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2010年11月

2010年11月30日 (火)

ここまですべきだった/蒟蒻ゼリー

蒟蒻ゼリーの件について、1つ前の日記にこんなご指摘をいただいた。


>企業の製造物責任法(PL法)上の責任の有無が争点であり、判決ではこの時点で、商品に配慮はされていたとして棄却されています。設計上の欠陥、警告表示の欠陥、不適切な販売方法のいずれも認められないということのようです。

まさに、ここが、デザイナとしてすずめが最初に反感をもった所以だ。

この日記では、最初の重篤な事故、死亡事故が出て、国民生活センターから指摘された時点で、本来、こう、変えるべきだったと、デザイナとして思う具体例をあげてみたい。(本来は製品設計を抜本的に変えるべきだが、それが難しく、時間がかかるとしても、パッケージデザイン的に、変えるべき事はあった。)

裁判では問題に対して、「事故が発生した時点では、ここまでの大きさにしていたなら、許容範囲」としたわけだが、それは程度問題だ。
裁判官は、本来、どういう工夫ができたかというのが思いつかなかったのではないだろうか。


あの程度の表示を加えただけでは、「改善」とは呼べない。
なぜなら、本来、ここまでできるはずだから。ここまでできることは、どのデザイナでも分かり、あの程度では、それに手加減を加えたにすぎない。企業はそれを重々知っているはずだ。


ちなみに、現在、過去のデザインはこちら。

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20090305

さて、
事故を起こしにくくするために、最小限、どこまでの事をすべきか。具体的に説明したい。

元のパッケージの問題点は、単に,警告表示だけのものではない。もちろん、警告表示は大きくすべきである。しかし、問題はそれだけではない。
パッケージデザイン自身が、危険性を想起させないデザインになっていることである。

蒟蒻ゼリーはダイエット食品であり、小さな子供に与えるべきではない。というバッシングもあった。ならば、おやつのゼリーではなく、ダイエット食品のような、人工的なデザインにすべきだ。また、価格設定も、主婦が日常の買い物として気軽にカゴに入れる価格帯では無くすべきだ。


現在のパッケージは果物の写真を使い、シズル感によって、健康的なおいしさを表現している。暖色/パステル系で親しみやすい。また,有機的なイメージはカラフルで生活感にも溢れている。更に、蒟蒻畑というロゴタイプは、丸みを持たせ、囲みの方形の角も丸めている。柔らかいデザインにすることによって、やさしいイメージを出している。
これが主に置かれる薬局には、言うまでも無く、医薬品やダイエットサプリメントが置かれる。それらのデザインは、もっと、シンプルで硬い。その中では、かなり、柔らかな親しみやすさがアピールできるだろう。
消費者は、この親しみやすく、健康的なパッケージの製品を、さぞ、安心して手に取ることだろう。油断してしまってもしかたがないとも言える。


さて、私だったら、どうするか。

先ず、パッケージイメージを抜本的に変える。(これはデザインクオリティを下げるという意味では無い)
ダイエット食品ということなら、あえて黒でも良いかもしれない。
そして、果物の写真は使わない。代わりに、ピクトグラムにした果物のイラストを用い、
例えば,英語のアルファベットをデザイン的には位置し、硬く、かっこいいスタイリッシュなデザインにする(たとえばお酒のような)。子供が手に取らないような。
同時に、ロゴタイプももっと、角のある、硬いものにする。
警告表示を大きくするのはもちろんであるが、もっと、短い単語を大きく表示し、補足説明を下に書く。警告マークも、もっと太いラインを使い、インパクトを強くする。

更には、このような店頭での山積み用の袋を止め、店内の棚に置いてもらえるよう、箱にする。
ただし、箱は環境保護の視点からのオーバーパッケージになるので、一箱あたりの量を現行の 3倍にし、定価も、800円程にする。(内容量が多くなれば、パッケージの環境負荷は小さくなる)

現在の価格帯は、ちょうど、子供が「おやつ」として食べるものと、同等だ。
たとえば、ポッキーチョコレートやポテトチップス他、主婦が気軽にカゴに入れる価格帯になっている。これでは注意喚起ができない。
黒っぽい、高級感のあるパッケージにし、値段を上げることによって、
主婦が気軽に日常的な意識で買ってしまうことを回避させる。


本当は、ここまでの事は、誰でも思いつく。(おそらく、もっと)
誰でも思いつく事を、彼らはしなかった。手を抜いた。

PL法の責任の有無は、程度問題だ。
消費者保護の意識の高い欧米では、このような判決はありえない。(ありえない以前に、販売禁止がされている。)
日本は、商業活動を、消費者保護より優先したのだろう。
それが、今回の地裁の裁判官の尺度だった。

PL法の責任の重さを測る尺度が、
高裁では違う可能性もあると思う。

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2010年11月29日 (月)

太陽を所有する女性、ゴア氏は訴える/すずめは雲!

スペイン女性が太陽を「個人所有」、ゴア氏「彼女を訴える」

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1129&f=national_1129_077.shtml

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1421778&media_id=97

おもしろいじゃん。
こうなってくると、
ヒトが所有するって、
どういう意味なのかって、思えてきちゃうね。

そういえば、小惑星に名前つけたり、
月の土地を買うとかってのも、あったよね。

メシエ天体みたく、
自分で勝手に名前つけるのもいいかも。

Suzume 666

とか。。。でも、それじゃメシエさんのパクリだし、
東京じゃ、彼が名前つけちゃったのどころか、一等星さえ見えないし、


ってコトで、
すずめは、
昼間を担当するコトにした。

秋晴れの青空の
雲。

Suzume1

とかってね。


みなさん、
これからいつも、
雲を見るたびに、
あれは、

Suzume 8

とかって、すずめの雲だって、思い出してよね。


[m:50]


----

ところでゴアさん、
とうとう、温暖化の原因は二酸化炭素じゃなくて、
太陽だって、認めたワケですね。


裁判にも負けちゃったしね。


補足説明;
ゴアさんの、「不都合な真実」っていう映画。
その中で、温暖化の原因をイロイロ述べている。
しかし、これはおかしくないか?っと、イギリスで訴えられて、
敗訴した。。。温暖化の原因として、二酸化炭素諸悪の根源説は否定されたワケだ。


-------


 宇宙の恒星や惑星の所有を取り決めた国際条約の盲点を利用して、スペインの女性が太陽の個人所有申請を行って役所の認可を得た。これに対して環境保護に取り組んでいるアメリカのゴア元副大統領は「地球温暖化の責任で彼女を訴える」とコメントした。中国網が伝えた。

 太陽を「個人の財産」としたのは、スペインに住む49歳の女性。以前、アメリカ人が月をはじめとする太陽系の惑星を個人所有しているのを知り、今年9月より太陽の個人所有申請手続きを始めたという。彼女によれば国連の「外層空間条約」では国家による恒星や惑星の所有を禁止しているものの、個人所有に関する規定はないとのこと。そこで、現地の公証役場に申請を行ったところ、驚きながらも職務に忠実な公証人のおかげで無事申請が受理されたそうだ。

 太陽の所有者となったこの女性は、これから太陽を利用する人から料金を徴収し、その半分をスペイン政府に、20%をスペインの高齢者年金に寄付するつもりだ。また、残り10%ずつを研究費、地球の飢餓解決、そして個人のポケットマネーに充てる予定にしている。どのようにして徴収するかはこれから考えるとのこと。うかうか日光浴などできない時代がやってくるのだろうか。

 そんな彼女を、ゴア元副大統領が訴えるという。ゴア氏は27日に記者会見の席でこの件に触れ「彼女の『持ち家』である太陽が地球の温暖化問題を招いている責任をとってもらう」趣旨で法定に訴状を提出するとコメントした。また、「スペイン政府も被告に入れるか検討中。女性は太陽で得たお金をスペイン政府に渡そうとしている」「このようなお金を安易に自分の財布に入れてはいけない」と意見を述べた。

 ゴア氏の訴えに対して、この女性からの反応はまだないという。(編集担当:柳川俊之)

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2010年11月26日 (金)

裁判員裁判/死刑廃止への道は?

