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2010年9月25日 (土)

すずめ的公共哲学風妄想

民主主義って/ 熟議の民主主義


この間、ヒョンな感じに公共哲学なるモノの会に行っちゃった。

実はすずめは、多少、お察しされてるかもだけど。。。
学生時代は、すんごい、ブンガク少女だった。小学校に入学したその日から、とにかく、一日中、本ばっかし読んでた。よく、学年に1人とか、図書館の貸し出し数が突出してるヤツがいたと思うけど、
そうそう、それ。とにかく、高校までの12年間、本ばっかしの人生だったので、このままじゃ字しか読めないオトナになってしまうと思って、美大に行ったのだった。


っていうカコがあるので。。。
哲学って、興味が無いワケじゃないけど、でも、俗物的単細胞の脳に成り果ててしまった今日この頃。。。
逆に、単細胞で考えると新鮮で、面白いんじゃないかと参加してみた。


っていうのが前置き。

で、何かイロイロ考えさせられた。
以下、すずめ的妄想風考察。


民主主義って何だろう?
すずめたちは小学校の頃から、多数決で学級委員を決めて、飲み会の行き先も多数決で決めちゃったりする。
なぜなら、それが公平だから。
公平?
本当に、公平なんだろうか?
そして、そこから導きだされる解答は、真実の一つだったりするんだろうか?

「ナチス、ヒットラーも民主主義によって選ばれたんですよね。」
っと、公共哲学会を主催されてる哲学者Y氏はおっしゃった。

すずめの頭には、「色付きの悪夢」(NHKの番組 昔の白黒フィルムをいろんな資料をもとに画像処理して『色付き』にする試み)で見た、ナチスの赤い旗が広がった。
あの赤、何て魅力的だったろう。ワインカラーでもなく、少し、黄色っぽい、でも、鮮やかに深い。
正直、カッコ良過ぎ。
あんな色と、ハーケンクロイツ、見せられちゃったら、すずめなんか、イチコロだ。ヒットラーに熱狂しちゃいそう。ホント、あの時代に生まれなくて良かった。

そういう仕掛けのもとに、民主主義を取られたら。。。
その結果がもたらすものには、真実があるんだろうか?

そういえば、コイズミ内閣の頃もそうだった。
なぜか、高支持率が延々と続いた。

コレが飲み会の行き先

ワインバーか、イタメシか、居酒屋か。。。
その差だったら、多数決も良い。もし、お腹がすいてる人が少なくてワインバーになっても、それはそれ。大勢がイタメシにつき合うのは理不尽だし。かと言って、「みんなで話がしたい」っていうのが、第一の目的なんだから、バラになってっていう選択肢は無い。
お開きになった時、
「おほほ、おしゃれ〜な私たちに、ぴったりの雰囲気ザマしたわねぇ。」
っと、微笑んでる酔っぱらいが多い方が良い。


っていうような、コトを日々、学習しちゃってるから、コイズミの支持率っていうのが、すばらしいコトに見えちゃったりしてた。でも、その実、ひねくれモノのすずめの頭には、90%を越えるのって、どーよ。っと、ナチの姿が頭をよぎらなかったワケではない。だけど、そうは思っても、世の中の9割が信じてると、長いモノには巻かれてしまう。


って、長くなったんで、また明日。


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昨日は、多数決のハナシ。
コイズミ支持率は一時、100%に迫る90%台。それを長く維持してた。


この9割ってすごい。
ハナシは反れるけど、
75%だっけ?忘れたけど、一定以上のシェアを取った商品は、
絶対に覆せないという「神話」があった。
この例えで引用されるのが、キリンラガー。
ご存知の通り、ドライ戦争が始まるまで、神話はずっとリアルだった。

マーケティングの基本も、結果論的な多数決だ。
100万個売れるものは、開発コストなんか、ビビたるものだ。
だけど、1000個しか売れないものには、開発コストどころか、
パッケージの版代金なんかでも、出費は大きい。同じものでも、一個あたりの定価を高く設定しなければならないから、その付加価値を理解してもらえる人じゃないと、買ってもらえない。売れない、
だから作らない。

でも、考えてみると。。。
それって、独裁者と、どう違う?

売れるか売れないかの結果。
独裁者が勝手に決めた結果。

下っ端の個人にとって、
成るようにしかならない結果ってコトでは同じなんじゃないかなあ。

そんな
疑問を感じる、感じないに関わらず、私たちは、そういうオキテの中に生きてる。

ヒットラーがそうであったように、
民主主義とは、独裁者をも肯定してしまう方法論なんだろう。
困ったコトに、それなのに、私たちは、民主主義イコール公平と信じてしまっている。
単細胞すずめは、カッコ良ければ、ナチの赤い旗に向かって突進しちゃうかも。

じゃあ。
どうしたら良い?

