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2011年11月23日 (水)

蒟蒻ゼリー販売停止は正しい

蒟蒻ゼリー、販売の見送りは正しい。
というより、この姿勢が、私たちの住む日本のスタンダードだ。


ミクシーの日記、これを書き始めている時点で、1000件をこえている。
すごい関心だが、どれも、「飴や餅も禁止しないのにおかしい」だ。
君たち、おかしいよ。

■こんにゃくゼリー、消費者団体が「販売見送り」求める声明
(読売新聞 - 12月01日 19:18)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=683110&media_id=20

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っというワケで、すずめの大好物、蒟蒻ゼリーが入手できないのは、あまりに残念だけど、
ユーザビリティの観点から、ここは我慢。

世の中には、危険なものはたくさんある。しかし、製造者はその危険に責任を持たなければならない。
責任を持つと言っても、健康な子供の命だ。持てる物じゃない。だったら、それを回避する形にしなければならない。それができないなら、売ってはいけない。
そういう経緯で売られなくなったものは数多ある。世に出る前に危険ということで、ボツったものも星の数ほどあるだろう。
そんなもの関心のある人は少ないだろうが、蒟蒻ゼリーは別。だっておいしいもん。って、おかしいよ。
今まで、柔らかくするだの、形状を多少変えるだの、いろいろ試みられていたが、やはり,ダメなのだろう。売れる「設計の質」には達していないのだ。

蒟蒻ゼリーちょい、パタパタしてみた。

市場規模は100億円
95年以来、過去13年間で17名が死亡

もちろん、食物による窒息はこんな数字じゃない。2005年のデータでは4485人。
しかし、こんなものと比べて良いハナシなのだろうか。


ところで、ちょっと前から、食に関するニュースが飛び交っている。
雪印、不二家、吉兆、汚染米...
どれもフザけた話で、許し難い。だから、雪印も、吉兆も潰れて当然なんだろう。(実はすずめはそうは思わないのだが)
しかし、よく考えると、どれも、死者なんて出ていないし、余程の稀な偶然が重ならない限り、死者を出す程のことにはならない。汚染米も、毒性は低いし、雪印のも、お腹を壊すという程度だろう。致死的な要素は無い。

これだけじゃない。もし、製品の中に、ほんの小さな金属片でも入ろうものなら、同じラインで作ったすべての製品は即日回収だ。何万袋というポテトチップスが、小さな金属片が入っているという「可能性」だけで、廃棄される。
これが、当たり前の日本の市場のレベルなのだ。

その日本で、こんにゃくゼリーは、死者を出した。
そして、原因は、消費者が「凍らせて食べるな」と書いてあるにもかかわらず、凍らせて食べたこと。もしくは、高齢者や子供は気をつけろと書いてあって、気をつけなかったことにある。
しかし、メーカーはそれに責任は無いのか。

ある。

なぜなら、

子供が喜ぶ味になっている。
子供や高齢者が食べるお菓子と同じ流通で売られている
凍らせるとおいしくなる
凍らせやすい形になっている。

そして、
窒息しやすい量/形状になっている

これは、設計/デザインの問題だ。
もし、蒟蒻ゼリーにお酒が入っていたら、子供は食べられないし、親も管理するだろう。
ワインのような味だったら、子供はおいしいと思わない。こっそり食べたりもしない。
売られる流通も違う。酒類を乳幼児のいる家庭で管理するのは当然だし、誤飲を避けるようにするのは親の注意義務と言ってもいいかもしれない。(もちろん、メーカーも子供の気を引いてしまわないデザインにしなければならないが)

もしくは、凍らせると、破裂する、不味くなる。そんな設計にするとか。
(そんな事をすれば、商品力は無くなる。)
そして、結果的に、少々の怪我をしても、最低限、「死ぬ可能性の無い」設計にする。それだけは守らなければならない。


これは、長い間かかって、日本の消費者が戦って、勝ち取った権利だ。
それが、日本のスタンダード。
そんな大切なものを、「おいしいから」
飴や餅はオッケーでヘン、などという、短慮で蔑ろにしていいのか。