少年に死刑 涙こらえる裁判員

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20101126k0000m040011000c.html

地裁ということであるから、これから控訴される可能性もあるのだろう。その分裁判員たちの気持ちもまだ、軽かったかもしれない。これが最高裁だったらいかばかりか。 (ニュースによると、今のところ上告はしないのかもしれない)


本当は、裁判員制度において、死刑が一般市民によって決断されることは無いだろうと思っていた。
司法制度、社会的議論の中では、いろいろな論があり、おいそれと廃止は難しいのかもしれない。そして、集団感情としても。
しかし、個人的感情としてはどうだろう。
自分自身、誰かの、それが誰であっても、死を願えるだろうか。
何よりも、その結論を
自分自身、個人としての存在である自分に、
ゆだねられる事の、
理不尽さに耐えられるだろうか。
自然な感情として、
それは回避されてしまうのではないだろうか。
そう、
思っていた。

死刑は、集団的感情としては是であっても、
個人の自然な方向性からは、否定されると。

だから、
この裁判員制度で徐々に、死刑への流れが迂回されていき、
そして、何年か、何十年か後に、
社会全体として、司法的に、死刑が否定されるのではと。

ところが、
今回、そして、前回(下へリンク)、
こういう結果になってしまった。

まだ、地裁だから分からないとは言え、今後の流れの大きな足場になってしまうのだろう。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20101126k0000m040041000c.html

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2010年11月24日 (水)

事故が起こる時

本当は、危険性をどんなにアピールしようと、事故は起こる。
気をつけてね
なんていう言葉は空虚だ。誰だって事故なんて起こそうと思って無いのだから。


蒟蒻ゼリー
正直に言えば、多くの親達が、一度は子供にあげた事があるのではないだろうか。
自分も食べたことがあるだろう。だったら、きっと分かる。こんなもので、死ぬわけがない。
こんな柔らかなものを喉に詰まらせるなんて、考えられない。
そう、思うに違いない。

入学前の子を1人で公園に遊びに行かせる親がいる。
そんな事は危ないと、決してしない親がいる。
どちらが正しいのか分からない。
リスクに対する感じ方の違いだろう。

もちろん、1人で遊びに行かせて何か事故があった場合、
「1人で遊びに行かせるなんて論外!モンスターペアレントだ!ネグレクトだ!」
という事になるのだろう。
そして、不幸な事故を起こしてしまった親は自責の念に一生、苛まれるのだろう。

人によって、環境によって、リスクへの感じ方は様々だ。
そして、それはそれで良いかもしれない。
赤信号を無視しても死ぬ事は無いはず。(たぶん)
少々深酒しても明日には残らないはず。(きっと)


だから、
蒟蒻ゼリーで、どんなに危険が訴えられようと、
きっと、子供に食べさせる親はいる。
親がダメと言っても聞かない子供はいる。
だけど、その中で事故が起こるのは、ものすごく低い確率だ。
昨日も、一昨日も、何年も前から食べてたけど、
一度も喉に詰まりそうになった事は無いから大丈夫。
まさか!死んだりすることなんて、ありえない。
そして、結果的にも大丈夫のまま、大人になる子もたくさんいるはず。

だけど、
事故は、いろんな不幸な偶然が重なって起こるのだ。
普段だったらあり得ない事が起こり、
普段だったら、回避できるはずのものができず、
結果として不幸な形になる。
それが事故。


だから、
本当は注意書きなど、何の意味も無いのだ。
こんな、安全そうなもの。絶対に侮る人はいる。
死亡事故の事を知っていようと。

子供が
食べたくても食べられない形にしない限り。
喉に詰まらせても、すぐに砕ける形にしない限り。
そういう設計にしないと、意味が無い。

分かってても、
子供にあげてしまう親はいるはず。


人は、
どんな人でも、
きっとミスをする。


-----


ところで,今週末、
幕張メッセで 医療の質、安全学会がある

命を守るパートナーズ 医療安全全国共同行動


http://qshpsp.giving.officelive.com/default.aspx

http://kyodokodo.jp/

--------

医療系のみなさま、
医療安全のパンフレットダウンロードできます。
イラストとかデザインとかすずめもやってたりします。
プリントアウトして誰でも使えます。

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2010年11月22日 (月)

カタカナへのすずめ的考察/日本語の力

カタカナ言葉


ちょい、思い出した。
前にも書いたかもだけど。


日本語のカタカナって良いと思う。
こんなすごい発明無い。
平安時代に、1000年の後の事を考えて、こんなモノ、作ってたとしたらホント、すごい。

表意文字である漢字。それに混ぜて使われる表音文字のひらがな。
この二つで日本語の殆どが表現できる。

でも、もう1つのオプションとしてカタカナがある。
それを、昨今、「外来語」を表現するための表音文字として使ってるワケだけど、それって、すんごい発明だ。さりげなく、ひらがな漢字混ぜた文の中で違いを表せる。

そして、このカタカナは、ありとあらゆる音を日本語の音に置き換えて表現できる。きっとバルタン星人の宇宙語もカタカナで書けるんだろう。
もちろん、表音文字と言っても、概ね全部の音が母音を含むワケだから、正確にはできるワケ無い。Thank you はサンキューになるけど、それはそれで良い。
だって日本語なのだ。
そして、そこが、日本語のすごいトコロだ。
どんな言語の音も、日本語にしてしまう。
日本語は、カタカナを持つことによって、こんなすごい機能を持ってるのだ。

そして、このグローバルスタンダードな時代。(ってすっごいよね、こんな形容までできちゃうんだから)このカタカナは新しい機能まで持ち始めた。

カタカナ言葉は、日本語だから、

シュークリーム
ワイシャツ

こういうガイジンには意味の通じないコトバもある。
もともと、外国語を日本の概念に合うように加工したのが、カタカナ言葉だから、そこで歪みが生じる。
たとえば、ワイシャツは、ホワイトシャツがナマったもの。きっと昔のおじさん達は、会社に行く時は、白いシャツって決まってたのだろう。ホントは英語では (dress) shirt.
T-シャツに対して、Yシャツなんて、すっごく良くできてるとすずめ的には思うけどね。

だけど、昨今の、IT用語には、そのまんま通じるものも多い。

たとえば、(何でも良いんだけど、てきとーに、ウェブからひろった英語)

Transfer files (PDF, DOC) through USB instead of Wi-Fi on your iPod touch, iPad and iPhone

こんな文章。

アイポッドタッチやアイパッド、アイフォンで
PDFやDOC(ワード)ファイルを、Wi-Fiの代わりにUSBでトランスファーする。


もちろん、コレ、IT系に弱いヒトには、きっと日本語で詳細に説明しても分かんないかもだけど、分かるヒトには分かるよね。殆どの名詞をそのまんま、カタカナで書き下しちゃえば、文章になってるし、通じちゃう。
これって、まさに、昔、漢文を書き下したのと同じ。
そして、これは、アルファベットに書き換えれば、世界中の人に伝わるのだ。


コレをカタカナの混じらない日本語にするのは至難の業だ。「ファイル」なんて、何て言えば良い?余計誤解しちゃう。
コレはコレで良いのだ。新しい文化として。
人の文化、技術、風俗、すべて、変わる。変わるのが自然だ。それに逆らって古き良きニホンゴに固執することに、どういう意味があるだろう?

これからの時代、
英語の書き下し文 っていう分野、確立されても良い気がするんだけどね。

それに、これは日本語の根幹を曲げて無い。
文法的ロジックとしては、正しい日本語だ。
そう、カタカナには、何を、どんなにバタ臭く、西洋カブレ的に取り込もうと、日本語の中身を浸食させない力がある。ファイアウオールみたいに。


だから、いくらカタカナ言葉が広まっても、日本語を損なうことにはならない。
むしろ、これからも、何千年と、文化や技術の変遷を経験しながらも、生き延びていくであろう存在として、力をつけていくことになるはず。


それにしても、1000年も前の日本人は、こんなコトまで考えて、カタカナを作ったとしたら(ってマサカ。。。)すごい!
カタカナって、日本人が綿々と伝えて来た文化の設計図を示すDNAなのかもしれない。


カタカナ、外来語を排斥する事には、意味が無い。
ヘンに曲げてひらがなや漢字の言葉にするんだったら、
そのままの方が良い。だって、外来語はもともと、日本では無い場所で生まれた概念なんだから。

これから先、
このカタカナ語はますます増えていくだろう。
だけど、
案じることは無いはず。
だって、それが日本語のすごさなんだから!


