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2011年11月17日 (木)

告発系。。。。。戦闘記録


さて、次のセッション。
すずめと仲良しのおなじみ?ウッチー内部告発系産婦人科医師。

今回のテーマ。
「医療崩壊は本当に起こっているか?」
今、医療系メーリグリストのトレンドは「医療は崩壊しつつある」説。その中で、異端でもある。

去年だったか、虎ノ門病院医師でもある小松秀樹氏によって、
『医療崩壊-立ち去り型サボタージュ」とは何か』という本が出版された。
以来、医療系報道のトレンドとなってしまった。

氏は先ず、ウィキペディアを引用して語る。

ウィキペディア、みんなで作る辞書。
ご存知、世界中の人の叡智を集めて、供されるモノだ。

だがしかし、このウィキ。
落とし穴もある。誰でも描けるのだ。次に引用する、「医療崩壊」の項目も、だれだか分からない、「誰か」が個人的に書いたものだ。たとえば、ウッチー氏も、ウィキに載っている。
そのアタリは、昔のすずめ日記参照

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=581964536&owner_id=12848274

という事をふまえて、
(要するに、ウィキ、信じちゃイケナイよってコトで)

氏は「医療崩壊」の項目から、以下を引用。


捜査・司法機関による刑事立件・訴訟
医療行政
初期臨床研修義務化
マスメディアによる恣意的報道
患者のモラルの低下
女性の社会進出
市民団体
立ち去り型サボタージュ

------
(ウィキペディアの中から崩壊の理由となったとされる項目のみを列挙した)
http://ja.wikipedia.org/wiki/医療崩壊  参照


氏はもっといろいろ語られたのだが、その一部をご紹介。


先ず、
崩壊させた理由が、
「捜査・司法機関による刑事立件・訴訟」

こんなのが、「崩壊させた」とるすのは、とんでもないことだ。
確かに、多くの医師たちは、誠実に仕事と取り組んでいる。しかし、そうではないものもいる。その中で、もし、確かに間違っていて、なおかつ、立件され、訴訟にまで持って行けるような論理性のある非もあるのだ。しかも、それが間違っているにしろ、合法であるにしろ、司法の場で明らかにするのは、あたりまえのあり方だと言える。それが「医療を崩壊される原因」とするのは、おかしいはずだ。

たとえば、それはこういう形となって使われる。

ある、医師が逮捕された事件。
彼の起こした事故は、防げなかったものなのか。
その答えとして、一人医長(他に助けになる人がいない)の問題があり、それに耐えていた。という理由が上げられる。
確かに、彼個人として、そういう言い訳は筋が通るだろう。しかし、なぜ、では外部の医師をサポートとして入れなかったのか。
そういう判断が間違っていたのかどうかという議論より先に、
「私は、もしその医師が有罪になることがあったら、私も医師を辞める」的な発言を言い出す医師もいるのだ。
今、医師が少なくて困っている分野で医師に辞められたらみんなが困る。
被害者は、何人もの医師を辞めさせた悪者にならない限り、何をされても、訴えることができない。

それは、被害者にとってももちろん、誠実に質の高い仕事を全うしている医療者にとっても、理不尽なことではあるまいか。

こんなコト、なかなか言えない。
ウッチー医師のステキ?な所は、こういうのを、反撃を恐れず、金沢弁で言えちゃう所だろう。
さすが、内部告発で鍛えてるだけある。
実は氏が主張されていることは、ある具体的な事例が背景にある。
「なぜか偶然にも?」それが、ウィキには載っている。

ーーーーーー

「なぜか偶然にも」としたのは。。。。


氏は、その手の関係者なら、目撃?されたことがあるかもしれない。
ネット上で、その議論をくり広げ、何人かのネット系医師たちから、相当のバッシグを受けた経歴があるのだ。
ある大手の企業系コミュニティは一時閉鎖にもなった。
もしかして、「偶然」同じ系統の人物がウィキのこのページを書いていたら、
「偶然」同じ背景も書かれるかも?
っていうのは、すずめの勝手な妄想なので、スルーするとして。


