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2010年11月21日 (日)

蒟蒻ゼリー/反論への論点

蒟蒻ゼリーについて書いた日記

http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-c537.html
http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-b5dc.html
http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-75ae.html

に対して、膨大な量のコメントが寄せられた。
揶揄や罵倒のようなものもあったが、冷静な反論もあったので、その論点をまとめて書いた。


● 親の過失について

この場合は祖母ですが、祖母の行為が間違っていました。
何人もの方が祖母を訴えるべきと書いてありますが、それも可能でしょう。しかし、祖母との間に謝罪や理解があったとしたら、訴訟に至る前に和解したはずです。そして、それは他人が口出しするべきことではなく、ましてや侮蔑やバッシングの対象にされるべきものでもありません。
更に、言うまでも無く、これは設計の瑕疵や企業の社会的責任とは別です。

よしんば、親がどんな酷い人であれ、(これはたとえ話です)この企業の責任が帳消しになるというのはおかしいでしょう。

今回の判決では、この親の過失の大きさが、設計の瑕疵の大きさ以上であったことによって、棄却されたのだと思います。(まだネット上に、公判記録や判決文は出ていないので、詳細はわかりませんが)これは、尺度、スケール感の問題です。
消費者の権利と、企業の経済活動に関する権利、どちらが重く考えられるようなスケールになっているかということであるとも言えるでしょう。蒟蒻ゼリーを欧米では禁止していますが、もし、このような事件が起こったら、もちろん、消費者の権利/安全が優先されるでしょう。

● 欧米での蒟蒻ゼリー禁止について
これは蒟蒻が日本の伝統的な食品であるというのとは無関係でしょう。なぜなら欧米でも『グミ』のような商品として弾力性の強いものは出回っていますし、日本人にとっても、蒟蒻ゼリーの味は蒟蒻を連想させるものではありませんでしたから。精製された食物繊維によって同様のものを作ることができます。

● 飴と餅について

飴という素材そのものについては、設計の問題ではありません(飴は何百年も前から知られていますが)。
個別に、どの形の飴の「製品」が危険かという問題になります。
確かに飴による事故は多く発生しています。
その事故が、もし、XX飴という製品形状そのものに、起因するものであったら、それは改善させるべきであり、また、それが改められない、被害があった、ということであれば、その製造業者を訴えるべきでしょう。

しかし、飴でも事故があるのだから、蒟蒻ゼリーの設計は許されるという問題ではありません。命を奪うほどの事故があるなら、当然、改められるべきです。

餅も同様です。蒟蒻ゼリーと同様に,一口で口に吸い込まれてしまい、気道を塞ぐ形状の製品で、且つ、事故が起こったとしたら、発売中止にすべきです。しかし、それ以前に、今回のこの事例を教訓として、そのようなものは、作るべきではありません(それ以前に、危険であると分かっているので作られません。本当は、すすって食べる餅の伝統食はあるのですが、危険なため、伝統食としても廃れてしまいました)


● 企業の責任について

想定できる全てのリスクに対して、なんらかの対策を取る責任があります。実際には、企業内に、自主基準を持ち、且つ、業界団体が様々な安全基準を作っています。これらを遵守することによって、責任が取れているということになるのでしょう。

しかし、この蒟蒻ゼリーに関しては、空洞の状態でした。
そこが問題になり、消費者庁ができたという経緯があります。

また、販売戦略も企業の責任です。
なぜなら、企業は製品が店舗のどこに、どのように並べられて売られるかというところまでプランして、製品を作るからです。蒟蒻ゼリーの場合は、店頭に山積みされる事を想定してデザインされています。(薬局の店内の棚に置かれるのだったら、箱形にし、また、キャンディのようにつり下げて売られるのだったら、穴をつけ、もっと長いデザインにします。当然、これらの方式より山積みの方がたくさん売れますが、山積み販売してもらうために値段を下げたり、CMを流して小売店にアピールします)
また、コマーシャルも同様です。番組の提供をされているものも多いと思いますが、主婦層にアピールできる番組や時間帯を選んでいます。当然、小さな子供もいる人たちが多いでしょう。もちろん、CMのイメージもそうです。
そういう戦略を立てて小売店に降ろせば、自然に店頭の山積みにしてくれます。
誰でも気軽に食べるようなゼリーとして売ったのは、小売店の責任ではなく、メーカーの恣意的な戦略です。
これは、デザイン系の人間なら誰でも知っている、学校でも習う程度の初歩的な知識です。