って、すずめの意見happy01

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2010年11月21日 (日)

蒟蒻ゼリー/反論への論点

蒟蒻ゼリーについて書いた日記

http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-c537.html
http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-b5dc.html
http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-75ae.html

に対して、膨大な量のコメントが寄せられた。
揶揄や罵倒のようなものもあったが、冷静な反論もあったので、その論点をまとめて書いた。


● 親の過失について

この場合は祖母ですが、祖母の行為が間違っていました。
何人もの方が祖母を訴えるべきと書いてありますが、それも可能でしょう。しかし、祖母との間に謝罪や理解があったとしたら、訴訟に至る前に和解したはずです。そして、それは他人が口出しするべきことではなく、ましてや侮蔑やバッシングの対象にされるべきものでもありません。
更に、言うまでも無く、これは設計の瑕疵や企業の社会的責任とは別です。

よしんば、親がどんな酷い人であれ、(これはたとえ話です)この企業の責任が帳消しになるというのはおかしいでしょう。

今回の判決では、この親の過失の大きさが、設計の瑕疵の大きさ以上であったことによって、棄却されたのだと思います。(まだネット上に、公判記録や判決文は出ていないので、詳細はわかりませんが)これは、尺度、スケール感の問題です。
消費者の権利と、企業の経済活動に関する権利、どちらが重く考えられるようなスケールになっているかということであるとも言えるでしょう。蒟蒻ゼリーを欧米では禁止していますが、もし、このような事件が起こったら、もちろん、消費者の権利/安全が優先されるでしょう。

● 欧米での蒟蒻ゼリー禁止について
これは蒟蒻が日本の伝統的な食品であるというのとは無関係でしょう。なぜなら欧米でも『グミ』のような商品として弾力性の強いものは出回っていますし、日本人にとっても、蒟蒻ゼリーの味は蒟蒻を連想させるものではありませんでしたから。精製された食物繊維によって同様のものを作ることができます。

● 飴と餅について

飴という素材そのものについては、設計の問題ではありません(飴は何百年も前から知られていますが)。
個別に、どの形の飴の「製品」が危険かという問題になります。
確かに飴による事故は多く発生しています。
その事故が、もし、XX飴という製品形状そのものに、起因するものであったら、それは改善させるべきであり、また、それが改められない、被害があった、ということであれば、その製造業者を訴えるべきでしょう。

しかし、飴でも事故があるのだから、蒟蒻ゼリーの設計は許されるという問題ではありません。命を奪うほどの事故があるなら、当然、改められるべきです。

餅も同様です。蒟蒻ゼリーと同様に,一口で口に吸い込まれてしまい、気道を塞ぐ形状の製品で、且つ、事故が起こったとしたら、発売中止にすべきです。しかし、それ以前に、今回のこの事例を教訓として、そのようなものは、作るべきではありません(それ以前に、危険であると分かっているので作られません。本当は、すすって食べる餅の伝統食はあるのですが、危険なため、伝統食としても廃れてしまいました)


● 企業の責任について

想定できる全てのリスクに対して、なんらかの対策を取る責任があります。実際には、企業内に、自主基準を持ち、且つ、業界団体が様々な安全基準を作っています。これらを遵守することによって、責任が取れているということになるのでしょう。

しかし、この蒟蒻ゼリーに関しては、空洞の状態でした。
そこが問題になり、消費者庁ができたという経緯があります。

また、販売戦略も企業の責任です。
なぜなら、企業は製品が店舗のどこに、どのように並べられて売られるかというところまでプランして、製品を作るからです。蒟蒻ゼリーの場合は、店頭に山積みされる事を想定してデザインされています。(薬局の店内の棚に置かれるのだったら、箱形にし、また、キャンディのようにつり下げて売られるのだったら、穴をつけ、もっと長いデザインにします。当然、これらの方式より山積みの方がたくさん売れますが、山積み販売してもらうために値段を下げたり、CMを流して小売店にアピールします)
また、コマーシャルも同様です。番組の提供をされているものも多いと思いますが、主婦層にアピールできる番組や時間帯を選んでいます。当然、小さな子供もいる人たちが多いでしょう。もちろん、CMのイメージもそうです。
そういう戦略を立てて小売店に降ろせば、自然に店頭の山積みにしてくれます。
誰でも気軽に食べるようなゼリーとして売ったのは、小売店の責任ではなく、メーカーの恣意的な戦略です。
これは、デザイン系の人間なら誰でも知っている、学校でも習う程度の初歩的な知識です。


● 事件へのマンナンライフ社の対応について

以下、
http://www19.atwiki.jp/mannanlife/
からの引用です


1歳9か月の幼児が祖母宅で凍らせたこんにゃくゼリーを食べる。ゼリーを喉に詰まらせ病院に搬送される(2008/7/29)

脳死状態になり多臓器不全で亡くなる(2008/9/20)

父親はマンナン社に事故を連絡。
マンナンライフ社は、事故発生の際は同業他社に報告する取り決めだったがそれをせず。

龍之介君の母、由佳さんが「事故を防ぐため、すべてのメーカーにこんにゃくゼリーの製造販売を禁止してほしい」とコメント(2008/9/30)

マンナンライフ社、一時製造中止決定。再開未定(2008/10/8)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081008-00000012-mai-soci

2008年11月26日 付け
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081126_mannanlife/

マンナンライフ、こんにゃく入りゼリー「蒟蒻畑」の販売を再開へ

(この再開に関しては、マンナンライフ社は改善を行ったのでということにしていますが、抜本的解決策になっていないということで、消費者団体等が講義をしています)


企業の社会的責任の1つに、危機管理があると思います。普通は、企業がその活動の範疇で何らかの重篤な事故が起こったなら、原因究明等、即時対応するはずです。しかし、マンナンライフ社は、この赤ちゃんが亡くなった事を連絡しても、無視でした。良心が公的機関に訴えて初めて、対応したようです。

● 親の訴える対象について

残念ながら、裁判という形を取る以上、金額の提示をしなければならない仕組みのようです。
ネットにアップされていないので、訴状は確認していませんが、要求の中には、製品の改善もしくは、販売中止が求められているのだと思います。(提訴の時の弁護士のコメントにはそう、ありました)
しかし、今回の裁判に至る前、事故の直後から、両親はマンナンライフ社、その他に対して、製品の改善、販売中止を、『先ず』求めています。

ネットの親バッシングには、この点に関するものも多くありましたが、事実は上記の通りです。

● 親のバッシングについて

この件に限らず、訴訟の原告に関して、感情的なバッシングが行われていることを頻繁に目にします。
今回も何千件もの日記がミクシー内にアップされていますが、どれも同じ内容、同じ誤解、同じ発想で親達を侮蔑、糾弾しています。聞くに耐えない口汚いものも多くあります。書く人間の品格のなせるものとは言え、その知性の貧困さに暗澹たる思いがあります。
論理的な部分は別として、子供を失った親に対してこのような事ができるものなのか、疑問さえ感じます。もし、遺族が、友人や近所の人であれば、こんな言葉は口にできないのかもしれないと思ったりもしますが。。。
そこが、ネットの怖さでしょうか。バッシングしている人たちは、自分自身の品格を貶めている事に気づいているでしょうか?
親の起こしてしまった行為自体は間違いでしょう。しかし、親自身は、消費者として、国民として憲法にも保証された当然の権利を行使しているにすぎず、何ら、蔑まれるべき事をしているわけではありません。
こんな声がネットで大量に出回ることによって、世論を左右してしまう怖さを感じます。

● 両親の気持ちについて

ネットの日記には、責任を「人のせいにしている」というバッシングが多くあります。
子供を失った事を人のせいにして、慰められる人がいるでしょうか?バッシングしている人たちは、そうすれば、慰められる人間が存在すると思い(もしかして、『あなた』はそういう人間ですか?)、この親がそれに該当しているということなのでしょう。しかし、それはあまりにも想像力が無さ過ぎです。そんな人間はこの世に存在しません。
そして、誰よりもそれを知っているのが、この親達のはずです。