でも、ちょっとこれまでのすずめ情報を補足しとくと、

ネットでよくある、個人の書き込み。これが医療の世界で大きなトレンドを作ってしまっている。
たとえば、東北地方で起こったある事件。ニュースが出ると、たちまち、メーリングリストでも広がった。一部の医師たちは、エイキサイト。運動が始まった。しかし、この時点で、ニュース報道から何日も立っていない。まだあまりその真相が明らかで無いにもかかわらず、瞬く間に膨大な量の署名があつまり、医師会さえも動いた。
彼等の行為は正しいのかもしれない。しかし、その活動が始まり、多くの人が賛同した時点で、明らかに成っていた事実はわずかであり、その運動の正当性を判断する情報にも乏しかったのは事実だ。
実際、この時、ニュースでは、手錠をかけられて運ばれる医師の映像が繰り返し流された。これを誰もが、「病院から手錠をかけられて搬送される映像」と理解したろう。しかし、それは警察から検察へ運ばれる時のものだったのだ。白昼公衆の面前で手錠をかけられるのと、任意出頭した警察から検察へ運ばれるのとは意味が違う。
そんなことが、今、やっと、司法の場で明らかになりつつある。


やはり、ウッチーの主張したことは、一理あったと思う。


しかし、ウッチーバッシングは止まらない。
患者と医療者の諍いを望み、煽っているようにすら見える。患者側につく裏切り者としての位置づけにされてるのだ。
書き込みをする医師(おそらく)たち。
すずめの印象では、量的にはかなりあるが、実はそんなに多くの人たちがいるわけではなさそうにも見える。ここだけの話、このハンドルネームは、この人、これはあの人。。。と当たって行くと、かなり重複している。


しかし、それを鵜呑みにするメディア。
それを信じる大衆。

「医療崩壊」
確かに、ある部分は、崩壊しつつある。

その象徴として、今、世間で盛んに言われるのが、
クレーマー患者。

この言葉、ネットやメディアによって、喧伝されてきた。
今、それが、医療の方向性をも変えようとしている。


彼等は、本当に、医療を崩壊させるほどの力があるのか?
そんなにたくさんいるのか?
昔はいなかったのか?

逆にすずめは思う。
もし、本当に、たった何人かの患者個人が、医師を退職に追い込む、病院を廃業させる程のキャンペーンなり、暴力なりを行使する事が可能だったら。。。その病院、医師は、相当酷いんじゃないだろうか?

クレーマー患者によって、つぶされた病院なんて、本当にあるんだろうか?
マクドナルドだって、コンビニだって、そりゃ、相当のクレームに合ってるに違いないし。

こう言うと、
「そうじゃなくて、産婦人科医のなり手がいなくなる」っていうことだ。
とおっしゃるかもしれない。
でも、モンスターってここ何年かに出て来た言葉。増えてるっていうのも、ここ何年か。医学部の学生たちが、それに反応した?
だとすると、一昨年、去年の新人医師がいないだけで、それより前の医師はそのままいるはず。

それとも、医師を廃業してるわけ?
ドクターを辞めて、塾のセンセイとか?実業家になってたり、トヨタに勤めたりする?
(このハナシはまた後で)

医療崩壊の真実は何なのだろう?
少なくとも、ウィキで上げられた項目のすべてが当てはまるワケじゃなさそうな気がする。
特に、医師と患者の軋轢が起因するようなのじゃなさそうな。
あれは、真実なら、訴求すべきだと思うが、
本当に真実なんだろうか?


すずめ的には、これ、次のトレンドだと思った。

しかし、惜しいな。
「医療崩壊」「クレーマー患者」
小松氏の作り出したトレンドは、とても明確で、インパクトのあるキーワードを持っている。
ウッチー医師のキーワードは何だろう。
これを考えなくっちゃね。
なーんてぼーっと思ってたすずめでした。

ーーーーーー


しつこく、続きです。


さて、この日の飲み会、
すずめ的には二つのテーマがあった。

先ずは医療崩壊のテーマの続き。
(中に出て来る数字などは、その手の専門家が言ったことですが、調べ直していません。酔っぱらった上ですので、もしかして、多少不正確な所はあるかもしれませんが、まあ。概ね路線としては正しいと思います)

すずめの疑問。

本当に、医師の「立ち去り型サボタージュ」はあるのか?

