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2011年11月23日 (水)

遺族をバッシングする人たち/蒟蒻ゼリー

2010年11月29日21:36
こんにゃくゼリー 遺族が控訴
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1422316&media_id=4

訴訟は憲法でも保証された基本的人権に基づく権利。遺族は何ら、責められる事をしているわけではない。
それなのに、何だろう。なぜ、こんなにも画一的に遺族をバッシングする日記ばかりなのだろう。あまりにもみんなが同じすぎて気味が悪い。ネットの住民の特殊性もあるのだろうか。


以下、
彼らが書いている勘違いと、疑問に関して、列挙している。
(再掲)

● 親の過失について

この場合は祖母ですが、祖母の行為が間違っていました。
何人もの方が祖母を訴えるべきと書いてありますが、それも可能でしょう。しかし、祖母との間に謝罪や理解があったとしたら、訴訟に至る前に和解したはずです。そして、それは他人が口出しするべきことではなく、ましてや侮蔑やバッシングの対象にされるべきものでもありません。
更に、言うまでも無く、これは設計の瑕疵や企業の社会的責任とは別です。

よしんば、親がどんな酷い人であれ、(これはたとえ話です)この企業の責任が帳消しになるというのはおかしいでしょう。

今回の判決では、この親の過失の大きさが、設計の瑕疵の大きさ以上であったことによって、棄却されたのだと思います。(まだネット上に、公判記録や判決文は出ていないので、詳細はわかりませんが)これは、尺度、スケール感の問題です。
消費者の権利と、企業の経済活動に関する権利、どちらが重く考えられるようなスケールになっているかということであるとも言えるでしょう。蒟蒻ゼリーを欧米では禁止していますが、もし、このような事件が起こったら、もちろん、消費者の権利/安全が優先されるでしょう。

● 欧米での蒟蒻ゼリー禁止について
これは蒟蒻が日本の伝統的な食品であるというのとは無関係でしょう。なぜなら欧米でも『グミ』のような商品として弾力性の強いものは出回っていますし、日本人にとっても、蒟蒻ゼリーの味は蒟蒻を連想させるものではありませんでしたから。精製された食物繊維によって同様のものを作ることができます。

● 飴と餅について

飴という素材そのものについては、設計の問題ではありません(飴は何百年も前から知られていますが)。
個別に、どの形の飴の「製品」が危険かという問題になります。
確かに飴による事故は多く発生しています。
その事故が、もし、XX飴という製品形状そのものに、起因するものであったら、それは改善させるべきであり、また、それが改められない、被害があった、ということであれば、その製造業者を訴えるべきでしょう。

しかし、飴でも事故があるのだから、蒟蒻ゼリーの設計は許されるという問題ではありません。命を奪うほどの事故があるなら、当然、改められるべきです。

餅も同様です。蒟蒻ゼリーと同様に,一口で口に吸い込まれてしまい、気道を塞ぐ形状の製品で、且つ、事故が起こったとしたら、発売中止にすべきです。しかし、それ以前に、今回のこの事例を教訓として、そのようなものは、作るべきではありません(実際は、危険であると分かっているので作られません。本当は、すすって食べる餅の伝統食はあるのですが、危険なため、伝統食としても廃れてしまいました)


● 企業の責任について

想定できる全てのリスクに対して、なんらかの対策を取る責任があります。実際には、企業内に、自主基準を持ち、且つ、業界団体が様々な安全基準を作っています。これらを遵守することによって、責任が取れているということになるのでしょう。