● 事件へのマンナンライフ社の対応について

以下、
http://www19.atwiki.jp/mannanlife/
からの引用です


1歳9か月の幼児が祖母宅で凍らせたこんにゃくゼリーを食べる。ゼリーを喉に詰まらせ病院に搬送される(2008/7/29)

脳死状態になり多臓器不全で亡くなる(2008/9/20)

父親はマンナン社に事故を連絡。
マンナンライフ社は、事故発生の際は同業他社に報告する取り決めだったがそれをせず。

龍之介君の母、由佳さんが「事故を防ぐため、すべてのメーカーにこんにゃくゼリーの製造販売を禁止してほしい」とコメント(2008/9/30)

マンナンライフ社、一時製造中止決定。再開未定(2008/10/8)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081008-00000012-mai-soci

2008年11月26日 付け
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081126_mannanlife/

マンナンライフ、こんにゃく入りゼリー「蒟蒻畑」の販売を再開へ

(この再開に関しては、マンナンライフ社は改善を行ったのでということにしていますが、抜本的解決策になっていないということで、消費者団体等が講義をしています)


企業の社会的責任の1つに、危機管理があると思います。普通は、企業がその活動の範疇で何らかの重篤な事故が起こったなら、原因究明等、即時対応するはずです。しかし、マンナンライフ社は、この赤ちゃんが亡くなった事を連絡しても、無視でした。良心が公的機関に訴えて初めて、対応したようです。

● 親の訴える対象について

残念ながら、裁判という形を取る以上、金額の提示をしなければならない仕組みのようです。
ネットにアップされていないので、訴状は確認していませんが、要求の中には、製品の改善もしくは、販売中止が求められているのだと思います。(提訴の時の弁護士のコメントにはそう、ありました)
しかし、今回の裁判に至る前、事故の直後から、両親はマンナンライフ社、その他に対して、製品の改善、販売中止を、『先ず』求めています。

ネットの親バッシングには、この点に関するものも多くありましたが、事実は上記の通りです。

● 親のバッシングについて

この件に限らず、訴訟の原告に関して、感情的なバッシングが行われていることを頻繁に目にします。
今回も何千件もの日記がミクシー内にアップされていますが、どれも同じ内容、同じ誤解、同じ発想で親達を侮蔑、糾弾しています。聞くに耐えない口汚いものも多くあります。書く人間の品格のなせるものとは言え、その知性の貧困さに暗澹たる思いがあります。
論理的な部分は別として、子供を失った親に対してこのような事ができるものなのか、疑問さえ感じます。もし、遺族が、友人や近所の人であれば、こんな言葉は口にできないのかもしれないと思ったりもしますが。。。
そこが、ネットの怖さでしょうか。バッシングしている人たちは、自分自身の品格を貶めている事に気づいているでしょうか?
親の起こしてしまった行為自体は間違いでしょう。しかし、親自身は、消費者として、国民として憲法にも保証された当然の権利を行使しているにすぎず、何ら、蔑まれるべき事をしているわけではありません。
こんな声がネットで大量に出回ることによって、世論を左右してしまう怖さを感じます。

● 両親の気持ちについて

ネットの日記には、責任を「人のせいにしている」というバッシングが多くあります。
子供を失った事を人のせいにして、慰められる人がいるでしょうか?バッシングしている人たちは、そうすれば、慰められる人間が存在すると思い(もしかして、『あなた』はそういう人間ですか?)、この親がそれに該当しているということなのでしょう。しかし、それはあまりにも想像力が無さ過ぎです。そんな人間はこの世に存在しません。
そして、誰よりもそれを知っているのが、この親達のはずです。