「本当に、廃業している医師はいるのか?」
実はいない。
立ち去り型が何を意味しているかというと、勤務医から開業医になっているのが、増えている。
その数、2万人。
医師の総数が25万なので、2万というのは由々しき数。

って言う事で、ここからはすずめの見解。
この数字、本当に大きいのか何なのか、正確な所は分からない。彼等の言うように、とんでもない数字だとしても、
これをもって「立ち去り」というのは、大病院の経営者に取っての視点だ。
ユーザにとってはどうだろう。

混雑する大病院。3時間待ちの3分診療。しかし、込み合う原因の何割かは、そんなに重篤ではなく、街の開業医でも十分な物も多かった。そこで、何年か前から、紹介状を持たないで行くと、3000円とか?別途取られる仕組みになった。
家庭医との連携が推進されている。


しかし、普通に考えて、この選択、医師にとって、「サボタージュ」なのか。
勤務医に比べて開業医は、もちろん、その地域や経営にもよるが、収入が多いと言われる。
もちろん、初期投資は大きいだろう。土地建物などの確保に加えて、高額な機材などもある。
だから、全員が勤務医が辛いと思ったら、莫大な費用を投じて開業医への決断をするとは思えないが、そういうのもアリのはず。
そして、この傾向が進めば、開業医はどんどん増え、飽和状態になる。。。?
そんなバカいないだろう。開業するなら、少なくとも、地域にどれだけの患者がいるか、その年齢層、ライバル医院との距離とシェア。ちゃんと計算して決めるに決まってるじゃん。飽和じゃないからこその、開業。
そのどこが間違っていて、「サボタージュ」なのか?
ユーザにとっても、大病院ばかりが良いわけではない。

それでも、この傾向が進んで、飽和の時代がやってくるにしても、(歯科がそうだと言われるが)そうなれば、みんな大病院に戻るだろう。
そりゃそれでいいじゃん。ダメ?


って、ここまでがすずめの見解だが。

「そうだとしても、弊害は大きい」という。
今の救急などの体制は、「病院」が担っている。開業医はそんなことをやってるところはわずか。
でもまあ、この救急たらい回しっていうのは、今に始まったことじゃない。何年も、何の進歩も無く存在し続けて来た問題に過ぎない。

ってなコトを飲みながら語るおじさんたち。

まだまだ、夜は続く。

ーーーーー


しつこすぎですが、つづきです。

勉強会の中で、パネリストの医療弁護士さんがおっしゃってたが。。
「医師の量を増やせば、質が下がる」
このセリフ、意味が分からない。

もちろん、医師の量を増やせば、いろんなのが増える。パイが大きくなれば、バリエーションだって増えて当然だろう。だが、それを称して、「質が下がる」と言えるのかどうか。

では、医師を増やすということは、どういうことか。
今、受験制度では学校で、勉強のできるヤツが上から医学部に行く風潮がある。たとえば、上から3番までの子。これが、じゃあ、極端に言うと、真ん中以上の子が医学部に行けるとする。
その結果どうなるか。。。。授業についていけないでドロップアウトする子たちがゾロゾロ出るだろう。もちろん、国家試験にも受からない。

しかし、それって、案外良いかもしれない。今の制度では医学部に行った子のうち殆どが医師になる。だから、一般産業界には、医学部出はそんなにいない。ドロップアウトしたって、企業ではいろんな活躍の場があるだろう。
何よりも、入学試験/センター試験による選別よりも、「授業に付いて行けない」「向いていない」というドロップアウト/方向転換の方がよっぽど良いんじゃないだろうか?
だって、センター入試の高得点がイコール医療の適正じゃないことは自明だ。

それを聞いて、ネットの人気者、熊医師は言う。
かれが東大の2年のころ、大検が始まって、その一期生が入って来た。で、彼が偶然、その世話人になった。
その子、とんでもないヤツ。今で言う、KY。どころか、それ、マジ?ビョーキ?って感じ?
いわゆる、社会性がなってない。医師にはコミュニケーション能力が重要なのに。
ってコトでされている各地でのいろんな試みを話してくれた。


いろんな問題がある中、これを変えていくにしろ、何にしろ、余裕がなければ、そんなこと、考えることすらできないだろう。
先ずは人数を増やせないんだろうか。
早急に。
この、人数を増やすという話をすると、必ず、今から医学部の入学者を増やしても、彼等が医師になるのは、最低で6年後。実際はもっと後。っということになる。でもさあ、過重労働の話だの、何だのって、大昔からあって、なのに、今更増やしても間に合わないってコトで、増やさなかったんじゃないの?2年ほど前もそういう報告書でてなかった?だったら、シノゴノ言わないで、今から増やすしか無いじゃん。その上で、後で考えれば~?