しかし、この蒟蒻ゼリーに関しては、空洞の状態でした。
そこが問題になり、消費者庁ができたという経緯があります。

また、販売戦略も企業の責任です。
なぜなら、企業は製品が店舗のどこに、どのように並べられて売られるかというところまでプランして、製品を作るからです。蒟蒻ゼリーの場合は、店頭に山積みされる事を想定してデザインされています。(薬局の店内の棚に置かれるのだったら、箱形にし、また、キャンディのようにつり下げて売られるのだったら、穴をつけ、もっと長いデザインにします。当然、これらの方式より山積みの方がたくさん売れますが、山積み販売してもらうために値段を下げたり、CMを流して小売店にアピールします)
また、コマーシャルも同様です。番組の提供をされているものも多いと思いますが、主婦層にアピールできる番組や時間帯を選んでいます。当然、小さな子供もいる人たちが多いでしょう。もちろん、CMのイメージもそうです。
そういう戦略を立てて小売店に降ろせば、自然に店頭の山積みにしてくれます。
誰でも気軽に食べるようなゼリーとして売ったのは、小売店の責任ではなく、メーカーの恣意的な戦略です。
これは、デザイン系の人間なら誰でも知っている、学校でも習う程度の初歩的な知識です。

蒟蒻ゼリーはダイエット食品であるはずという「勘違い」がありますが、
そうであれば、他のダイエット食品と同様の扱いがされるべきです。(たとえば、何千円かの高価なもので、相応のパッケージデザインになっている)

山積み販売で購入する商品に対して、消費者は警戒感を持てなくて、当然です。今後も、「あぶないと言うニュースは知ってはいたが、『大丈夫だと思って』凍らせて食べた」という人が出てくるはずです。

● 事件へのマンナンライフ社の対応について

以下、
http://www19.atwiki.jp/mannanlife/
からの引用です


1歳9か月の幼児が祖母宅で凍らせたこんにゃくゼリーを食べる。ゼリーを喉に詰まらせ病院に搬送される(2008/7/29)

脳死状態になり多臓器不全で亡くなる(2008/9/20)

父親はマンナン社に事故を連絡。
マンナンライフ社は、事故発生の際は同業他社に報告する取り決めだったがそれをせず。

龍之介君の母、由佳さんが「事故を防ぐため、すべてのメーカーにこんにゃくゼリーの製造販売を禁止してほしい」とコメント(2008/9/30)

マンナンライフ社、一時製造中止決定。再開未定(2008/10/8)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081008-00000012-mai-soci

2008年11月26日 付け
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081126_mannanlife/

マンナンライフ、こんにゃく入りゼリー「蒟蒻畑」の販売を再開へ

(この再開に関しては、マンナンライフ社は改善を行ったのでということにしていますが、抜本的解決策になっていないということで、消費者団体等が講義をしています)


企業の社会的責任の1つに、危機管理があると思います。普通は、企業がその活動の範疇で何らかの重篤な事故が起こったなら、原因究明等、即時対応するはずです。しかし、マンナンライフ社は、この赤ちゃんが亡くなった事を連絡しても、無視でした。両親が公的機関に訴えて初めて、対応したようです。

● 親の訴える対象について

残念ながら、裁判という形を取る以上、金額の提示をしなければならない仕組みのようです。
ネットにアップされていないので、訴状は確認していませんが、要求の中には、製品の改善もしくは、販売中止が求められているのだと思います。(提訴の時の弁護士のコメントにはそう、ありました)
しかし、今回の裁判に至る前、事故の直後から、両親はマンナンライフ社、その他に対して、製品の改善、販売中止を、『先ず』求めています。

ネットの親バッシングには、この点に関するものも多くありましたが、事実は上記の通りです。

● 親のバッシングについて

この件に限らず、訴訟の原告に関して、感情的なバッシングが行われていることを頻繁に目にします。
今回も何千件もの日記がミクシー内にアップされていますが、どれも同じ内容、同じ誤解、同じ発想で親達を侮蔑、糾弾しています。聞くに耐えない口汚いものも多くあります。書く人間の品格のなせるものとは言え、その知性の貧困さに暗澹たる思いがあります。
論理的な部分は別として、子供を失った親に対してこのような事ができるものなのか、疑問さえ感じます。もし、遺族が、友人や近所の人であれば、こんな言葉は口にできないのかもしれないと思ったりもしますが。。。
そこが、ネットの怖さでしょうか。バッシングしている人たちは、自分自身の品格を貶めている事に気づいているでしょうか?
親の起こしてしまった行為自体は間違いでしょう。しかし、親自身は、消費者として、国民として憲法にも保証された当然の権利を行使しているにすぎず、何ら、蔑まれるべき事をしているわけではありません。
こんな声がネットで大量に出回ることによって、世論を左右してしまう怖さを感じます。