確かに、この親/祖母は大きな間違いをしてしまいました。小さなお菓子を孫に食べさせたという極めて日常的な行為の結果として。
『あなた』が、世の中のすべての情報に精通していて、決して、ミスをしない人であれば、彼女の事を糾弾する資格があります。しかし、もしかして、30年に1度でも、ミスをすることがある方なら、あなたには、ミスをする人を、少なくとも「感情的に」糾弾する資格はありません。


● フールプルーフとユニバーサルデザイン

年間100万人の赤ちゃんが生まれます。そのすべての親達が、『あなた』と、あなたの周りの優秀な人たちと同じように、一度もミスをすることなく、子育てを全うできるというわけではありません。最初から高齢の祖父母に育てられなければならない子もいます。視覚や知的な部分に障害のある親もいるでしょう。忙しさに疲弊してしまっている親もいます。そのすべてが、更に24時間、神経をすり減らして、注意深くするべきでしょうか?
もし、すべての製品が、十分安全に配慮されて設計されていたら、そんな束縛から開放されます。その方が合理的ではありませんか?ことさら便利でなくても良いかもしれません。せめて、日常的に、人が生活の中で気軽に接してしまうものが、命までも奪わないように。
それが、フールプルーフ、ユニバーサルデザインの考え方です。

私はそれを支持しています。


-----

補足:

この祖母の場合、40代だったという。
20年以上前は、ミニカプゼリーは非常にポピュラーなお菓子だった。同様の形状だが、寒天で作られており、50個入りのものなどが、普通に売られていた。特に小さな子供専用のようなもので、クマさんなど動物のイラストが描かれたりしていた。たしか、ブルボンなども作っていた。(現在でも売っている)また、このころも、コレを凍らせるとおいしいという口コミがあり、すずめも冷凍して食べた事がある。当時は、ネットなどの情報網は無く、ゼリーを凍らせて食べると言う発想は無かったが、誰かから母(当時60代)が聞いてきた気がする。
ファミリーレストランなどのお子様ランチのオマケにもついていた記憶もある。


そういう子育てをした者にとって、ミニカップは危険なものには思えないはず。メディアでいくら危険を訴えようと、なめてかかっても不思議ではない。

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2010年11月20日 (土)

欧米では考えられない判決

蒟蒻ゼリー、両親側が控訴へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1412455&media_id=2


ミクシーの日記、
ざっと見たところ、今まで、親バッシング以外のものを見た事が無い。
なぜ、こんなにも貧困なのだろう。

中には、モノを作る仕事に関わってる人もいるだろうに。


この問題、
親の過失相殺と

設計の瑕疵 は全く別。

一口で口に入る設計にしてしまっていて、
(それで喉に詰まるのは、凍らせていなくてもある)
口の中で容易く割れない
(だから、欧米先進国では販売禁止になっている)

そんな
商品設計が行われており、
且つ
何件もの事件が起こっていて、抜本的対策もされていない。

世の中にたくさんの危険なものがあるが、
その対策を講じた上、メリットが高ければ販売されている。

例えば車は国家予算を投入して道路や法整備、免許制度などを行っている。
そこまでの対策を「蒟蒻ゼリー」は取るべきだ。(そんなに価値のあるもの?)

コンクリートの床面だって危ない。とは言え、コンクリートの道路で怪我をしても道路公団を訴えるのは不当だ。しかし、子供の遊ぶ公園の滑り台の下がコンクリートであれば、これは危険な設計だ。

コンクリートの床がいけないのではない。
「危険な設計」をしてはならないのだ。
それは、親がどうこうとか、
そして、子供を滑り台から落ちるようなお行儀の悪い子に育てたというのとも
別だ。
滑り台から落ちるという事故は必ず想定されるべきで、
それに対して、安全に配慮した設計にすべきだ。

(公園遊具に対しては、実際にはその整備が進んでいるので、これはたとえ話)

加えて,
説明の問題も、「程度」で考えられるべき。
PL法でも最初の段階から、「説明書に書いただけではダメ」だと規定している。
伝わる方法にしなければならない。
高齢者が孫に与える可能性がある販売方法(薬局やスーパーで山積みにしている)を取っている以上、高齢者にもはっきり伝わる書き方にすべきだ。

この、

フールプルーフを追求しない 設計の瑕疵

親の過失(この場合は祖母)


は、全く別。


それが分かっていない日記ばかり。


(詳細は、1つ前、二つ前の日記に書いています)

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2010年11月19日 (金)

おいしい商売/蒟蒻ゼリー

こんにゃくゼリーで1歳男児死亡事故 マンナンライフ側の主張を認め両親の損害賠請求棄却
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1412113&media_id=85


この商品、
2007年の市場規模は117億円。
それを、マンナンライフ社と小さなメーカーが独占している。しかし、森永や明治などの大企業は参入しない。
特許も切れていてどこでも製造できる。そして、彼らは分かっている。森永や明治などの大企業が参入してこないことを。一種類の商品でこれだけの販売ができれば、そりゃおいしい。さぞ、利益率、高いだろう。急成長したのが分かる。


森永や明治、
もし、死亡事故が出たら大変な事になる。
たしか、初期にはブルボンも販売していたと思うが。。。今は撤退している。
こんな事故、出したら、雪印の二の舞になる。
私たちは、誰かが、「お腹をこわしたかもしれない」ぐらいの事故でも、雪印を許さず、潰した。
私たちはそんないいかげんな製造者を許さない消費者だ。
そして、それだけの力がある。
しかし、この力は、私たちが簡単に手に入れたものではなく、
戦後、多くの消費者運動に関わる人たちが、運動し、投獄までされ、
そして、勝ち取ったものだ。
昔はもっと、もっと、危ない商品がいっぱい売られていたのだ。
何百人も死んでしまうような。
今は、いろんなレベルの安全基準によって、私たちは守られている。
そういう誠実な仕事をしている人たちが、本当はたくさんいる。
そんな事実を、私たちは忘れてしまっている。


今回の判決を受けて、膨大な日記がアップされている。
ざっと何百件?かスクロールでみたが、どれも同じ、親バッシング。
日本の消費者意識は高いと思っていたが、そのレベルの低さに、暗澹たる思いだ。

彼らはなぜ、森永が、蒟蒻ゼリーを売らないのか、
そういう疑問を感じたことが無いのだろうか?
自分がおいしいものは、「正しい」
その発想の幼稚さ。ネットだけの特殊性だろうか?
だけど、彼らの中にも、何らかの分野でプロフェッショナルとして働いている者がいるだろう。そういう人たちは、自分の仕事も、マンナン風なのだろうか?子供が死んでも、無視というような。(実際、この原告が子供の死亡をマンナンライフ社に連絡した時、無視されている)そんなのが、許容範囲なのだろうか。
あまりにお粗末。

彼らの多くは言うのだろう。

自分には、問題無い商品だ。

おそらく、彼らには、点字ブロックの無い駅のホームも、スロープの無い図書館も、自分には問題無いので、無駄だと思っているのだろう。

しかし、
今はそんな時代じゃない。
ユニバーサルデザインの価値を改めて語るまでもないが、
障害者でも、子供でも、高齢者でも、
「安心して」暮らせる社会を目指している。
ことさら便利でなくても良い。
せめて、命までは奪われない設計をすべきだ。
それが、莫大な市場規模の商品を独占販売している企業の、社会的責任であるはず。


消費者庁にはがんばって欲しいものだ。

(蒟蒻ゼリーの設計の瑕疵、その理由に関しては,1つ前の日記に書いております。)

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2010年11月17日 (水)

子供が死ぬような設計の食品/蒟蒻ゼリー

蒟蒻ゼリー、両親の請求棄却
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20101117k0000e040013000c.html?link_id=RAH05


このような判決、蒟蒻ゼリーを禁止している欧米では考えられないことだろう。

そもそも、この食品には、設計上の瑕疵があるのだ。
しかも、一般の子供が欲しがるものを売っている店舗で販売している。
家電やその他、多くの製品を作る人たちが、どんなに真摯に、誠実にものづくりをしているか。そのスタンダードから考えると論外だ。

