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2011年11月17日 (木)

出生前診断


出生前診断。

いただいたレスにもかいたけれど、結局はここで排除するのは「障害を持つ」ということ。

そのレスの中にあった、言葉。

>ウチら不幸とは思って無い‥多分。でも障害なかったらって思ってる訳で。

>現在、人間は大切な部分を修正する方向すら見失ってきているような気がいたします。


すずめには、個人的に「障害者」と呼ばれる友人たちが何人もいる。彼らの人生を見ながら思うのは、障害者としての人生、決して不幸 では無いということ。
障害を引き起こしてしまった原因となる事故との出会いは、不幸な ことかもしれないが、その不幸は人生まで不幸にしない。その上で、考えるのは。。。

「障害」を持つ可能性が高いという結果が出ても、

産む
という決心。
産まない
という決心。

どちらを下すにしても、
「障害者」と呼ばれる人たちの人生を知って下すのか。
知らないで下すのか。。。。

知って下すべきなのか、
知らないで下す方が良いのか・・

そのケースはいろいろで、
法律も、慣習も、理屈も何もなく、
徹頭徹尾、個人の範疇で考え、結論を下して良いと思うけれど。

個人として、その決断を下す重さを、どう、社会が支えられるのか。


>現在、人間は大切な部分を修正する方向すら見失ってきているような気がいたします。

この言葉にもどると、
この「大切な部分」とは何だったんだろう。
誰もが、私たちは、「何か大切なものを失った気がする」という。
それは、本当は何だったのだろう?
かつて、私たちが確かに持っていて、今は失ったもの?
そう考えた時、今まで、私たちが「確かに持っていたもの」など、あったのだろうか?
無さそうな気がする。
その「昔の人」も、更に過去の時代に思いをはせるとき、やはり、「大切な物への喪失感」はあるのではないだろうか。
もしかして、人類は永遠に、そんな幻影への喪失感を持ち続けるのかもしれない。

これは、渇望への裏返しのようなものなのではないだろうか。
その渇望しているものは、何なのだろう。

もしかして、それは、gifted ということかもしれない。
誰かから、与えられるもの。
誰か、おそらく「偶然」という名前を持つ与えてくれる何か?

医療や科学、文明は、その「偶然」の幅を狭めるために、日夜、進歩され続けるのかもしれない。

でも、そんな事を考えても、
なんの足しにもならない、
支えにすらならない、
個人の範疇でさえ。。

この問題の深さ。

出生前診断の話題つづき


もうひとつ、レスの中にあった、言葉。

>ウチら不幸とは思って無い‥多分。でも障害なかったらって思ってる訳で。


私たち、無関心/遠巻きにするか、美談にするか、その中で、本当に考えなければならない言葉。
私たち、どんな人生も、命も、それが、存在している時点で、決して、wrongful Lifeとは思わない。
すずめ個人の感じ方としては、たとえ、結果論としてのオウムのまつもとちづおであっても。


これを突き詰めていくと。。。

http://www.arsvi.com/2000/031013ks.htm


wrongful Life

「生まれないほうが良かった」という思想について
Wrongful life訴訟と「生命倫理」の臨界

----以下、引用

Wrongful lifeの概念に基づく請求の多くは否定されてきたが、2000年11月17日、フランス破棄院は「障害を持つ恐れがわかっていれば母親は中絶をしたのに、医師が診断を間違えたために重度の障害を負って生まれた」として医師に損害賠償を請求した子供名義の訴えを認めたという。この事例では出生した子に知的障害があったため、実際に裁判を起こしたのは本人ではなく親だったが、実質的にWrongful life訴訟の有効性が認められ、かつ原告の勝訴に終わった。
-----

このページの筆者は、こう、続ける。


-----


このようなWrongful life訴訟は差別現象の臨界点に位置づけられる。第一に、ある人が生まれたこと、あるいは存在していること自体を損害とみなす、その徹底した否定性において。

------


この問題を、すずめが知ったのは、2000年ちょっと過ぎだったろうか。
NHKのサイトで、すごいのがあった。

地球法廷

生命、医療の倫理に関する問題を、豊富な資料を全世界に公開し、その資料、情報を共有しながら、視聴者と議論する。ネットと放送両方で。
すずめがこのサイトに気がついたのは、もう、その放送やネット上での議論が終わってからだった。しかし全世界から集められた、議論の様子が、ひとつひとつ、掲載されていた。驚くほど膨大な量の。(英語の原文には翻訳も添えられていて、まさに生な意見だった)
そんな中には、今は有名になった、根津医師(不妊治療で代理母などの試みをした医師)が論客として、多くの意見を投げかけていた。「今、準備している」と。
だから、彼の試みが実現した時、メディアは「十分な議論がされていなかった」としたが、十分ではないにしろ、その前から投げかけられていた疑問を誰も取り上げなかった部分もあると思った。


それを一つずつぼちぼち読んでいる途中に、サイトは閉鎖されてしまった。どうしても、この資料、欲しくて、NHKにお手紙を書いたこともあるのだが、当たり前なことに、拒否された。


その中に、この
Wrongful life訴訟
のテーマがあった。
確か、Baby MとかBaby Kとかっていう赤ちゃん。
驚いたのは、そのBaby M ?(仮)のお兄さんから、家族として、投稿があったことだ。

その言葉。
うろ覚えだが。。。
「僕たちは、家族として、彼女を愛していて、彼女は幸福だ。その上で、Wrongfulという訴えをしている」
というようなものだった。

幸福な人生、しかし、Wrongful。

ユーザビリティを考えていくと、
結局は、どうやっても解決出来ないものはたくさんある。
小さな、局部でもそう。
社会全体としても、どんな方法をもってしても、サポートできないものはある。社会の限界。
だとしたら、人が、個人として、その命をWrongfulだとすることに、社会は何も言えない。

では、親は?

もし、選択肢があっての上だったら?


それでも尚、今、幸福にある命に対して、Wrongfulだという法律的な結着には、どうしても咀嚼できないものがある。
ただ、否定も、肯定もできなくて、「咀嚼」できない。飲み込めないとしか言えないのだけれど。


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