年間100億円の市場を封じる命令をする業界団体
それに従う企業。
この時勢で、ぎりぎりの苦しい選択だと思う。
しかし、それを貫く姿勢は、評価したい。
日本の企業はすばらしい。

長くなったので、
飴や餅の話は明日。

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これは、一つ前の蒟蒻ゼリーについての続きです。


この問題の本筋は一つ前に書いたことで、他の多くの人が引用している餅や飴っていうのは、ハナシが違うので、いっしょにしたくないので、別に書く。

餅は日本の伝統食であり、喉に詰まらせると危険ということは何百年も前から認知されている。
それでも事故は後を絶たないが、これを禁止することはできない。

餅は、材料であり、その調理方法は調理する人の責任だ。
そこは「製品」と大きく異なる。(PL法でもそうだ)
製品の場合、作った人間の設計通りに、使われる。パックの牛乳はコップに注がれて飲まれるし、ペットボトルは口にくわえて飲む。あたりまえだが、そう,考えてデザインしてある。
だから、その設計が危険な物であってはいけない。こぼすことがある位なら良いが、死ぬような事があってはいけない。


餅がいくら伝統食とはいえ、本当に危険なら、自然に誰も食べなくなるという形で無くなる事もあるだろう。
たとえば、餅の食べ方には、「すする」という伝統的な形もあるそうだ。柔らかい餅をすするように飲んでいくらしい。
相当危険だ。だから、ほとんど知られていない。おそらく売ってもいないだろうし、食べさせる店舗も無いのだろう。
伝統食の餅とはいえ、こういった、あまりに危険というのがあらかじめ分かっているものには、相応の対策をした上でないと、商品にしてはならない。(すずめがエラそうに言うまでもなく、当たり前に世間の常識だ)
そして、もし、餅を、もっと柔らかくして、ツルンと一口で入ってしまうような形状にして、商品にしたら。。。やはり、同じ危険があるだろう。餅メーカーの中ではそういう商品アイデアもあったこともあるかもしれない。しかし、もちろん、危険ということで却下されているんではないだろうか。(これはすすめの妄想)

飴にしてもそうだ。
喉に詰まらせる危険というのは、親なら誰でも認知している。だから、小さな子供に与えても安全なように設計されているのもある。小さな子にはペコちゃんキャンディやアンパンマンのパラチノースキャンディって、親たちはちゃんと知っている。

飴は「製品」だから、そういう設計上の配慮があってしかるべきなのだ。
飴ばかりじゃない。私たちの周りの製品には、いろんな配慮がされている。


たとえば、おもちゃには、安全基準がありSTマークが付いている。だから、対象年齢の子供に与え、説明書に書いてある通りの使い方をしていれば、確実に安全だ。しかし、それでも時として事故が起こる。多くは説明書に禁止している使い方を、与えてはいけない対象年齢以下の子供に与えて起こる事故だ。しかし、それにでも,メーカーは責任を取る。(実際、アメリカで2位のシェアを持ったジョンソンエンドジョンソンはそれで玩具部門を潰した)これは今に始まったことではなく、大昔からそうだ。
5歳の子には言って聞かせられても、その子のそばにいる、2歳の弟は、お兄ちゃんと同じ事をしようとする。でも、理屈で教えても分からない。だから、法的には安全基準を守っていても、企業の良心として、対象外の小さな子供にまで配慮している。

シャボン玉液は、体重の軽い子供が一気飲みしても死なない量の小さなボトルでしか売ってはいけない。
子供用の首飾りはすぐに切れてしまうよう、弱くする
子供が絡む商品を包むビニール袋は、かぶれない程小さな大きさでも、穴をあける。。

こういう基準の多くは、公的な「規制」ではない。企業や企業が自ら作る業界団体の自主的なルールだ。

今回の問題でも蒟蒻畑は販売中止になったが、他では売っているというのがあった。「規制」ではないので、別に守らなくても良い。
上記のニュースでも、消費者団体が「お願い」をしてるだけで、規制や強制をしてるわけではないので、売りたければ売れる。
でも、あえて、また販売中止したら、本当に、偉いと思う。


