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2010年9月

2010年9月30日 (木)

自転車:車が王様

すずめは最近、自転車の遠出に凝ってる。

渋谷、新宿なんか、お茶の子さいさい

昨日は、フラリとついでに、
東京港野鳥公園まで行ってきちゃった。
ちなみに、およそ、30キロ。
坂道いっぱい。

そういう中、すっごく思うのは
つくづく、。。
街って、車が王様なんだなあって。

一番合理的に行けるコースは、
車用につくられてて、そこの周りに車のジャマにならないように、人用の歩道が作られる、だから、ヒトはほんのちょっとの路の向こう側に渡るために、
建物にしたら3階に上がる位の歩道橋を登り、降り。。。。
車を信号で止めないために、人が歩く。
もちろん、自転車なんて、眼中に無いから、歩道橋を上がれなければ、
延々と走って、渡れる場所を探さなきゃイケナイ。

野鳥公園の周りは、
東京港の産業道路しか無いので、
高速道路のようなぐるぐる回ったインターチェンジを
延々と歩道橋を乗り継いで、向こう岸に行くしか、たどり着けない。

そんなトコに行きたい酔狂な(酔ってないけど)鳥はすずめぐらいなんだから、まあ、しょーがないけど。

だけど、普通の生活圏でも、そうだ。
最近、自転車は、歩道を走ってはイケナイって、明示されはじめた。
なので、車道を車といっしょに走れってコトなんだけど。。。
それって、どう、考えたって無理って所がある。
たとえば、自転車は車やバイクとは同じコースを辿れない。右折する時とかどうすりゃ良いんだか。車と同じなら、車と同じように右折レーンに入っていいの?路の端に沿って、信号を二回渡って、曲がろうとしても、車用の信号とか歩道と完全に隔離されてる場所とかいっぱいあって、巨大な交差点なんて、命がけになっちゃうんだけど。。
自転車に歩道を走るなって言っても、あまりに危なくて無理な所はいっぱい。
アタマに来るんで、堂々と、車道の端を走ったりして、車にメイワクしてやろうって思ったりするんだけど、そんなコト命がけでやる勇気は無いし。
誰かが死んだら。。っていうか、いっぱい死んで統計に出るようになったら、反省するかしら。
そろそろ、今年の統計に出始めるかも?

その一方で、
猛スピードで走る自転車が歩行者を傷つける事故がたくさんあり、
高額の保証を求められるケースも出るようになってきた。

確かに、自転車のマナーも悪い。
だけど、どこ走らなきゃいけないんだか、分かんないような、そんな環境でしか無い。車にもジャマ、歩行者にもジャマ。
マナーっていうより、そもそも、自転車はジャマなんでしょ。
歩道に止めるなって言ったって、そもそも、止められる所、どこにも無いのよね。駅前に駐輪場あったりするけど、満車だったり。


だけど。。。
自転車って、実に良い乗り物だ。
すずめ程度の体力で、20キロや30キロは軽い。
道路を走ってる車をみると、かなりの車が1人しか乗ってない。
自転車にすりゃ良いのに。
それだけじゃなくて、地方。
近くにお店とか無いから、どこへ行くのでも、車。
だから、やっぱり、一台に1人しか乗ってなかったりする。
ねえ、もしかして、自転車でも良いヒトいないの?

自転車の行動半径が20キロもあるってコトになれば、
世間サマの意識もちょっと、変わるんじゃないだろうか。
徒歩の代わりじゃなく、車の代わりっていう位置づけもアリかも。

道路や駐輪場やいろんなルールが、もっと自転車に親切に作られてくれば、
ガソリン依存度やCO2削減方便に貢献できるかも。


日本は、これからの社会、考えるべきじゃない?
いつまでも車が王様、
人は車に道をゆずり、
自転車はジャマ。
そんなスタンスで良いんだろうか?