一般の製品では、
30年前の扇風機で事故が起こったら、
何億円をかけてでも、企業は保証している。(誰でもこの事故への警告をするCMは見たことがあるだろう)
この子の場合、亡くなったコトをマンナンライフ社に伝えても無視だったという。そんな対応があるだろうか。
それを、もし、パナソニックや森永製菓がやったら、私たちはどう、出るだろう。
ポテトチップの製造工程で小さな金属片が一個、入った「可能性がある」だけで、全品、即日回収をしているのが、日本のスタンダードなのだ。
それだけ、モノを作る人たちは、誠実に、日々、消費者の安全を守っている。




この問題の争点は、
設計に瑕疵があったかどうか。
あったというのは、疑いが無い事実だ。だから、これからも改善をしていかなくてはならない。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101117-00000070-jij-soci
>消費者庁の福嶋浩彦長官は17日、報道陣の取材に応じ「メーカー側に法律上の責任があるかどうかの判断と、商品安全対策の必要性とは連動しない。実際に死亡事故が起こっているわけで、より安全なものを追求していくことは必要だ」と話した。
その上で、消費者庁が年内を目標に進めているこんにゃくゼリーの商品特性に関する安全基準作りについては「作業を進めていくことに変わりはない」とし、判決は影響しないことを強調した。
食品の物性や形状については、現在食品衛生法などに規定はなく、適用法令がない「すき間事案」になっている。これについても、福嶋長官は「食品全般のテーマとして、法整備が必要という認識は持っている」と話した。

------


もちろん、この判例の場合(今回は地裁であって、その先は分からないが)
子供の親の過失部分も相殺されている。
しかし、
どんなに、間違った使い方をしても、命まで奪うようなものは設計してはならない。それが、日本の製品のスタンダードだ。
日本の子供が遊ぶシャボン玉液は、もちろん、飲んではならないものだが、
もし、子供がイッキに一本、飲みきってしまったとしても、死なない量になっている。フールプルーフは設計の基本なのだ。


よく、餅と飴の比較がされるが、
これは論点が違う。

餅は、製品としての設計の問題ではない。
原材料・食品の種類 としての問題だ。
もし、餅が小さな容器に一口で飲み込んでしまえるような設計になった商品として売られていたら、これは、販売禁止にするべきだろう。しかし、調理用の食品として売っているとしたら、違う。
飴は、これを喉の詰まらせてしまう子供用には、棒のついたものが売られている。千歳あめのような危険なものは、普通の流通ではなく、季節限定の品として特殊なものとして売られている。

蒟蒻ゼリーにしても、
その食品としての材料に問題があるわけではない。クラッシュにしたり、やわらかくしたりなどしたものは問題ないだろうし、子供が食べたく無いような味になっていたら、それも良いだろう。また、価格をお菓子として日常的に食べないような高価な設定にするのも良かったかもしれない。
または、飴のように、子供の専用品としての商品を別途用意して選ばせる戦略でも良い。
そういう何らかの配慮なく、売られたものだったという事実がある。

単なる嗜好的食品であり、殊更センスの良い食べ物でもない。
子供の命を奪うような製品を設計した企業は、糾弾されてしかるべきだ。

私たちは、雪印だって許さなかった消費者なのだ。



---

マンナンライフ社を擁護する日記を書いてるみなさま。
あなたたちの中に、何らかの分野のプロフェッショナルが含まれていると思いますが、あなたたちのプロとしての仕事は、そんなにお粗末ですか。そんなに貧しい了見で仕事をされてますか?




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以下、上記記事、引用抜粋


こんにゃくゼリーで窒息死した兵庫県内の男児(事故当時1歳9カ月)の両親が製造元のマンナンライフ(本社・群馬県)や社長らに対し、「商品に欠陥があった」などとして製造物責任法(PL法)などに基づき約6240万円の損害賠償と製造差し止めを求めた訴訟の判決が17日、神戸地裁姫路支部で言い渡された。中村隆次裁判長は「商品に製造物責任法上の欠陥はなく、子どもや高齢者への危険についての警告表示も十分だった」として請求を棄却した。【山川淳平】



 判決によると、男児は08年7月、ミニカップ入りの凍った「蒟蒻畑(こんにゃくばたけ)マンゴー味」をのどに詰まらせて脳死状態となり、約2カ月後に多臓器不全で死亡した。



 両親は、通常のゼリーと混同されがちなのに、口内で溶けず舌でつぶしにくい、などと主張したが、中村裁判長は「事故当時、一般消費者は、この商品がこんにゃくの成分を含み、通常のゼリーとは異なることを十分に認識可能だった。事故の報道も広く認知され、食品の特性を意識しにくい状態ではなかった」と述べた。



 また、「吸い出して食べるため、のどに一気に到達しやすい」との指摘にも、「吸い出して食べる必要がないことは、容器の見た目や感触により容易に認識可能」とし、蒟蒻畑は「通常の安全性を備えている」と結論付けた。



 また、「子どもや高齢者は食べないで」などとする包装袋の表示についても、「一般消費者に事故の危険性を周知するのに必要十分だった」とし、警告表示の点でも欠陥はないと判断した。



 この事故で、マ社は2カ月間の製造休止後、形状は変えず、こんにゃく粉の含有量を10%減らすなどして再開した。消費者庁によると、こんにゃくゼリーによる窒息事故は94年以降54件(うち死亡22件)。国民生活センターなどが警告を繰り返し、この裁判の事故は消費者庁発足の一因ともなった。同庁は今年9月、安全指標作りを始めたが、危険性が高いとする同庁と「餅に次ぎ、あめと同等」とする国の食品安全委の見解が分かれ、滞っている。



 一方、欧州連合(EU)や豪州、カナダなどでは、内外の事故を受けてゼリーへのこんにゃく使用を禁じている。



 ◇安全指標への悪影響を懸念 代理人の弁護士



 「悲劇を繰り返さないで」との思いは届かなかった。両親の代理人の土居由佳弁護士は17日午前、判決を受けて兵庫県姫路市内で会見し、「不当な判決。事故の危険性は今も高い。消費者庁が検討している安全指標作りに判決が悪影響を与えなければよいが」と懸念を述べ、「今後の対応は両親と協議して決めたい」と淡々と語った。

 ◇消費者庁「法整備は必要」

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 この事故を受け、現在は「絶対に(食べないで)」と表現を強め、表示を大きくし、ミニカップのふたにも警告を入れた。しかし、硬さや大きさなど商品本体への自主規制は見送られた。


 ◇こんにゃくゼリーを巡る行政・業界の対応と、判明している死亡事故



95年7月 1歳6カ月男児(新潟県)



  8月 6歳男児(大阪府)



  10月 国民生活センターが死亡事故を公表して初めて注意喚起。以降、死亡事故の把握ごとに発表



  12月 82歳女性(茨城県)



96年3月 87歳男性(鳥取県)



     68歳男性(静岡県)



     1歳10カ月男児(長野県)



  6月 2歳1カ月男児(埼玉県)



     6歳男児(茨城県)



99年4月 41歳女性(東京都)



  12月 2歳男児(京都府)



02年7月 80歳女性(秋田県)



05年8月 87歳女性(愛知県)



06年5月 4歳男児(三重県)



  6月 79歳男性(兵庫県)



  10月 3歳男児(東京都)



  11月 センターが「幼児、高齢者はとくに注意」と注意喚起



07年3月 7歳男児(三重県)



     7歳男児(住所不明)



  4月 7歳男児(長野県)



  6月 センターが事業者名を公表して注意喚起



  9月 業界団体が包装に統一警告マークの表示を決定



  10月 68歳男性(住所不明)



08年4月 75歳女性(東京都)



  5月 87歳女性(東京都)



  7月 1歳9カ月男児(兵庫県)



