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2010年11月24日 (水)

事故が起こる時

本当は、危険性をどんなにアピールしようと、事故は起こる。
気をつけてね
なんていう言葉は空虚だ。誰だって事故なんて起こそうと思って無いのだから。


蒟蒻ゼリー
正直に言えば、多くの親達が、一度は子供にあげた事があるのではないだろうか。
自分も食べたことがあるだろう。だったら、きっと分かる。こんなもので、死ぬわけがない。
こんな柔らかなものを喉に詰まらせるなんて、考えられない。
そう、思うに違いない。

入学前の子を1人で公園に遊びに行かせる親がいる。
そんな事は危ないと、決してしない親がいる。
どちらが正しいのか分からない。
リスクに対する感じ方の違いだろう。

もちろん、1人で遊びに行かせて何か事故があった場合、
「1人で遊びに行かせるなんて論外!モンスターペアレントだ!ネグレクトだ!」
という事になるのだろう。
そして、不幸な事故を起こしてしまった親は自責の念に一生、苛まれるのだろう。

人によって、環境によって、リスクへの感じ方は様々だ。
そして、それはそれで良いかもしれない。
赤信号を無視しても死ぬ事は無いはず。(たぶん)
少々深酒しても明日には残らないはず。(きっと)


だから、
蒟蒻ゼリーで、どんなに危険が訴えられようと、
きっと、子供に食べさせる親はいる。
親がダメと言っても聞かない子供はいる。
だけど、その中で事故が起こるのは、ものすごく低い確率だ。
昨日も、一昨日も、何年も前から食べてたけど、
一度も喉に詰まりそうになった事は無いから大丈夫。
まさか!死んだりすることなんて、ありえない。
そして、結果的にも大丈夫のまま、大人になる子もたくさんいるはず。

だけど、
事故は、いろんな不幸な偶然が重なって起こるのだ。
普段だったらあり得ない事が起こり、
普段だったら、回避できるはずのものができず、
結果として不幸な形になる。
それが事故。


だから、
本当は注意書きなど、何の意味も無いのだ。
こんな、安全そうなもの。絶対に侮る人はいる。
死亡事故の事を知っていようと。

子供が
食べたくても食べられない形にしない限り。
喉に詰まらせても、すぐに砕ける形にしない限り。
そういう設計にしないと、意味が無い。

分かってても、
子供にあげてしまう親はいるはず。


人は、
どんな人でも、
きっとミスをする。


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ところで,今週末、
幕張メッセで 医療の質、安全学会がある

命を守るパートナーズ 医療安全全国共同行動


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プリントアウトして誰でも使えます。

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