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2010年9月29日 (水)

無尽蔵な宇宙/ホーキングの神さま

宇宙の創造に神は必要ない=ホーキング博士

ちょっと、みつけた
おもしろいニュース

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2753006/6139228

ホーキング博士は、米物理学者レナード・ムロディナウ氏との共同著作「The Grand Design(原題)」で、重力などの法則があるため、宇宙は無から自らを創造できると指摘。「宇宙を創造させるのに神を呼ぶ必要はない」と付け加えた。

 こうしたコメントは、ホーキング博士の宗教に関する見解が変化した可能性を示唆している。

 世界的ベストセラーとなった「ホーキング、宇宙を語る」で博士は、物理学的法則とは単に、神がビッグバンに介入したと信じる必要がないことを意味するだけのものとし、「もし完全な理論を発見できれば、それは人間の理性の究極の勝利になるだろう。そのとき、人間は神の心を知ることになるのだから」と書いていた。


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科学として、彼の理論、つじつまがあっているというか、
正論なのかもしれない。将来の可能性も含めて。

だけど、もし、ここに、何か、別の要素、
人知という別の「理論」が存在するとすると。。。

どこか、破綻している気がする。

「もし完全な理論を発見できれば、それは人間の理性の究極の勝利になるだろう。そのとき、人間は神の心を知ることになるのだから」

別に、すずめは神様信じてるワケじゃないんだけど。

ただ、ちょっとだけ、
ロマンチックな部分もあるかな。

重力っていう、
力の相対関係?のリクツ みたいな形の無いものが、
宇宙という巨大な「存在」を生み、
果てには、地球のすずめのPCの横のバームクーヘンっていう物質も生む。

だとすると。。。
もしかして、
宇宙を生産することは、いとも容易くて、
無尽蔵に作ることができるのかもしれない。

今、この瞬間も、
無尽蔵に、どこかに宇宙が作られ続けているんだろーっか。


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2010年9月28日 (火)

農地インパクト:地球温暖化のプロパガンダって ?

農地インパクト

今年の夏は猛暑だった。

ヒートアイランドって言うけど。。。コンクリートの路面にフライパン置いたら、目玉焼き,焼けちゃう。

ちょっと前、芦花公園に自転車で行ったんだけど。。。木があると、ホント、涼しいのよね。木陰と単なる影の涼しさの差は誰でもご存知って思うけど、コンクリの路面と、森の中の土、温度は全然違う。土はこんな炎天下でもしっかり濡れて茶色く、下草も瑞々しい。
でも、木陰を作ってる葉っぱは、そんなに熱くないよね。きっと。少なくとも目玉焼きが焼ける程じゃないだろうな。
温暖化の犯人として、水蒸気があるけど、森は、水が空気中に蒸発する事を防いでるんじゃないかな。


水にしても、温度にしても。。。森があるってコトは、こんなにも地表を守ってくれるんだなあ。っていう今日この頃。

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地球温暖化。
CO2諸悪の根源説。コレはなぜ?



そもそも、温暖化の機序は実は分かって無い。
いろんな数値とっても複雑で、それがちょっと違っただけでも、データはガタガタになっちゃう。
森林面積の減少もおそらくその条件の中に、既に入ってるんだろうけど。。。
(っと、宇宙人先生のご指摘)


いずれにしても、世界最新鋭のスーパーコンピュータで計算したって分かんないモノをすずめが筆算したって、分かりっこ無いんで、そっちからのアプローチはできないけど。

すずめ的発見。


農地のインパクト

よく、温暖化っていうと、工業生産活動からくる、CO2排出ってのが、悪役の定番。
でも、

地球って、大きい。その中の工業力を持っている国は、ほんのわずか。日本なんて、そして日本の中の工業地帯なんて、ほんと、ちっぽけ。車だってそう。
それなのに、地球全体が温暖化できる??

何か、嘘っぽく無い?


地球は、もともと、水を蓄える森林がいっぱいあった。
人類は、ここに、家を建て、工場を作り。。。いろいろに「転用」してきた。
だけど、一番大きな「転用」は農地なのだ。
特にアメリカの農地は広い。世界の3分の1だっけ?の小麦を作ってる大規模農業。
工業地帯、車の量よりも、何千倍もが農地なのだ。

人類は文明開化してきちゃったワケだけど。。。
それって、工業よりか、農業の方が面積的にははるかに大きいんだよね。
始まりも早いし。
どっかにデータ、無いか探したんだけど。(世界の農地面積の推移とかって、無いか。。。)