  9月 政府が業界団体に改善を要請



  10月 業界団体がミニカップにも警告マークを付け、包装の警告表示も拡大させる対策を決定



09年4月 内閣府が食品安全委にこんにゃくゼリーなどの安全性評価諮問



  9月 消費者庁発足



10年3月 食安委が窒息しやすさは「あめと同程度」とする評価書をまとめる



  7月 消費者庁が法規制の判断先送り



  12月 消費者庁が硬さなどの参考指標を公表(予定)

いただいた反論へのとりまとめ http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-8325.html デザインはここまですべきだった http://suzume6.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-b362.html

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昔はもっとあったはず/虐待

■木箱監禁死の両親、女児の姉へも虐待か
(読売新聞 - 07月27日 03:06)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100727/crm1007272229039-n1.htm


こういう事件の報道に関する反応。
いつも決まって、「最近は。。」
と、あたかも増えているような日記が並ぶ。

しかし、そうだろうか。
たとえば、こういう統計がある。

指導者用「乳幼児の事故防止教育ハンドブック」 東京都福祉保健局

http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kodomo/shussan/nyuyoji/jiko_kyouiku/index.html

の、「第二章 乳幼児事故の現状」から、

0歳は出産に伴う異常などにより多くの子どもが死亡しており不慮の事故は第5位であるものの、1〜4歳、5〜9歳の小児期では不慮の事故が第1位を占めている

0歳では平成元年には事故による死亡率は出生10万当たり31.8であったが、平成14年は13.5となり、この15年の間に平成元年の42.5%に減少している。

1〜4歳では平成元年には人口10万対14.7であったが平成14年には5.0となり、平成元年の34.0%と3分の1になっている。

5〜9歳では平成元年には人口10万対7.5であったが平成14年には3.7となり、平成元年の49.3%に減少している。

事故による死亡率をみるかぎりこの15年間に2分の1以下に減少しており、事故による死亡率はよい方向に進んでいる。


引用元
http://d.hatena.ne.jp/WinterMute/20090311/1236733630


更に、付け加えると、
これより前は、格段に多い。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkyuujigyou/dl/100514c.pdf

少子化による実数が減ってるとしてもまだ差がある。
だけど、昭和の中期というと、まだ統計の基準なんかも違ったろうから、考えないコトにして。。。


いずれにしても、
死亡者の数が減ってるのは確か。

この、「不慮の事故」は本当に、昔から、すべて、
防げ得ない不慮のものだったのか。


昔、虐待による死亡などというような、概念が無ければ、
親が
「転んで頭を打った」
「この火傷は本人の火遊び」
「目を離したすきに、箱の中へ入ってしまった。」
などと言えば、警察も信じただろう。そもそも、警察など、介入させなかったろう。病院の医師を言いくるめれば、どうにかなったのではないだろうか。
今は、救急系の人達は、小さな痣にだって注目し、嘘を見抜くテクニックも、その対処にも長けてるだろうけど。
でも、昔だったらそういうのも
虐待死にカウントされる事は無かったのでは?

さて、
そのすずめ的解釈。
メディアが報道するのは、悲劇の結果だけだ。
だけど、その悲劇は減ってる。
ここには、きっと減らした人達がいる。

それは、たとえば、上の記事でも問題になっている、児童相談所の職員。
救急やその他の医療関係者、
学校や幼稚園の職員
周りの大人。

今、多くの大人が知っている。もし、小さな子供の背中に、痣があったり、
腕に火傷の後を見つけたら、虐待の可能性があると。
そして、見ず知らずのコンビニの店員さんでさえ、それをどこに通報すればいいか、通報されたら、どう、対処すればいいか、しっている。

10年前、15年前の私たちは知っていただろうか?


悲劇は確実に減らされているはず。
増えていると勘違いしてるのは、大衆だけ。
騙してるのはメディア。
だけど、
ウソも方便だと思う。
なぜなら、こういうニュースを見るたびに、
増えてると思うたびに、
かわいそうな子供たちに心が及ぶ。
そして、コンビニで出会う小さな子の腕の痣を見て、
虐待を連想する、やさしい大人が増える。

それはそれで良いことだ。

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2010年11月12日 (金)

大原美術館

大原美術館。
子どもの頃から,何度、足を運んだろう。


私の西洋美術への理解は、まさに大原が原点。
印象派といえば、モネの印象ではなく、大原の「積み藁」
ボナールは猫のいる手すり、そのパープルの影
画家の名前イコール、大原の所蔵品だったりする。

倉敷紡績を経営していた、大原孫三郎の個人コレクション。
国立西洋が総理大臣の息子で、川崎造船の松方幸次郎のコレクションであり、その国家的規模と比べると、地方の財閥のスケールは小さいのかもしれないが、そこがまた、良い。
国立西洋には、さすがに世界に冠たる逸品が大量にあるが、ここ、大原美術館には、そういう有名作品は無い。世間的にはエルグレコの受胎告知ということになっているが、美術作品的にはどうだろう。もちろん、素晴らしい作品であることは間違い無いが。

それよりも、大原の良さは、そのバランスの取れたコレクションのありかただと思う。どこかに偏ることなく、ほどよく、コレクターの趣味を主張しながら、おおまかに、美術史の最もエキサイティングで面白い部分を見せてくれる。


印象派の前期から、後期、そしてフォービズム、ピカソまで。ふんわりとした流れ。
もちろん、エルグレコのような、古い名画を日本で見られるなんて、本当に奇跡のようなものかもしれない。だけど。。。そういうものじゃなく、もっと、こういう「普通の名画」を見られることに価値があると思う。


何年かぶりに行った大原は、展示の順番が、大きく変わっていた。

昔は、コローの小品はガラスケースに入っていて、その向かいにムンクがあり。。。だが、増築したらしく、昔より、ゆったり、壁に並んでかけてある。この方が見やすいといえば、見やすい。

この日は、ゆっくり何度も回ったので、何となく、中の職員の方と顔見知りになってしまった。
「今は、ほとんど、主立ったものはあるんですが、ピカソの鳥かごのだけ、貸し出してるんですよ。」
なるほど。ピカソは二点あって、一点は骸骨。それと、もう一点は鳥かご。
両方とも大きな作品だ。
美術館は、時々、海外も含めていろんな地域の企画展に作品を貸し出したりしている。去年、東京で見たゴーギャン展でも、見覚えのある作品があるとおもったら、大原の「かぐわしき大地 Delightful Land」だった。(このDelightful を『かぐわしき』と訳した人に感謝。子どもの頃の私の言語感覚に美しい言葉を与えてくれた)

http://www.ohara.or.jp/201001/jp/C/C3a07.html


大原は、子どものころから、何度も足を運び、ほとんど覚えてしまっている。
その中で、1つ、記憶に無い作品があった。

http://www.ohara.or.jp/201001/jp/C/C3a22.html

こんなのを覚えていないなんて、自分でも驚いてしまったのだが。。。
特殊に大きなものだったので、見そこねてしまっていたのだろうか?
(ただ、作品的には、それほどでもないとも言えるのだけど)

昔、一番、インパクトのあったのは、ムンクだった。
マドンナ。

http://xroads.virginia.edu/~MUSEUM/Armory/galleryK/K_197_245b.b.jpg

初めてこの作品の意味に気づいたのは、高校のころだろうか。
何か、言い知れない重く、暗い闇の存在に、眠れなかった。


意外に好きだったのは、セガンティーニだ。

http://www.ohara.or.jp/201001/jp/C/C3a12.html


あ、もっと好きだったのがあった。

ギュスタフ モローの雅歌

http://www.ohara.or.jp/201001/jp/C/C3a28.html

非常に小さい作品。しかも水彩だ。
モローは、こういう神話などをテーマにしたものを多く手がけている。程よいロマンチシズムが良い。(ロセッティとかのようにアニメ系でもない)
ちょうど、私が高校生のころ、実家で取っていた中国新聞で、モローの特集をやっていたのを、今でも覚えている。モローは画家としてよりも、教師として優れていた。彼の門下には、マルケやマティスなど、フォービズムの画家たちがたくさんいたのだった。古典派の門下が印象派をすっとばしてフォービズム!