● 両親の気持ちについて

ネットの日記には、責任を「人のせいにしている」というバッシングが多くあります。
子供を失った事を人のせいにして、慰められる人がいるでしょうか?バッシングしている人たちは、そうすれば、慰められる人間が存在すると思い(もしかして、『あなた』はそういう人間ですか?)、この親がそれに該当しているということなのでしょう。しかし、それはあまりにも想像力が無さ過ぎです。そんな人間はこの世に存在しません。
そして、誰よりもそれを知っているのが、この親達のはずです。

確かに、この親/祖母は大きな間違いをしてしまいました。小さなお菓子を孫に食べさせたという極めて日常的な行為の結果として。
『あなた』が、世の中のすべての情報に精通していて、決して、ミスをしない人であれば、彼女の事を糾弾する資格があります。しかし、もしかして、30年に1度でも、ミスをすることがある方なら、あなたには、ミスをする人を、少なくとも「感情的に」糾弾する資格はありません。


● フールプルーフとユニバーサルデザイン

年間100万人の赤ちゃんが生まれます。そのすべての親達が、『あなた』と、あなたの周りの優秀な人たちと同じように、一度もミスをすることなく、子育てを全うできるというわけではありません。最初から高齢の祖父母に育てられなければならない子もいます。視覚や知的な部分に障害のある親もいるでしょう。忙しさに疲弊してしまっている親もいます。そのすべてが、更に24時間、神経をすり減らして、注意深くするべきでしょうか?
もし、すべての製品が、十分安全に配慮されて設計されていたら、そんな束縛から開放されます。その方が合理的ではありませんか?ことさら便利でなくても良いかもしれません。せめて、日常的に、人が生活の中で気軽に接してしまうものが、命までも奪わないように。
それが、フールプルーフ、ユニバーサルデザインの考え方です。

私はそれを支持しています。

(この日記は

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1623371502&owner_id=12848274

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1624413089&owner_id=12848274∨g_id=1623371502

http://mixi.jp/view_diary.pl?
id=1624480237&owner_id=12848274&org_id=1624441107

の前の3つの日記にいただいたコメントについて、項目別に書いています。


蒟蒻ゼリーの件について、1つ前の日記にこんなご指摘をいただいた。


>この裁判では企業の製造物責任法(PL法)上の責任の有無が争点になっており、判決では商品に欠陥はなかったとして棄却されています。大まかにいうと原告側が主張した設計上の欠陥、警告表示の欠陥、不適切な販売方法のいずれも認められないということのようです。

まさに、ここが、デザイナとしてすずめが最初に反感をもった所以だ。

この日記では、最初の重篤な事故、死亡事故が出て、国民生活センターから指摘された時点で、本来、こう、変えるべきだったと、デザイナとして思う具体例をあげてみたい。(本来は製品設計を抜本的に変えるべきだが、それが難しく、時間がかかるとしても、パッケージデザイン的に、変えるべき事はあった。)

裁判では問題に対して、「事故が発生した時点では、ここまでの大きさにしていたなら、許容範囲」としたわけだが、それは程度問題だ。
裁判官は、本来、どういう工夫ができたかというのが思いつかなかったのではないだろうか。


あの程度の表示を加えただけでは、「改善」とは呼べない。
なぜなら、本来、ここまでできるはずだから。ここまでできることは、どのデザイナでも分かり、あの程度では、それに手加減を加えたにすぎない。企業はそれを重々知っているはずだ。


ちなみに、現在、過去のデザインはこちら。

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20090305

さて、
事故を起こしにくくするために、最小限、どこまでの事をすべきか。具体的に説明したい。

元のパッケージの問題点は、単に,警告表示だけのものではない。もちろん、警告表示は大きくすべきである。しかし、問題はそれだけではない。
パッケージデザイン自身が、危険性を想起させないデザインになっていることである。