中学生辺りに聞いても、こう、応えるだろう。
「少数意見も尊重すべき」

なーるほど。
やっぱりマーケティングのハナシでこういうのを聞いたことがある。
たとえば、化粧品のパッケージ(クリーム)のデザインモニター。
1 白いデザイン
2 ピンク
3 薄黄色
4 黒
調査結果では、もちろ、白がダントツ。
でも、黒も14%あった。
多数決的には、白だけど、この結果から黒を選択して、成功した。

全員が選ぶ無難なモノって、魅力を感じないこともある。少なくとも、市場で競合に勝つためには、何か、アピールが別に必要になる。そのアピールがボトルカラーでできれば、これほど安上がりな
戦略は無い。だけど、黒い瓶のクリームなんて、肌も黒くなっちゃいそう。。。?
黒という(その当時は)大冒険の色でも、14%あったというのは、この色が受け入れられる素地はあるのだという事を示しているという判断なのかもしれない。

マーケティングの場合、売れる事、イコール 真実であり、善だ。
そこにきれいごと、言うつもりはない。
だって、売れ残ったら、捨てるしか無い。お店も、会社も倒産しちゃう。

だから、この結果、
14%を選ぶっていうものは、正しいんだろう。
まさに、これって「少数意見を尊重」した成功例?


でも、そうだろうか?
14%じゃなく、10%だったら?
もしくは、いつも50%を廃して14%を選んで正解なんだろうか?
実は。。。
殆どの現場では、1位が50%で2位が14%だったら、一位を廃して、2位を選ぶ事なんてできない。
多くは、非常にキャラが立った?ような天才肌のベテランマーケッターがいて、彼の「独断」で、決定されるのだ。
彼は天才なので、外すコトもあれば、当たるコトもある。
黒いクリームの箱は冒険であり、どっちにしろ、当たるも八卦当たらぬも八卦。当たらなかった時は、大外れ。
その点、無難なデザイン(白)であれば、大当たりはしないかもしれないけど、大外れも無い。

さ〜って、そんなコト、誰もが承知の上、どういう結論を出すか。

多数決の少数意見。
たくさんある個別の少数意見のうち、どれを採用するか。
それもまた、多数決で決めるんだろうか。

それって、じゃんけんより、正しいんだろうか。


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もひとつ、すずめの妄想的例

昨今のユニバーサルデザイン。
点字ブロックって、高齢者には突っかかりやすい。

視覚障害への補助をちょっと見えないヒトもカバーするのか、
全盲でしかダメなのか。。。
車椅子の方が聴覚障害よりオトクにするか。。。。

障害って、ヒトの数ほど多種多様。だから、どんな形のものでも、法律でも、
あっちを立てればこっちが立たず。。っていうようなのはすっごく多い。
っていうか、みんなにハッピーなんて、アリエナイ。

そんな中、
「少数意見」って「誰の?」
ってのが、一番の問題になる。
結果的に、ニッポンは障害者運動としては、車椅子のヒトたちがずっと頑張ってきたので、
彼らの声が一番大きく聞こえる。(ってのはすずめの誤解です。ごめんなさい)その次は、ロービジョンでなくて、全盲。(ってのもすずめの誤解です。ごめんなさい。っと最初から謝っちゃうけど)
で、ナンタラ病とか、よく分からない複雑なモノは、仲間も少ないから、行政への声も届かない。
多数決の場では、この声の大きさで「少数意見」の中が更に分かれてるコトになる。

そんなのアタリキシャリキな中、どれを選ぶか。
結局は、マスコミ受けの良いモノになる。


「少数意見を尊重」イコール、多数決なんていうのは、単なる手続きにすぎず、最初っから結論は決まってるってコトじゃないだろうか?天才の独断によって。
それって、要するに、独裁と似てる。
そして、それって、場合によっては、更に不公平に感じちゃうってコトないだろうか?