こういうの、めっけ。

http://www.gapminder.org/world/#$majorMode=chart$is;shi=t;ly=2003;lb=f;il=t;fs=11;al=30;stl=t;st=t;nsl=t;se=t$wst;tts=C$ts;sp=5.59290322580644;ti=1977$zpv;v=0$inc_x;mmid=XCOORDS;iid=phAwcNAVuyj1jiMAkmq1iMg;by=ind$inc_y;mmid=YCOORDS;iid=pyj6tScZqmEcqpAT2g1neRA;by=ind$inc_s;uniValue=8.21;iid=phAwcNAVuyj0XOoBL_n5tAQ;by=ind$inc_c;uniValue=255;gid=CATID0;by=grp$map_x;scale=log;dataMin=194;dataMax=96846$map_y;scale=lin;dataMin=0.2628;dataMax=91$map_s;sma=50;smi=2$cd;bd=0$inds=

あれれ、長いんだけど、

http://www.gapminder.org/

の中の
Agricultural land (% of land area)


ね。

ね、下のスライドバーを左右に動かすと。。
おもろいじゃん。どんどん、黄色いマルが大きくなってく。。。

見渡す限り広がる小麦畑。美しいカントリー風景色。エコだねえ。。
ってトンでもない。農地って、生物の多様性が無い。工場地帯と同じく。
そして、森林程も、水を蓄えられない。
温暖化の原因は、CO2よりも水蒸気っていう説が(っていうか事実が)あるけど、
朝、農地に撒いた水はお昼には蒸発しちゃう。

温暖化って考えると、CO2よりか、よっぽど、この農地面積のインパクトの方が大きいんじゃあるまいか。
(コレはすずめの妄想ね)


そしてね。一番の農地保持者は、アメリカ、中国。。。
特にアメリカ国土の農地化のペースの速さ!

皮肉な事に。。。
この温暖化によって、最初にダメージを受けるのも、植物。そして、農業。


CO2諸悪の根源説は、この農地転用の問題を隠すための、プロパガンダなんじゃないだろうか。
っていうすずめ的妄想。

いかが?

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この妄想。実は、ネットを検索してもあまり、同様のものは出て来ない。本当にすずめの妄想にすぎないのか。。まだ気がつかれていないのか。。。

もうちょっと、突っ込んで素人が考えてみる。


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温暖化は北半球の方が進んでいる。

北半球全体の陸地の面積比は39.4%
南半球の19.0%よりも高い。

そのうち、たとえば、アメリカの場合、農地の国土に占める割合は39%
考えてみると、北半球の農地の割合はかなり大きそうだ。アフリカや南アメリカはそれでもまだ、ジャングルなんか多い。正確な割合は分からないけど、北より圧倒的に南半球の森林面積の方が大きい。
(ただし、海の割合も大きいんで、水蒸気に関してどうなのかよく分かんない)

昨今、異常気象だなんてイロイロニュースになってる。すずめ的には江戸時代だって飢饉だのイロイロあった。
地球が人の取った高々何世紀かの統計に合ない、人の考えた理屈に合ないからって、「おかしい」って、そりゃ、不遜すぎない?って思うんだけど。。。それは、まあ、置いといて。
よくある偏西風のモデルなんか、だいたい、赤道で半分に分かれてる。だから、北半球のコトは北半球で考えて良いとしたら、農地インパクト、かなりあるって思っても良いんじゃないだろうか。


ってコトで、この根拠となるのは、森林面積の推移。
コレを探してみたかったんだけど。。。でも、なぜか見つからない。
見つかるんだけど、どれも、90年代、70年代からのもの。もう、70年代には森林の農地転用はとっくの昔に終ってる。
そのもっと前のもの、なぜか見当たらない。英語のサイトでも探したけど。

すずめ的に知りたかったのは。。。
まず、ルネッサンス頃の森林面積が、産業革命に向かってどれだけ減ってるか。
産業革命以降、世界の人口は急激に増加したはず。
そして、アメリカ/新大陸が、どう、「世界のパン籠」になって行ったか。。。
ココ何年か、森林面積の減少が問題になってるけど、そんなのはもっと昔に始まってたはず。
で、もしかして、それは、江戸時代のプチ氷河期から脱して、温暖になってく時期と一致してないだろうか。

だけど、なぜか、見つかんないんだよねえ。。。
だれか分かる?