どんなに間違って使用しても、死ぬほどの事故は出してはいけない。
35年前の扇風機であろうと、保証しなければならない。
何億円かけても!
これが、日本のスタンダードだ。
作り手の良心以外の何ものでもない。

この問題、消費者が間違った使い方した時は自己責任で、
という問題じゃない。なぜなら、これは、子供が食べるからだ。
子供の命は子供のものであって、親の自己責任で片付けて良いものではない。
子供に、命をもって、自己責任を問うてはいけない。
製品には命を奪ってしまうような設計の瑕疵がある。
そして、消費者が製品を理解して事故を「減らす」という問題でもない。
一人たりとも,たかが、ゼリーで、命を落としたり、一生植物人間にさせてはいけないのだ。

この、苦しい時勢に、販売中止をした企業は、本当に偉かったと思う。
それが、日本のクオリティなのだ。
消費者として、ちゃんと、受け止めてあげたいと思う。


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この日記は3つ程前から続いています。
いろいろコメントを下さったかた、ありがとうございました。

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蒟蒻ゼリーの話、

消費者としての視点としては二つあると思う。

一つ目は、企業の姿勢をどう、評価するか。


確かに、ミクシーの日記でも、あんなにたくさんの人が販売再開に「是」と書いていた。
だから、そういう消費者の声に答えるべく、売る会社もあるだろう。

しかし、これを危険だとして売らない会社もある。


皆が欲しがっているものを売るのは当たり前
とするか、
社命を賭けて売らない決断をするか、

この二つの差。これを消費者として、どう,考えるか。
すずめ的には、後者を支持/賞賛したい。

もう一つ、一つ前にも書いたけれど、
これは、「規制」じゃない。
消費者団体という、何の権限も無い,NPOだか何だかの、「お願い」なのだ。
聞いても聞かなくてもいい。
何だか政治家さんが絡んだ報道がされていたので、いろんな解釈がされてしまっているようだが、
「販売再開」ということがあれば、この団体に限らず、それに疑問を呈する所があって当たりまえだろう。
たまたまこの団体が報道されているだけで、誰しも疑問を感じるはず。抜本的な改善策が示されないで再開というのに、どこも何も言わない方がおかしい。

こういういろんな安全基準は、国の法律などで規制されているのではなく、多くが、業界内部の、もしくは、企業内部の自主的な基準だ。(そういえば、今朝のニュースで韓国で日本でヒットした歌がエッチだからと禁止されたってやってた。でも、これは国の規制なんだね。日本じゃこういうのは、映倫とかも業界の自主規制だけど)


そして、これももう一度繰り返してしまうが、
「食べ物で喉につまる」は消費者の責任というのは、当たり前だ。
だが、この製品の場合、こういう事故が起こってもおかしくない製品設計がされていて、且つ、実際に17人も亡くなっている。
事故が起こる可能性のある設計がされているものは、売ってはいけない。

もちろん、これは程度問題で、将来、もっと危険が認知されれば、売られても良いのかもしれない。
特に、これは個人的な想像だが、商品力を落とさずに、設計変更をするのは難しいのではないだろうか。
だから、どうしても、売りたいなら、今の状態から、どこまで、安全に対して、すり寄って行くことができるか。
3歩歩んでも許されない?でも、5歩なら許される?その程度の問題になるのかもしれない。
しかし、そのためには、周知の為のキャンペーンプランや、販売方法の変更など、納得のいく形を明確にしてもらわないと分からない。
今の時点で、それは見えない。


しかし、こんなこと、産業界では普通に行われていることだ。
モノを作る人たちはそれほど厳しい基準を持っている。
だから私たちは、安心してモノが買える。
それは、同じ消費者である先人たちが、戦って勝ち取ってきた権利だ。
蔑ろにしてはいけないと思う。

消費者としては、そういう企業の誠実さをきちんと感じて、覚えていてあげたいと思う。

2008年12月2日の日記の転載

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