っていうすずめ的多数決の限界。


また、長くなったので、続きは明日。


-----


じゃあ、
どうすりゃ、良いんだろう。

多数決に問題があることなんて、本当は幼稚園児でも知ってる。
だけど、ニホンのエライヒトも、アメリカの大統領も、それで決められてる。
なぜかというと、
多数決は別に良いアイデアが無いっていう事に尽きるんだろう。


そこで、
熟議の民主主義ってのがあるんだそうだ。
このコトバ、初めて聞いたんで、
最初は熟慮の民主主義かと思ったんだけど、ぐぐると、
熟議の民主主義って言葉が出てきたんで、こっちだろうな。


たとえば、ココに書いてある。

http://www.csdemocracy.com/ronkou/tamura091110.html

ここで注目されるのが、熟議民主主義である。「熟議」とは、「熟慮し議論する」ということだ。自分の意見をできるだけ明確に述べるとともに、他者の異なる意見にも真摯に耳を傾け、納得したり自分の誤りに気づいたら、自分の意見を修正する。それは、「ごり押し」や「固執」や「論破」ではない。熟議民主主義は、集計民主主義の問題点を乗り越える可能性を秘めている。投票サイクルの状態は、それぞれの見解を修正し合うことでしか解決しない。現代社会には、唯一の「正解」を見出しにくい社会問題が多数存在しているとなれば、なおさらである。政治が素朴な「世論」に左右されたり、「利益誘導」の場にならないためには、何が妥当なのか、何がなされるべきなのかについて、世論そのものの質を高め、「よく練られた世論」によって政治家をコントロールすることが必要である。
うーん。

理屈としては分かるかもだけど。


何か、すっごく恣意的な気がする。
多数決って、分かりやすい。みんなで投票して、数の多いのに決めれば良い。
だけど、コレって、平たく言って、どうすれば良い?
決を取る前に、みんなでトコトン議論せよってコト?
トコトンってどのレベル?
1時間?10日?
パワポとか、資料とか使う?
会議室で?居酒屋で?

メンバーの中に口がよく回るセンセイとかいる?
スレスレで見えそうなミニスカートの美女とかいる?

国立行政法人仕分け会議

1参加者 町のおじさん プラス 美女 @居酒屋
2参加者 町のおじさん プラス 東大教授 @会議室

同じ時間熟議しても、結果は全然、違いそう。。。
でも、それがどういう結果になるか、ウスウス分かるんで、最初っから、助っ人を美女にするか、センセイにするか、ちょい、手心を加えれば、結果は自由自在。


ところで、この日、イロイロ政治系のヒトたちも来てた。
で、すずめのした素朴な質問。

「政治家さんっていろいろいると思うんですけど、その中で誰が良いかって、分かんないんです。政治家としての能力っていうか、スキルとか、偏差値にできないんですか?たとえば、柔道家のヒトとか。。偏差値どれくらいなのかとか。。」

そうそう!、って意外に立派な哲学系のヒトたちにもウケタ気がするんだけど。
(っていうお調子モノのすずめ)
どう考えても、スキルの無い、基礎知識の無い人には、政治は難しそう。
騙すのは簡単そうで、騙そうと思ったら、素人ばかり入れれば良い。そうすれば、エライ政治家さんの言うなりの手駒だよね。
ってまあ、言うまでも無いことなんだけどさ。

でも、何で、政治にプロフェッショナリズムって問われないんだろう。
政治家としてのスキルが高けりゃ、少々フリンしてたって、オッケーだけどね。
ニホンはそれを問わないから、政策作成能力や政治的手腕じゃなく、全然関係無いコトで引きずり降ろされるんじゃない?


ってのは、ともかく。
元の、熟議の民主主義に話しを戻すと。。。

あ、その前に、
すずめのデザイナ的経験。


よく、いろんな場で、酷いデザインを見ることがある。
何で??っていうの、よくあるよね。
そういうのを見るたび、すずめは想像する。
ああ、みんなで寄ってたかって、こんなにしちゃったのね。。。

デザインって、デザイナが提案したそのままで通る時ばかりじゃない。
アレはダメ、コレ入れて。。。といろんな条件があったりする。
それだけなら良い。
「みんなで考えましょう」
みたいに素人さんが寄ってたかって来ちゃうコトもある。
「一緒に勉強していきましょう」
トカナントカ。
あのさあ。あたし、この道、ウン十年なの。何で今更、素人さんとオベンキョしなきゃいけないのよっ。
だけど。。。それが多勢に無勢で言えなかったりする。

(この部分には、すずめは怨念の思い出がいっぱいある)

そうすると。。。結果は最悪。
すずめはいろんな印刷やら複雑なテクニックを駆使して選らんだ黒を、
あのヒトは青が良いと言い、このヒトは赤が良いと言う。
そういう人たちに「なぜ黒」なのかというのを、統計やいろんな資料を集めれば説明できるかもだけど、そんな事するためには、デザイン作業の何十倍もの時間がかかる。。。なので、しょーがないから、青と赤の縞にする。
「あらあ、その方が全然、良いわ!」
っと一人が言うと、みんながそうだそうだ。。。ってなっていく。
そういうヒトにセンスがあるかどうか。。薄々服装でも分かるんだけど、それは言えない。
で、多数決。
デザインっていろんな理屈の上で作り上げてるものなんだけど、
いろんなヒトが、理屈を知らないで、勝手なことを言えば言うほど、ひどくなる。でも、その勝手なことを言った人には、何の責任も無く、酷いものに上がった場合はデザイナの責任なのだ。

