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2011年11月10日 (木)

養護学級を廃止しようというハナシの真相

そういう国の姿勢が批判されていた事がある。

おぼろな記憶だけど、

確か夕刻の西大井の駅、

おじさん、おばさんたちが、ビラを配って、

署名を集めてる。

国は養護学級を廃止しようとしています!

反対署名を集めています!

.

そんな内容。

配っていたのは、先生たちなのか、それとも父兄なのか、

年齢的にはそういう感じ。

よく覚えていないけれど、一つ記憶してるのは、すずめはこの時、署名しなかった。

そんな、酷いじゃん。

養護学級を廃止するなんて。。。とは思ったけど、

でも、何か、ヘンだとも感じた。

本当なんだろうか?

と。

署名しなかった理由は、ただ、急いでいたからかもしれないけど。

.

ところが、これには、トンでもない裏があったらしい。

それがAI氏との話で分かった。

養護学級廃止に反対してたのは、実は、普通の子の親たちだったのだ。

国は統合教育を進めていて、予算もつけた上で、みんな同じ部屋で教育しようとしている。だけど、そういう子たちに自分の子と同じ教室に入ってきて欲しくない。そういう親がいるのだと。

.

.

一般の反対とは。

特別学級が廃止されたら、そういう子が一般の学級に入ってくる事になる。普通の子との軋轢などが問題になった。煽る人々もいて、そういう子が来ると普通の子が不登校になるだのというデマも飛ばされたらしい。

AI氏は養護学級が廃止されるベキだとは思っていないが。。。

国がやろうとしていたことがどういう事だったか説明された。
子供たちはみんな普通のクラスに所属する。その上で、その子がついていけない授業だけ別の場所で受けたり、特別な支援をする。というものだ。

AI氏は言う。
10%に相当する子供を一般の子供と「別」ということで、ハナから分けている。その思想構造が問題。もちろん、養護学級を廃止して、どういう事ができるか、それが理想だとも思っていないが。

それを聞いて、そういう事だったのか。。。と思う。
国にはAI氏のような長年の現場経験を持ち、障害者の問題に具体的に、全国のあらゆる現場のその細部まで分け入って、地道に何年も取り組んできた熱いエキスパートがいる。こういう人の提案に反論する「政党」や市民団体にどれほどの専門家がいたのだろうか。

西大井の駅前で配られたビラをみて、すずめは、「国は障害者を切り捨てようとしている」と感じた。
しかし、真相はどうだったのか。実際に国は大きな追加予算を組んでいるのだ。法整備も進めた中での提案だ。
確かに、すずめもうまく行きそうには感じない。やはり、「できる子」「普通の子」への負担が気になる。しかし、きちんと受け止め、議論すべき問題ではなかったのか?反対論者の本音は、障害を持つ子への配慮ではなく、実は優秀な我が子への負担を考えてのことではなかなったか。それを「切り捨て」はケシカランという「欺瞞」にすり替えるのではなく、ちゃんと、「優秀な子供の勉強の邪魔になることを心配してるのだ」という本音を議論すべきだったのではなかったのか。

多くの人は言う。
子供の頃から、障害を持つ子供とは分けられて大きくなった。
だから、今、障害者との共生、ノーマライゼーションと言われても、どうすれば良いのか分からない。もっと、子供の頃からいっしょに育っていく環境を作るべき。

しかし、
「障害を持つ子供も一般のクラスに入れよう」
という提案は、特殊学級の『廃止』という言葉にすり替えられてしまった。彼らが来ると、一般の子が「不登校になる」とまで言う人まで出てくるシマツだ。
「障害を持つ子もいっしょに」に後ろ向きなのは、国や行政ではなく、我々「有権者」なのだということを、私たちは、しっかりと覚えておかなければならないと思う。私たち自身が、ノーと言い、それを拒否したのだということを。

かく言うすずめも、どこかで配られたビラを鵜呑みにしていた。
国はいつもいい加減なコトをしていて、国の大本営発表を信じるヤツはバカ。
そんな風潮がある中で、そういう批判意見の方がもっともらしく感じてしまう。
考えてみると、自称ジャーナリストや、どんな所が母体か定かでない市民団体、ネットにいる誰だか分からない人物にどれ程のバックボーンがあるのか?どんな「実績」があるのか。
大本営発表を鵜呑みにするよりも遥かにアサハカだったかもしれない。

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講演の後の飲み会は比較的少人数の内輪のものだった。
なので、ホットなお話しをイロイロできた。
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こうして整備される、障害者教育。では出口はどうなのか。
すずめが、AI氏に食い下がったハナシ。

こうやって、教育された子供たち、じゃあ、その出口はどこなのか。
さすがのAI氏からも、その取り組みについての話は出てこなかった。
文科省の守備範囲ではないのは確かだろう。
しかし、出口に、何があるかで、教育の形は大きく変わるはずだ。

たとえば、
普通の子供の会話として、「将来の夢」がある。
「大きくなったら、何になりたい?」
小学校1年生の子の夢、「野球選手になりたい」というのは多いだろう。
大人はなれるはずが無いと思っている。子供自身もそうかもしれないが、でも、夢としては子供らしくて良い。

でも、発達障害の子供にとってはどうなのか。
彼らもそういう「夢」を語れるべきではないのか?
AI氏は、それはやはり違うという。そういう子はそれを「夢」だとは思えず、本当になれると信じてしまう。大人になっても、方向修正できずに。それは果たして良いことなのかと。

では、視覚障害についてはどうなのか。
たとえば、「看護師さん」とか「パイロット」とか、言わないのか。
実際、言わないのかもしれない。視覚障害があるとパイロットになれないのは確か。だから大人たちもそういう希望を持たせないのかもしれない。その子が大きくなるころにはそんな時代じゃないかもしれないのに。

他の障害についてはあまり詳しくないが。。。
視覚障害の場合、いわゆる、あんまハリ灸に行く者が多い。3分の1が「視覚障害の伝統」とまで言われる三療に行く。盲学校の生徒も、こうした技術を学ぶ大人がほとんどなのだ。これと民間企業や官公庁への就労で約半数。
いずれにしても、職業は非常に限られる。
按摩はり灸は人を癒す、すばらしい職業だと思う。しかしバリエーションがなさすぎる。官公庁のサラリーマンになるのはエリートかもしれないが、「夢」の職業だとしたら、あまりに現実的だ。

視覚障害の子供たちは限られた「夢」しか語ることができない。これは夢を提示できない社会の責任ではないのか。

更には。。。これは個人的意見だが、
昔、色覚障害に関しては、アンタッチャブルな空気があった。「差別」につながるというので、検査をしてはいけないということにもなった。日本の「差別」の問題を語られる時にも必ず出てくるテーマだ。
触れてはならない話題だという暗黙の了解をみんなが持っていた。
色覚障害に関しては、それほど限定される職業は無いが、その数少ない、「できない職業」の存在、それについて語らないことが、よけい、色覚障害の問題を個人差から、「差別」へと変換させていった気がする。

全盲でも医師への道が開かれた今、
子供たちにもっと「夢」を持たせる「出口」があってほしい。
それによって、教育の形は大きく違うはず。

社会の本当のユニバーサルとはそういうことではないのか?

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