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2012年2月26日 (日)

対決 巨匠たちの日本美術

もうひとつ、
これも、昔の日記。2008年の8月のもの。
当時、巨匠たちの日本美術っていう展覧会があって、ナカナカよかった。

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対決 巨匠たちの日本美術

行って来た。


これをきちんと一つずつ語るのは、どなたかにお任せするとして、
私は断片的な印象をぼつぼつと。


先ず、一番印象に残ったもの。
というか、
ワタシ的に大発見があった。


今回、応挙ともうひとつ、めっけモノが、長谷川等伯の萩芒図屏風
萩も良いが、ススキが良い。

http://blog.goo.ne.jp/hps_tokyo/e/5055bbf1a326001bfb86c142687202a3

金箔は空気を感じさせない。
空間も。
本来、不透明に、対象物を写したものとしてではなく、「金」としての存在を全面に出す画材だ。
美しいが、金は永遠に金でしかない。


しかし、ここに存在しているのは何だろう。
ふんわりと、心象のような「静」の存在感。

空気があり、風があり、
そして物語を紡ぐ空間がある。


一方の永徳も美しい。


この隆々たる木を描いた屏風は、よく、等伯の同じテーマのものと比較される。
私が中学で初めて見た等伯もそうだった。
永徳の檜図屏風に比されたのは、この松風図じゃなくて、楓じゃなかったか。。。

と思って探したらあった

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/53877960.html

うーん。これだったかなあ。もっと、右側?に大きな幹があった気がするけど。。。これかもしれないけど。
もっとそっくりな構図のがなかったろうか。
(ご存知じゃありませんか?)


永徳の話に戻るけど、

じつはもっと精密に描かれてるのかと思っていた。
細部を見て、大胆さに驚いた。もちろん、絵そのものが大胆なのはそうなのだが、
ここまでとは思っていなかった。想像以上に荒削りだ。
円空を見た後、円空の彫り筋と似てるとまで思ってしまった。

正直、雑、一歩手前?

金箔の上に、
太い丸筆で描いたのだろう。
太い幹の左側の輪郭。力を込めて一気に?
この円弧は、永徳の肉体を写している。
肘から手首までの距離を半径とした曲線だ。
下半分は、その円弧を外回りに使ったのだろうか。
息を止めて?

そんな呼吸と、筋肉の動きが伝わってくる。

自分の肉体の形を隠した等伯の円弧
二つを比べると、本当におもしろい。


帰りの電車でもう一度考えた。

この作品群。
本当は絵画として描かれたのではないのかもしれない。
寺院や城の一部として。。。?
だとしたら、もっと違う意図や形があったのだろうか。
光線は、自然光?
きっと、美術館のように全光ではなく、片方から当るのかも。
金の暗い部分と明るい部分、この差がまた、新しい空間を作ったりするのでは?
金箔の細部はどう、映るのだろう。
時間によって、グレアのように光る?

そうだ、夜!
夜はどうなのだろう。
蝋燭の光のゆらぎの中では、もっと違う?
きっと、灯火を反射させてより明るく照らす?
この絵の前でお酒を飲むと、
その灯火は、どこに当たるのだろう。。。


うーん。想像することしかできないけれど。


応挙


応挙にはそんなに関心があったわけではなかったのだが、
宗吉さんの、


http://mixi.jp/view_diary.pl?id=887212105&owner_id=5136056

特に最後の方、

http://yozan.up.seesaa.net/image/C9B9BFDED6A2C9F7.jpg

もう、こんなもの、見てしまったからには、惚れないわけにはいかない。
いやあ。本当は、前から好きだったんだけどね。なんて言い訳しながら。

今回、釘付けになったのは、
宗吉さんも紹介されてる

保津川図屏風

http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/2007/08/post_df0a.html

宗吉さんの日記では続けて掲載されていて、そっちの方が良い。
上のウェブは参考までに。


宗吉さんの言葉を引用

ちょっと小さくて残念だけれど、保津川の流れが、水というよりは
粘液のある、まるで生き物のようにうねり、盛り上がり、激しく
のたうっている。そこには故事の由来などはなく、ただ、ただ、
保津川の流れを応挙の目を通した印象として描かれている。
だから僕たちも、絵そのものを見て、素直に感じればよい。

引用ここまで

>保津川の流れを応挙の目を通した印象として描かれている。

まさに。

自然の存在感は、何も、人間などが介さないでも、それだけで、圧倒的なものだ。
これに、ちっぽけな人の感情だの思想だの、かぶせた所で何になろう。
人は、一生をかけて、自然を写すだけで、全うできる。人の技術はその自然を写すだけの為に、どんなに切磋琢磨しても足りない。その技術だけを追求しても、価値がある。
応挙は、それを体現している。

>水というよりは 粘液のある、まるで生き物のようにうねり、

実は、私は、ここで、大発見をした。
って、大風呂敷な言い方だけど、
ワタシ的には大発見。

これ、粘液にしたのは、応挙の創作じゃあない。
水の物質、そのものを「写した」
その形が、これ。

これ、
写真とそっくりではないか!
シャッタースピードを遅くして、水を写すとこうなる。

応挙は、それを網膜で見たのではないだろうか。

究極の写実。


前に、「写真が趣味のどなたか」が、
日本の遠近法の無い、構図に対して、
「鳥が舐めるように見ている...視点の移動」
とおっしゃっていた。
それとも似ているかもしれない。
この視点の移動っていうのも、久々の大発見だったけど、
時間と空間と視点。
彼等が、どう、こういった回路を編み出していったのか。

面白すぎる。

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