デザインに対する「熟議」が3分なら良い。
30分もあったりしたら、エライコトになる。
熟議なんて、やればやるほど、ひどくなる。

「それはうまく、コントロールしていくということによって・・」
とかって、言われても、
それって、詭弁だとしか思えない。

ここにある大きな問題はプロフェッショナルと、素人とのスキルの差だ。
デザインなどという、形のあるもの、前例のあるものへの答えは、
プロフェッショナルは、もともと知っている。
結果として、「熟議」の成功とは、このプロのスキルをいかに損なわないで、最初に提示したデザインの通りにできるかという事でしかない。
そもそも、素人さんのアドバイスなど、プロには、何の役にも立たない。(きっぱり!)

それなのに。。。
最悪な事に、
熟議を重ねた上に、多数決があると。。。
結果的には、10人の素人の意見が一人のプロの意見に勝ってしまうという事になるのだ。
熟議でめちゃくちゃにして、みんなで多数決。
多数決までやられちゃった日にゃ、もう、デザイナには抵抗するすべは無い。
技術やテクニックは無視で、素人シゴトでやりたいなら、最初っからプロ抜きにすりゃ良いのに。
だけど、その素人10人の感性は、必ずしも何百万人もの消費者を代表してない。狭い密室で、「熟議」して作り上げた独特な空気の中だけでしか通用しないものだったりする。
市中で時々見る、ゴチャゴチャにいろんなモノが盛り込まれた稚拙なデザイン。きっと、そんな理由あるんだろーなっと、いつも頭をよぎる。

熟議
プラス
多数決。

まさに最悪のルール。

デザインっていうのは、技術の上にあるもの。だから。特殊なのかもしれない。

じゃあ、政治はどうだろう?
もちろん、スキルとか統計手法とか、論理性ってあるよね。
(逆にそれ以外、思いつかない)
だとすると。。。。デザインにおける熟議の多数決と同じなんじゃないだろうか?

---------


じゃあ、どーすりゃ良いんだ。


もちろん、答えなんて無いけど。



もっと、平たく、演繹的決定がされても良いんじゃないだろうか。
政治って、本当に、「多数決/民主主義」って方法を介在させなきゃ、成り立たないんだろうか?

よく、SFにあるけど、
コンピュータによる政治。
徹底して、論理的にのみ追求する。
すべての可能性を洗い出して、総合的、包括的に客観化させて、費用対効果の高いものを選択する。
もちろん、福祉だって、否定されない。(当たり前だけど福祉にはちゃんといろんな「効能」があるからね)
で、それでも、どっちが良いって言えないものはじゃんけんで決めちゃう。(オトナ的には乱数かな)
コレって、コンピュータにできる事かも。

ミソは、徹底した論理性。
誰か特定の個人のキモチは反映されない。事情は客観化され、重みに合わせて計算によって組み込まれるだけ。
そして、その結果も、論理的結論の範疇。
リスクも予め、分かっちゃう。

A案では今年の失業者は59043人でそのうち自殺者は23234人でしょう。
B案では失業者は444444ですが、自殺者は5930440人。
国家的損失としては、B案の方が大きいので、A案とします。
自殺予定のヒト、ごめんなさい。


みたいな。
って、コレ、すずめ風妄想SFの世界なんだけど。

だけど、それって、不可能だろうか?

なぜ、不可能なのか?
演算能力の問題?
それだったら、もしかして、解決の余地はあるかも。

だけど。。
本当のところは、「違和感」じゃないだろうか。
政治に対して、そういう論理性を求めていない。
なぜなら、自分だけの目線しか無いから。どんなに自分の中で決着がついても、全体の中でそれが論理的かどうかなんて分からない。それ以前に否定されちゃうそうだし。
だから、論理性より、「やさしい」だの「強い」だのっていうようなアバウトな形容詞が来る。
だから、いつまでたっても、政治スキルの客観化、偏差値なんて方向出てこない。
もちろんそんな偏差値、役になんて立たないし、あったって、どういう根拠が作れるんだかアヤシイものだ。
だから、私たちにとって、スポーツ選手も、家政科出身のかわいい女の子も、この道何年って政治家さんも、能力としては同じって、思っちゃう。


すずめ的にはそう、想像しちゃう。

でも、それって、これからもずっと続けてて良いんだろうか?
頭の良い、完全無欠のコンピュータの独裁政治の方が良かったりしないだろうか?


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