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2011年11月23日 (水)

被曝マリアの少女

これは2008年8月12日の日記の転載です

日曜日、出がけだったのだが、
興味深いものを見た。

実は時間を見ようと、テレビを付けたらやっていたので、どういう番組だか分からない。
前半は見ていないのだが、
ネットでさがしたらあった。

http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_e840.html

(以下引用)
「追跡…消えた“被爆浦上天主堂保存計画”」長崎で戦後、被爆し た浦上天主堂廃墟を悲劇の象徴としてそのままの形で残そうとする動きがあった。だが進められた計画はある事をきっかけに急転頓挫。なぜ語り継がれるべき負 の遺産は失われたのか?鳥越が鍵を握る米国で追跡。真相に迫る

上のURLのページには、この番組の詳細が紹介されている。この番組は、前半に特攻隊関係のものをやり、後半に私が見た被爆マリア像の件をやったようだ。

URLのブログの下の方には、上の引用の他に非常に詳細に、興味深くレポートされている。
(ページの下の方なので、是非)

こちらはテレビ局のサイト

http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/


被爆マリア像。
何日か前、どこかの民放で、長崎の被爆3ヶ月後に撮影された映像をもとに追跡した番組をやっていた。
その背景に見た像。
インパクトのあるものだった。
被爆マリア像。

ミケランジェロのピエタを思い出すような端正な顔立ち。
少女のようなふっくらとした輪郭
それに、オレンジ色の照明が当たっている。
その右頬は焼かれ、目の中はうつろに穿たれている。
しかし、その傷もその美しさを損なうことはなく、
静謐に、微笑んでいる。

何て美しいのだろうと思った。


ネットを探すとこういう画像が出て来る


http://homepage1.nifty.com/sawarabi/5hibakuseibo.htm


私が感じた像とは随分違うが。。。
(もっと、柔らかな、温かい光の中だった)


この像にまつわるドキュメント。

この像は、長崎の浦上天主堂にあったものだ。浦上天主堂は原爆ドームと同じく、原爆投下地点のすぐそばにあった建物だ。永井博士の本にも出て来た。
しかし、考えてみると不思議と、この画像が記憶に無い。
ドキュメントはそれを明かしてくれた。

詳しくは上記のURLにあるが、
戦後、この浦上天主堂の保存計画があった。しかし、取り壊されてしまった。
その理由は。。。

長崎は、古くからキリシタンの歴史がある。日本の布教の拠点でもあり、多くの信者が殉教している。
アメリカは、そんな長崎の歴史を知らずして、投下地点に選んだ。

キリスト教徒への原爆投下。
これを、アメリカ国内の、世界の世論が許すはずが無い。

だから、アメリカは、長崎のキリスト教をイメージさせるものをシンボルにしたくなかった。
浦上天主堂は壊され、建て直されることになった。


その中、
司祭?がこっそり、その頭部だけを持ち帰り、保存した。
しかし、そういう経緯があり、ずっと隠されていたようだ。
1990年、それが浦上天主堂への寄贈という形で送られ、今も展示されている。

(すずめがバタバタしながら見てたので、もしかして、違う部分があったらご指摘ください)

ここにも、
国と国の軋轢によって、
取り返しのつかない事をしてしまった歴史がある。


壊した市長、
壊したあなたを悪いとは思いません。
もう、戻って来ないんだから。
アメリカのえらい人たち、
私たちは、
あなたを責めません。
だから、
お願いです。
被爆マリアを、
私たちが平和を願うシンボルにさせてください

被爆マリア。
すずめにはあなたが、宗教のシンボルであったことは、ちょっと残念です。
きっと、何人かの人は、祈ることができないから。

きっとあなたのモデルは、どこかの少女なのだと思います。
あなたと同じ、ふっくらした頬を持った。
もしできるなら、
あなたに、もとの少女に戻って欲しい。
あなたがただの少女だったなら、
人間たちの軋轢の犠牲になることは無かったのに
少女にもどりませんか?
私たちは、宗教だの政治だの
関係なく、
美しく清らかなあなたを
愛しますから。


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バカになる意味


以下にでてくる「バカ」という言葉には特殊な意味を持たせています。
こちらからご覧下さい。
二日前の日記 「平和バカになりたい」

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=898218055&owner_id=12848274

をご参照ください。
ご賛同いただけましたら、
もれなく、バカの印もプレゼント
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=898896306&owner_id=12848274&org_id=899493858

------

昨日の続き

昨日書いた番組の中には印象的な記事があった。

永井博士の本、
長崎の鐘

これは戦後GHQ占領下に発行されている。
このころ、アメリカでは、原爆に関する様々な情報統制が行われていた。
たとえば、被爆地に放射能の影響は無かったなど。
だから、こうした本が出る事は許されなかった。

しかし、なぜか、許可された。
番組では
その許可を求めた報告書が紹介されていた。

この本の中には
「原爆は自然の摂理である」
という言葉がでてきて、原爆をアメリカの攻撃とは表現せず、
天災と同じような災害であると表現している。
もし、こんな本を発行するなら、GHQの占領下である今の方がいい。
そして、この本には、長崎の鐘と、マニラの悲劇 と抱き合わせることによって、出版を許可された。

マニラの悲劇 ?
調べると、出て来た。

以下、引用

長崎放送2000年放映、報道特別番組「神と原爆 浦上カトリック被爆者の55年」
(中略)
軍関係者の証言から、その裏面ともいうべき事実が明らかになっていく。『長崎の鐘』には、永井医
師執筆の本文とその7割近い頁の付録「マニラの悲劇」が付いていた。原爆を天災のように扱って
いることから、日本人のアメリカへの反感を消すことができる。「マニラの悲劇」は、日本軍のマニ
ラのキリスト教徒殺害行為を公にすることによって浦上カトリック教徒への原爆投下を正当化でき
る。この二つの理由から3万部分の用紙が提供され、出版が許可されたというのである。多くのカ
トリック被爆者は、その後長い間、「神の摂理」による呪縛から逃れられない日々を送ることになっ
たという。


http://dmituko.cocolog-nifty.com/ippakunotabiyokohamae.pdf


なるほど、興味深い。

すずめは、バカとしてこれをこう、解釈したい。

おそらく、この時、GHQの中にも、この本をどうにかして、出版したいと願う人がいたのだろう。
戦争の禍、原爆の悲劇を、後世に残したいと。

彼も、バカになる事を考えた。

アメリカが悪く無いようにするにはどうしたらいいか。
「神の摂理」という逃げ道をアドバイスした、誰かがいたのではないだろうか。
そして、永井博士もバカになった。

そして、マニラの悲劇を付け加えたバカもいる。
長崎の鐘のために、マニラの悲劇を書いたバカもいるのだろう。

もしかして、これを許可したGHQの中枢も、バカになってくれたのかもしれない。

そう、こういうこと、悪意で考えるのと、そうでなく、みんなが、志を持ってやってくれたのだと考えるのと、全然、見えてくる物が違う。こんな風に見た方が、もし、私たちが、何かを本当に変えたいと思った時、どうすればよいか、分かってくる。


誰も悪くない。
そう思えば見えて来る道もありそうだ。
確かに。

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