確かに、この親/祖母は大きな間違いをしてしまいました。小さなお菓子を孫に食べさせたという極めて日常的な行為の結果として。
『あなた』が、世の中のすべての情報に精通していて、決して、ミスをしない人であれば、彼女の事を糾弾する資格があります。しかし、もしかして、30年に1度でも、ミスをすることがある方なら、あなたには、ミスをする人を、少なくとも「感情的に」糾弾する資格はありません。


● フールプルーフとユニバーサルデザイン

年間100万人の赤ちゃんが生まれます。そのすべての親達が、『あなた』と、あなたの周りの優秀な人たちと同じように、一度もミスをすることなく、子育てを全うできるというわけではありません。最初から高齢の祖父母に育てられなければならない子もいます。視覚や知的な部分に障害のある親もいるでしょう。忙しさに疲弊してしまっている親もいます。そのすべてが、更に24時間、神経をすり減らして、注意深くするべきでしょうか?
もし、すべての製品が、十分安全に配慮されて設計されていたら、そんな束縛から開放されます。その方が合理的ではありませんか?ことさら便利でなくても良いかもしれません。せめて、日常的に、人が生活の中で気軽に接してしまうものが、命までも奪わないように。
それが、フールプルーフ、ユニバーサルデザインの考え方です。

私はそれを支持しています。


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補足:

この祖母の場合、40代だったという。
20年以上前は、ミニカプゼリーは非常にポピュラーなお菓子だった。同様の形状だが、寒天で作られており、50個入りのものなどが、普通に売られていた。特に小さな子供専用のようなもので、クマさんなど動物のイラストが描かれたりしていた。たしか、ブルボンなども作っていた。(現在でも売っている)また、このころも、コレを凍らせるとおいしいという口コミがあり、すずめも冷凍して食べた事がある。当時は、ネットなどの情報網は無く、ゼリーを凍らせて食べると言う発想は無かったが、誰かから母(当時60代)が聞いてきた気がする。
ファミリーレストランなどのお子様ランチのオマケにもついていた記憶もある。


そういう子育てをした者にとって、ミニカップは危険なものには思えないはず。メディアでいくら危険を訴えようと、なめてかかっても不思議ではない。

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蒟蒻ゼリーの問題」カテゴリの記事

コメント

はじめまして、検索を辿って拝見させていただきました。

ここまでの経緯と、何が争点となっているのか、何が問題なのかが冷静に考察されており大変参考になりました。

この問題については、マンナンを規制してシェア拡大を図る同業者と関係議員が消費者庁を動かしている、といった陰謀論が以前より巨大掲示板やmixiで広がってしまっていたり、マンナン擁護のかなりいい加減な「マンナンの企業努力」といった類いのデマ情報がネット上に広がったために、人びとの冷静な判断を鈍らせているのではないかと思っています。

わたしもこの件に関してはmixiで日記を書いておりますが、尋常でない数の日記に埋もれてしまい目に留まる事もないようですね。

投稿: にいぜき | 2010年11月23日 (火) 13時11分

にいぜきさまコメントありがとうございます。
私も、ネットで反論を探しておりましたが、見つけることができませんでした。私が書いていることは、モノ作りに関わる人なら、多くの人が知っていることであり、志も同じだと思うのですが、皆、沈黙しているのでしょうか?

おっしゃるように、尋常ではない数の声に埋もれてしまって、聞こえないのでしょうか?

事実を誤認した声の大きさに封じ込まれて、
一方的なバッシングだけが世論を作ってしまう事の恐ろしさを感じます。
今回の司法判断が、「大きな声」におもねた結果でなかった事を望むばかりです。

投稿: すずめ | 2010年11月24日 (水) 17時42分


ミクシーのコメントへの返答

>食べ物はすべて食べ方次第では窒息する危険がありますね。

個人の食べ方などという私的な活動と、企業の社会的な商業活動とは別だと思います。私的には極論を言えば、食べ物で自殺しても罪にはならないでしょう。
でも、それが設計や販売方法、その他で防げるものであれば、社会的活動をする企業としては防ぐ方策を取るべきです。

>形状うんぬんの前に正しい食べ方を、、、。

正しい食べ方など、誰でも「知って」います。飲み過ぎが健康に悪いことも、正しいマナーが何たるかも、すべてみんな「知って」いて、364日、実践しています。でも、一年に一度位は、お行儀悪く食べたり、飲み過ぎたりするのです。そして、事故はそのたった1回の日に起こります。

年間100万人生まれる赤ちゃんの365日に、それを徹底させる運動をあなたはなさいますか?