蒟蒻ゼリーはダイエット食品であり、小さな子供に与えるべきではない。というバッシングもあった。ならば、おやつのゼリーではなく、ダイエット食品のような、人工的なデザインにすべきだ。また、価格設定も、主婦が日常の買い物として気軽にカゴに入れる価格帯では無くすべきだ。


現在のパッケージは果物の写真を使い、シズル感によって、健康的なおいしさを表現している。暖色/パステル系で親しみやすい。また,有機的なイメージはカラフルで生活感にも溢れている。更に、蒟蒻畑というロゴタイプは、丸みを持たせ、囲みの方形の角も丸めている。柔らかいデザインにすることによって、やさしいイメージを出している。
これが主に置かれる薬局には、言うまでも無く、医薬品やダイエットサプリメントが置かれる。それらのデザインは、もっと、シンプルで硬い。その中では、かなり、柔らかな親しみやすさがアピールできるだろう。
消費者は、この親しみやすく、健康的なパッケージの製品を、さぞ、安心して手に取ることだろう。油断してしまってもしかたがないとも言える。


さて、私だったら、どうするか。

先ず、パッケージイメージを抜本的に変える。(これはデザインクオリティを下げるという意味では無い)
ダイエット食品ということなら、あえて黒でも良いかもしれない。
そして、果物の写真は使わない。代わりに、ピクトグラムにした果物のイラストを用い、
例えば,英語のアルファベットをデザイン的には位置し、硬く、かっこいいスタイリッシュなデザインにする(たとえばお酒のような)。子供が手に取らないような。
同時に、ロゴタイプももっと、角のある、硬いものにする。
警告表示を大きくするのはもちろんであるが、もっと、短い単語を大きく表示し、補足説明を下に書く。警告マークも、もっと太いラインを使い、インパクトを強くする。

更には、このような店頭での山積み用の袋を止め、店内の棚に置いてもらえるよう、箱にする。
ただし、箱は環境保護の視点からのオーバーパッケージになるので、一箱あたりの量を現行の 3倍にし、定価も、800円程にする。(内容量が多くなれば、パッケージの環境負荷は小さくなる)

現在の価格帯は、ちょうど、子供が「おやつ」として食べるものと、同等だ。
たとえば、ポッキーチョコレートやポテトチップス他、主婦が気軽にカゴに入れる価格帯になっている。これでは注意喚起ができない。
黒っぽい、高級感のあるパッケージにし、値段を上げることによって、
主婦が気軽に日常的な意識で買ってしまうことを回避させる。


本当は、ここまでの事は、誰でも思いつく。(おそらく、もっと)
誰でも思いつく事を、彼らはしなかった。手を抜いた。

PL法の責任の有無は、程度問題だ。
消費者保護の意識の高い欧米では、このような判決はありえない。(ありえない以前に、販売禁止がされている。)
日本は、商業活動を、消費者保護より優先したのだろう。
それが、今回の地裁の裁判官の尺度だった。

PL法の責任の重さを測る尺度が、
高裁では違う可能性もあると思う。


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コメント

食べさせてはいけないと表示されているものを食べさせた祖母が悪い。毒を与えたのと同じ。親は子供の側から離れていたのが悪い。←これらの原因はどうにもならないとおもう。

投稿: 通りすがり | 2016年6月15日 (水) 12時49分

こういう事に無頓着な人間は子供の面倒を神経質に気を配って世話をする人間ではありませんからね
例えば、孫の面倒の見方が私の父と母とでは全く別なんですが、母であれば考えられないような雑な面倒の見方を父がしたりしますが、この件に関してはそういう類の人間だからおきたんだなと思うような事故ですよ
何事も無く育てばラッキーみたいな面倒の見方をする人間が神経使って子育てしてる親ならしないであろう行為をした上で企業のせいにして裁判起こしてるというのが世間からするとおかしなことやってるという風にみえるんです

投稿: | 2017年1月 2日 (月) 02時29分

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