だって、医学部出たって、医師にならなくていいじゃん。
企業に入っても、有用な人材だろうし、その知識は今まで企業内になかった専門性なんだから、貴重なはず。逆に、医療現場以外に医学を学んだ人間がいないっていうのもおかしい。
もっと雑多になっていいはず。


ってすずめは能天気に言うが、医学部の学生を一人育てるための国の負担、ものすごく大きいのだそうだ。だから、そう、簡単にはできないんだってサ。
。。。。でも、待てよ。
確かに国立大学は分かるけど、私立はどうなんだろう。
それに、国立だって、今の医療が抱えている問題、人が増えれば大きく前進するだろうに。先端医療ナンタラにつぎ込んでるのと比べると、どれほどの負担なんだろうねえ。


そんな事を話しながら夜は更ける。。。(けど、明けてません)


ーーーーー

(ここ何日か、続けて書いてる続き)

しつこく続いたラスト。

もう一つ、この夜のすずめのテーマ。

一軒目ではN女史とまったり語り合った。
プラス、何人かの医療記者と、めぐみ在宅(ホスピス医)のO医師。
(なんとまあ、シンポジウムでも開けちゃうような顔ぶれだ)
彼女は、乳がん患者組織をやっている。
そこが取り組んでいた問題。
「乳がん 再発後を生きる」

がん患者と言っても、再発後と、まだ、なったばかりでは大きな差がある。
発見され、最初の治療後はまだ、完治の可能性は大きい。しかし、(これは彼女の言葉だが)再発後は『治る』ということは、あり得ないということをみんな知っている。
その状態で、どう、「生きる」のか。

もちろん、それは人それぞれ。
しかし、一環して言えるのは、
彼女らは、「病人」ではなく、最後まで、生活をして生きているということ。

今時、世間でよく言われるような、ボロボロになっても抗がん剤に耐えて行こうという人はいない。それも選択肢の一つととらえているだけだ。
もし、この薬が辛くて、3日寝込むようだったら、生活の質が下がるわけで、止める選択肢をする人も多い。

だが、その一方で、本人も癌体験者の記者は言う。今考えればおかしいと思うような治療を受けて、後悔している患者も相当数いる。癌だというと、周りにはいろいろ非科学的な事でも、アドバイスしてくれる人もたくさんいる。もちろん、好意で。わらをもすがる想いで、受け入れるのだろう。

確かにちょっと前まで、いろんな問題があった。
例えばモルヒネへの偏見の問題。今はいろんな賢い使い方もある。
O医師のお話だと、モルヒネの量を増やすのではなく、他の薬を少し足すことによって、押さえられないとされていた痛みも90%は取ることができると。
それはやはり、すごいことなのだというN女史。
癌は痛みで、七転八倒して死ぬというイメージがあり、それが怖い。
しかし、それが90%無いというのは、患者にはどれほど希望の持てることか。

すずめも考えさせられることがあった。

それでも最後は、どうしようもなく、セデーションを選択する場合もあるという。
N女史の話では、
痛みに対して、もし、取れたとしても、「倦怠感」というのはどうしようもない。
それは辛い。どうしようもない。そういう選択をしたくなるのも分かると。

セデーションとは、鎮静させて、眠るように亡くなる薬を選択するということだ。
O医師はどうしてもそういう状態を選択せざるを得なくなった時、(もちろん本人も同意して)
家族には、「もう、お話しできなくなるかもしれませんが」と言うそうだ。
そして、最後の選択をする。
もちろん、これも選択肢の一つ。


これを聞いたすずめの感想。
しかし、答えの無い。

N女史の話、記者たちの話。
「生きる」ことへの活力を感じる。
その中でのセデーション。
もし、これが、こういう問題と無関係に、単なる哲学の話としてしたらどうだろう。

たとえば実存主義。私たちが高校生のころも、流行っていた。
人は、生まれることを自分の意志で選択できない。
しかし、「死」は選択出来る。

だとすると、セデーションとは、究極の、非常に正当な選択でもある。
だから、その形は、ある意味で、理想であるのかもしれない。
(もちろん、高齢での癌も多いのだから)

しかし、この「生きたい希望への活力」の話をした後では、
何か、どうしても、飲み込めないのだ。

もちろん、
飲み込めないなら、セデーションは選択しない。
そういう事に過ぎないのだが、
何か、喉にひっかかるものがある。

という夜話。

この日は、車で来てたHさんにN女史といっしょに送ってもらっちゃった。
アルファロメオだっけ?なんか、すごい車。

朝までいなくても、そういう手もあったな。

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