>確かに全ての食品がどんな人にも安全に食す事が出来ればいい、とは思います。 それでも、それが実現するとしたら加工技術に消費者側がどんな食べ方をするか…どのくらいの労力と年月が掛かるのでしょうか。


食品を含めて、私たちの身の回りのものは、想定されうるべき様々なリスクに対応すべく様々なレベルの法規や基準が作られ、厳格に守られています。単に製品の形だけでなく、流通や広告活動に至るまで。そして、事故があるたびに、改善もされています。もう、とっくの昔から、そういう時代なのです。
ですが、おそらく多くの人たちはそれを知っていません。

>企業側が開発した当時、定められた基準を満たしていたから販売になったんですよね、当時の基準ですから消費事故が起これば改善はするべきだと思います。

蒟蒻ゼリーはそのような危機管理の仕組みを持っていませでした。その隙間で起こった事故であり、事件を受けて消費者庁ができました。

>元はこちらも注意しておけば…と思わざるを得ないんです。

薬などは販売方法なども、消費者が注意せざるをえないような工夫をしています。(薬剤師による対面販売の徹底など)
蒟蒻畑の場合、下のすぬこさんのコメントにあるように、本来、気軽に買うものとしての売り方がされていました。

>親の過失が企業側の過失を上回ったから・・・ということはありません。
そうであれば、請求を棄却しません。

上のはもしかして、言い方が比喩的であったのかもしれません。が、いずれにしても、100 対 0では無いのではと思います。
ただ、この数字をどう、決めるか、それがこの裁判官の尺度だったのかとも思いますが、平たく言って、消費者保護寄りでは無い人だったのだと想像します。

>それと、原告が非難されるということは、こうした事故ではよくありますね。
事実を十分知って避難している人は、極めて少数なのではと思います。
そうだとしたら、こうした風潮も社会的危険と思います。

まさに、そう思います。原告、及び関係者は裁判が結審するまでは不用意に発言できませんから、こういうバッシングにも言い返せません。
叩かれ放題です。
誤解を解く人がいない中、どんどんエスカレートして、世論を作ってしまう。
ネットで叩く人たちも、本当に個人としては、こんなに短絡で画一的では無いんだろうと思いますが。。。

>ちなみに蒟蒻畑にはゼリーとは一言も書いてありませんので。 あくまでフルーツ味のこんにゃくです。 。。。なのに企業は、一口カップゼリーと同じ形状にしてカップゼリーの横であたかもカップゼリーのように売っていたんです。警告を書くより効果的な、カップゼリーとの誤認を防ぐ方法もあったのに。


>本気で事故を防ぐつもりなら、警告より有効な、本来口にするべき人に向けて販売する方法はいくらでもあったのに。


まさに、おっしゃる通りです。

>この訴訟の後で蒟蒻畑の危険性を知らない人はいないでしょう。でも、観光でやってきた外国人は知らないかもしれません。そこが飴との違いでもありますよね。

どうでしょうか。本当は事故を起こした人も、知っていたかもしれません。子供に何十個も食べさせたけど、別に喉を詰まらせたりすることは無かった。。。
危険と書いてあるけど、何度も子供が食べても大丈夫だった。。。しかも、
(上でおっしゃったような)人が油断して買う場に置いてあれば。そんなに危険だと思えないでしょう。
。今日も大丈夫に決まっている。
そう、思ってあげたら、喉を詰まらせてしまった。
事故は、いつも、そういう風に起こります。
だからこそ、販売禁止を含む抜本的な改善が望まれます。


今回の判決によって、
消費者の安全を軽んじる方向に行かないことを
願います。

投稿: すずめ | 2010年11月24日 (水) 22時14分

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