昔も、このモローの小品は柱に埋められたガラスケースに入っていたのだが。。。

今は、4部屋目の入り口にある。
ちょうど、印象派の後期以降の部屋だ。そこに、師匠である、モロー。
本来は、印象派と同時代に分類されるべき所のはず。
そして、その真っ正面に、マチスの画家の娘。
そしてマルケの風景。


それを話すと、職員の方がおっしゃった。
「学芸員さんの、それぞれの思い入れがあるんですよ。たぶん、それを考えてらしたんでしょうね。」
うーん。わかるわかる!

おもしろくてしょうがない!

そうそう,特筆すべきは、
エルグレコの部屋ができたこと。
深いブルーの壁紙の部屋に、一点。
受胎告知。

うーん。確かにこのブルー。非常にマッチしてるんだけど、そして、もしかして、この作品に合う色を一色選べと言われたら、正しい選択の1つかもしれないけど
そんなドラスティックな色というか、解釈を、ヒトに押し付けてくる??

以前、東郷青児美術館のゴッホの後ろも、赤だったけどねえ。

それに、大原の良さって、このエルグレコをがっつり、1点っていうんじゃないと思うんだけどな。でも、まあ、確かに、コレクションの流れからは、ポストルネッサンスの作品は外れてるし。(そんなのまであったらすごいけどね)

ちなみに。。。このエルグレコの受胎告知。同様の作品は、世界各地にあるらしい。その中でも、大原のコレはマリアが美人だし、描き込みも良いので値打ち品ではあるけど。

大原には、この本館の他に、
昔の米蔵などを改造した、棟方志功館他がある。
床に面白い寄せ木を敷いていて、歩くと音がしたり、いろんなさりげない工夫がある。棟方志功は、ここで見たのが初めてだったので、そして、他ではほとんど見たことがなかったので、まさに、この展示館の建築のイメージが彼のイメージでもある。それに相応しい、良い館だ。

日本の所蔵品も非常に充実している。
青木繁

http://julian.cocolog-nifty.com/floral_muse/images/aoki_2.jpg

男の顔

ちょい、残念なのは、照明がテカってたこと。
(モンク、言っといた)

重要文化財の関根正二もある。

http://www.ohara.or.jp/201001/jp/C/C3b09.html

岸田劉生は本当は、「画家の妻」があったはずなんだけど、今回は
静物と麗子だけ。
画像、見つかんないけど、この静物が良い。


今回、増築されたところには、イマドキの現代ゲージツ家の作品もいっぱいあった。草間彌生とか、その手の。


いろんな意味で楽しめる大原美術館。
チャンスがあれば是非。

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2010年11月10日 (水)

未成熟な親?:第一子の初産年齢の統計

第一子の初産年齢の統計編集する2010年08月04日09:13
■未成熟な親、相次ぐ虐待…10〜20歳代が半数
(読売新聞 - 08月04日 03:04)
http://blog.livedoor.jp/video_news/archives/1437710.html

この記事、統計、おかしい。
第一子の初産年齢の統計では、年度によってちがうが、
下の出典(17年度 国民生活白書)では、ざっと、20代の初産が60万件中、40万。30代以上が、20万。初産だけで言っても、10〜20歳代がもともと、6割。
それから考えると、ここで計算された統計は、同数、もしくは少ない位じゃないだろうか。


http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h17/01_honpen/html/hm01010004.html


確かに、「未熟」だと、経済的に不安定で、周りには独身で遊んでる友達がたくさんいて、いっしょに遊びたくなると子供がじゃま。。。。それが、この間話題になってた、2人の子を置き去りっていう事件の背景かもしれないけど。


虐待の背景は、もっと多様じゃないだろうか。

こういう事件があると、
「未熟な親」という批判が集まるが、
20代は未熟で、(10代の後半で産んでも、2、3歳になれば20代になる)
30代で産むべき?という晩婚化、少子化の奨励になってしまう。
30代で少数の子供を、世間から後ろ指さされぬように、りっぱで、高学歴の完璧な子に育てるべき。そういう了見が、ますます、少子化をすすめちゃってないだろうか。

子供も、
子育てする親も、
本来多様なもの。
もっと、アバウトでいいじゃん。
虐待されそうだったら、助ければ。
って、思ったりするんだけど。

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2010年11月 9日 (火)

世界一、健康に良い食べ物

マクドナルドの怖すぎるCM!死んだ男が“I was lovin’ it”
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1346386&media_id=114

どんなモノでも、一種類の食品を食べてだけいたら、病気になる。それは別にマクドナルドに限った事では無く、お米でも野菜でも、何にでも言えること。
それなのに、なぜ、ハンバーガーに限って、そういう見方しかされないのか。


別に、擁護するわけではないんだけど、


以前、「買ってはいけない」という本があった。
ココにもマックが出てきたけど、やはり、同じ理屈で否定されていた。
それは、食べ物への評価としてはおかし過ぎる。

私たちは、たとえばゴマに対しては、
「栄養がある」
(栄養があるってどーゆー意味か分かんないけどさ)
って、手放しで言ったりする。
でも、もし、毎日、ゴマしか食べなかったら、
レタスしか食べなかったら。。。
死ぬ程不健康だろう。
だから、そんなコト、誰も言わない。

もひとつ。。。昔、
「世界で一番健康的な食べ物」っていうのがあった。
クエーカーのオートミール。
だけど、コレだって、コレだけ食べてれば「健康」って意味じゃ無いだろう。
だったら、ドッグフードとかの方が健康的ってコトになってしまう。


別にハンバーガーを擁護するワケじゃないけど、
おかしいよね。

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2010年11月 7日 (日)

死刑のあり方

mixiに9月10日に書いた日記


死刑のあり方で勉強会、存廃の意見を聴取
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1337318&media_id=88

それでも、尚、私は、廃止の方向に向かうべきだと思う。

死刑の問題。
ナガヤマノリオやヒラヤマ(帝銀事件の)を頭に描くだけじゃなく、

マツモトチヅオや
オオクボキヨシ
ミヤザキツトム(女の子を何人も殺した)
ああいう、本当に、誰もが許せないと感じる存在を皆が頭に描いた上で、
そして、尚、死刑は撤廃したいと思うまで、死刑は存続させるべきだと思う。
私は、個人的には、
その上で、死刑は撤廃しても良いと思える。

法という社会が作った方便が、人の人生を失わせる力を持つべきなのか、
「死」には、もっと、哲学的に、尊厳を持たせるべきだと思う。
社会が、人を罰する事ができるのは、
社会の中、社会的存在としての人の環境の範囲内であって、

は、不可侵であるべきじゃないだろうか。

ただし、
「人権」も社会が与えたものだから、
社会として、それを剥奪しても良い。

その具体的方法としては、
記事にも出て来ている、
「終身刑」をきちんと整備すれば、自ずと、死刑は減るだろう。
そして、それを死刑撤廃への一里塚として、
長い時間をかけて、でも、撤廃の方向へ、
もって行くというのに賛成だ。

現在の、いろんな事件、死刑を巡っては、何か不自然な現象が散見している。
司法が、絶対的なものではなく、大衆の感情におもねているような。
たとえば、山口県光市の殺人への判決。
被害者にもし、マスコミのバックアップがなければ、差し戻しはあり得ただろうか?もし、そうだとしたら、それは、マスコミによる、リンチとは言えないだろうか。

オウムのマツモト死刑囚は今、本当に、正常な精神を維持できているのだろうか。伝えられる異常な様子は、単に本人が演じているのか、そうでないのか。。。キチンと、公平な診断がされているのだろうか。
本来は、精神に異常を来した状態での死刑は行えない。
だけど、どうなのだろう。
ああいう、誰もが憎む存在には、法務大臣も判を押しやすい。
精神疾患を持つ犯罪者を死刑にして、私たちは満たされるのだろうか。

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2010年11月 3日 (水)

幼保一体化 反対する人たち。

幼保一体化

ミクシーの日記と、
それに寄せられた反対意見へのすずめのコメント。

幼稚園と保育所 現行制度廃止
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1392128&media_id=2


やっと、やってくれるけど。。。
うちの子たちはもう、対象外。


でも、これ、本当にできたら、かなり意義深い。
世の中に星の数ほどある、縦割り行政の問題に風穴をあける前例になってくれるかもしれない。

個人的な感想だけど、
眺めてると、この厚労省って、性格的に曲がってるように見える。
経産省や国交省はいろんな所で、いっしょにいるのを見かけるし、実際、公的にも連携してる。

