断が生まれても不思議ではない。
とは言うものの、この場合は8時から寝ている子を置いて家族(2歳と6歳の子を含む)は出かけ、深夜12時に帰宅したというものだった。こういう事をする親は滅多にいない。滅多にいないから、これまで起こらないケースだったと言える。
更には、この母親は若い。25歳で6歳の子どもがいるということは、10代で出産している。教育という意味で言えば、高校の技術家庭などの科目で子育てについて学ぶが、もしかすると、そういう事も無かったのかもしれない。25歳といえば、ほとんどの女性はまだ子供はいない。結婚すらしていない人の方が多く、学生もいるだろう。周りは深夜まで外出している人が多いかもしれない。その中で流されてしまったという可能性もある。
こうした事を防ぐにはどうしたらよいか。
防ぐと言っても、非常にまれな事故だ。要するに0.000,,,,1%しか無い事故をゼロにするにはどうしたらよいかということになる。

普通は起こらない。普通はこういう人間は存在しない。そのために、母親学級なり、学校教育がある。でも、起こってしまう。事故につながるか否かは別にして、同様の事を重ねる親はこれからもいるだろう。減らせることはできても、決して、ゼロにはできない。

社会は、こういう親が生まれないように、様々な手はずをたてるが、どんなにやろうとゼロにはできない。

これは、
社会的ヒューマンエラー
と呼べるのではないだろうか。


ヒューマンエラーには、個人や組織内の要素に帰着するものだけでなく、
犯罪やドロップアウトする人間が常に社会の中に存在してしまうのと同じく、
決してゼロにできない事に起因するエラーがある。
たとえば、このケースがそうかもしれない。


そして、この社会的ヒューマンエラーを防ぐのは、
やはり、社会的インフラ(産業/製品設計も含む)なのでは?

それが、次世代のユニバーサルデザインかもしれない。

|

« 大飯原発停止のリスク | トップページ | 社会システムとゼマンティク すずめ的妄想 »

ユニバーサルデザイン/ロービジョン」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1210811/44889876

この記事へのトラックバック一覧です: 社会的ヒューマンエラー:

« 大飯原発停止のリスク | トップページ | 社会システムとゼマンティク すずめ的妄想 »