ところが。。。厚労省。たとえば医学教育とか、イロイロ他の省庁と連携しなきゃいけないものがたくさんあるのに、巨大な壁を構築してる。


そんな中、
保育園と幼稚園の区分け。

保育園は福祉厚生施設なんだから、一切教育はしない。
幼稚園は教育施設なんだから、一切厚生的サービスはしない。

親にとってはどちらか一方にしか預けられない。保育園に預けた場合は、
来年、学校に上がる子に対して、「教育的サービス」は一切、受けられないのだ。
だけど、同じ、子どもなんだヨ。

たとえば、世田谷の区立保育園では、来年から学校へ行く6歳の子にも1歳児と同じように昼寝をさせる。6歳にもなれば、昼寝はしたくない子もたくさんいるし、そんな生活リズムを付けられてたら、学校へ上がって困るんだけど、更生施設なので、昼寝。
文字も教えてはいけない。
イマドキ、1年生でひらがなが書けない子はいない。幼稚園ではワークブックやいろんな教材で教えてるんだけど、保育園は一切ダメ。「教育」をしてはならないから。

おそらく、幼稚園にも同じ弊害はあるんだと思うけど。

縦割り行政ウンヌンっていう政治だのナンだのっていう理屈はともかく、ユーザとしてはとても不満だ。

ところが昨今、少子化で幼稚園の希望者が減り、幼稚園側で、延長保育など保育園並みのサービスをする所も出て来た。保育園でも、私立の所では、年長児には昼寝をやめて、本を読んだり、お習字のクラスを開くなど、っていう所もあるようになってきた、(上の子の行ってた所はそうだった)

っていう現場側の事情によって、変わらざるをえないのだろう。

この問題、ホントは、保母や幼稚園教諭の資格や教員養成の問題も関わってくる。
相当、深い所までの溝を埋めていかないと、「子ども園」は実現しないだろう。

これを期に、
厚労省と文科省のおざなりじゃない、ちゃんとした連携のモデルができるといい。
他にも数多あるこういう弊害を解消する良い前例となってくれるかもしれない。

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***さん

コメントありがとうございます。

>この条例は恐ろしい条例ですよ。それで得をするのは役所だけです。


現在、保育園などの状況は、自治体によって大きく違いますので、
一概には言えません。おっしゃるような所もあると思います。
問題は、
同じ子どもを預ける場なのに、管轄省庁の違いによって、縦割りにされてしまっていて、ユーザにはチョイスが無いということだと思います。
昔ながらの保育園に預けたい人は、そういうのを選べば良い。ひらがな位教えて欲しいという人はそういう所が選べる。。。そうあるべきだと思います。

今、国は保育園を増やそうとしていますが、実際、具体的な場所を確保するのが難しいでしょう。雑居ビルの一室を使う位なら、当然、廃園になりそうな幼稚園を使うのが合理的です。園庭もあった方が子どもには良いでしょうし。
本当は10年を待たず、時限立法などの方法もアリかなと思うんですけど。
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皆様、コメントありがとうございます。

非常に興味深く拝見いたしました。

幼稚園、保育園の問題をテーマにすると、必ず最後は、
「だって、厚労省文科省の縦割りなんだもん。絶対に良くならないよ。」
という所に帰着します。
この問題に限らず、この省庁間の縦割りの壁に対する弊害は、様々な分野で語られ、多少なりとも新聞を読む人なら、肯定的に論じることはまず、無いでしょう。

にもかかわらず、実際、それを10年かけてこれから解決していこうという動きが出ると、即座に否定に回ってしまう(人がいる)。非常に興味深く思いました。子ども園に関しては、これからまだ、10年かけて変えようという方向性が出されているまでで、中身はほとんど決まっていません。が、その具体的変更内容に対する批判なら分かるのですが、現時点での批判ということは、これまで通り、省庁の縦割りを固持すべきという主張なのでしょうか?

誰も、現在の、保育園を巡る環境が理想的だと思っていない中、しかも、早急に対応が求められる中、なぜ、変える事に反対なのか、理解に苦しみます。


>『子どものための施設』じゃなくなっているんだよね 『親のための施設』になっているんだよ。

現実問題、女性は子どもができると、キャリアを諦めざるをえなかった時代があります。人生を犠牲にすることなく、子育てもできる、それが理想であり、そのために、保育園他があります。

>日本の幼児教育は低下します。

これは現在の幼稚園利用者の主張だと思いますが。。。働く親の入らない、ブランド系私立こども園は、これからもまだまだ存続するでしょう。そういう所を選べば良いだけです。


>この制度になっても、ユーザーの選択肢は増えません。こども園という選択ができるようになるだけ。

今まで、幼稚園利用者には、選択肢はたくさんありました。ですが、保育園へいれようとすると,選択肢以前に、入れるかどうかさえ大変な現状があります。

たとえば、

>保育園でもお勉強させる所はありますし、幼稚園でも養護というか「教育のみ」って訳ではないですよ〜

そうは言っても、そこへ入れるかどうか。。。

ただし、この問題、本当は、保育園は、そういう予算もつかない中、イレギュラーに文字を教えたりしているだけ。そもそも、幼稚園教諭ではないので...と言う所が核心であって、それがまさに,縦割りの壁なワケです。

>今ある障壁を撤廃してコストをかけずに企業が参入できるよう、市場開放するのが狙いです。

待機児童の問題は、早急に解決してくれないと、社会が立ちゆかなくなります。ですから、むしろ10年を待たず、市場開放でも何でもして、解決すべきだと思います。少子化により、幼稚園は廃園。一方で保育園は雑居ビルにぎゅうぎゅう詰め。これではあまりに不合理ではないでしょうか?

>教育や運営についても自由裁量ですし、保育認定を窓口でしてもらうだけで、ユーザーと園の直接契約になります。 。。。加配が必要なグレーゾーンの子や看護の必要な子は敬遠され、。。。保育料の滞納回避や人手をかけられない事情により、選別される可能性も出てきます。

こういう問題を解決して行く為の10年だと思います。

まさに、この問題は、今もなお、保育園、福祉の問題として存在しているわけですが、この解決の為に、今の縦割りが有効に機能するとは、思えません。

むしろ、省庁の壁を取り除くことによって、進展させられると思いますが、
いかがでしょう?
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みなさま、コメントありがとうございます。

こども園、実は何年も前から、全国の特区で実際に行われていて、そこからのまさに現場の現実の声を吸い上げる仕組みも出ているようです。ネットでもいろんな報告書が読めます。(もちろんいろんな問題点はありますが、根源論としては、是であると思います)もう、机上の空論の域はとっくに脱しています。


実際の政治家さんの声を直接ラフな形でお聞きすると、
非常に勉強されているのが分かります。もちろん、個人の力には限りがあるわけですが、また、どの方も、いわゆるブレーンというシンクタンクなど調査機関を持っていらして、一般の人の声を吸い上げる仕組みや委員会などもあります。(関係した委員会のメンバーをご覧下さい。ちゃんと現場の人なんかも入っているのも多いですヨ)

ですが。。。メディアが報道する時には、政治家さんが記者会見で話した一言だけを繰り返し繰り返し流すことになります。私たちは、全然考えてない!って見えてしまいます。

この問題、上でレスを下さった方達、何人もが「反対」を唱えてらっしゃいましたが、そういう部分からの煽りを感じます。本当に良い(可能性を含む)政策か、裏に国際的巨大資本の利権が絡むような政策か、(保育園などというような、零細ビジネスは石油や原発の比じゃありませんから)ちゃんと見極めなければならないと思います。

それを。。。ネットでは誰もがしたり顔で叩いています。
そうやって、いろんな政策を潰してきました。政治家さんたちも、こういうのに叩かれないための「方策」をそろそろ練り始めていますけれど。そんな小手先のテクニックを使わないといけないなんて。。。かなりロスです。
ネットの発言、どれも無責任ですから、本当の国民の声とは違います。きちんとパブリックコメントに寄せられる意見とか、責任ある発言に限るべきかもしれません。

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