さて、もう一つ、面白い視点。
森林の農地化がケシカランとは、言えない。なぜなら、人は食料を作らないと生きていけないから。
だけどね、日本はうまい。狭い国土だから、いろんな機械や人をつぎこんで、丁寧な農業を行ってる。単位面積当たりの収穫量はアメリカの3.4倍だ。
ってコトは、もし、アメリカが日本と同じ丁寧な農業を行えば、ざっと、農地面積を3分の1、国土の1割チョイに減らせるというコトになる。あの広い国でそれは難しいだろうけど。。。日本型集約農業は、環境にとっても優しいってコトで、一躍、日本は世界に冠たる農業技術国ってコトになるよね。


ってのが、ながーいオマケ。
それが正しいかどうか。。。もちろん、スパコンでも計算できなかったモノが、そう簡単に分かるワケ無い。

だけど。。。

ずっと思ってた、
なぜ、CO2諸悪根源説 を列国がアピールしたいか。。。
この疑問に応えてくれるヒントである気がする。

どう?

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2010年9月25日 (土)

すずめ的公共哲学風妄想

民主主義って/ 熟議の民主主義


この間、ヒョンな感じに公共哲学なるモノの会に行っちゃった。

実はすずめは、多少、お察しされてるかもだけど。。。
学生時代は、すんごい、ブンガク少女だった。小学校に入学したその日から、とにかく、一日中、本ばっかし読んでた。よく、学年に1人とか、図書館の貸し出し数が突出してるヤツがいたと思うけど、
そうそう、それ。とにかく、高校までの12年間、本ばっかしの人生だったので、このままじゃ字しか読めないオトナになってしまうと思って、美大に行ったのだった。


っていうカコがあるので。。。
哲学って、興味が無いワケじゃないけど、でも、俗物的単細胞の脳に成り果ててしまった今日この頃。。。
逆に、単細胞で考えると新鮮で、面白いんじゃないかと参加してみた。


っていうのが前置き。

で、何かイロイロ考えさせられた。
以下、すずめ的妄想風考察。


民主主義って何だろう?
すずめたちは小学校の頃から、多数決で学級委員を決めて、飲み会の行き先も多数決で決めちゃったりする。
なぜなら、それが公平だから。
公平?
本当に、公平なんだろうか?
そして、そこから導きだされる解答は、真実の一つだったりするんだろうか?

「ナチス、ヒットラーも民主主義によって選ばれたんですよね。」
っと、公共哲学会を主催されてる哲学者Y氏はおっしゃった。

すずめの頭には、「色付きの悪夢」(NHKの番組 昔の白黒フィルムをいろんな資料をもとに画像処理して『色付き』にする試み)で見た、ナチスの赤い旗が広がった。
あの赤、何て魅力的だったろう。ワインカラーでもなく、少し、黄色っぽい、でも、鮮やかに深い。
正直、カッコ良過ぎ。
あんな色と、ハーケンクロイツ、見せられちゃったら、すずめなんか、イチコロだ。ヒットラーに熱狂しちゃいそう。ホント、あの時代に生まれなくて良かった。

そういう仕掛けのもとに、民主主義を取られたら。。。
その結果がもたらすものには、真実があるんだろうか?

そういえば、コイズミ内閣の頃もそうだった。
なぜか、高支持率が延々と続いた。

コレが飲み会の行き先

ワインバーか、イタメシか、居酒屋か。。。
その差だったら、多数決も良い。もし、お腹がすいてる人が少なくてワインバーになっても、それはそれ。大勢がイタメシにつき合うのは理不尽だし。かと言って、「みんなで話がしたい」っていうのが、第一の目的なんだから、バラになってっていう選択肢は無い。
お開きになった時、
「おほほ、おしゃれ〜な私たちに、ぴったりの雰囲気ザマしたわねぇ。」
っと、微笑んでる酔っぱらいが多い方が良い。


っていうような、コトを日々、学習しちゃってるから、コイズミの支持率っていうのが、すばらしいコトに見えちゃったりしてた。でも、その実、ひねくれモノのすずめの頭には、90%を越えるのって、どーよ。っと、ナチの姿が頭をよぎらなかったワケではない。だけど、そうは思っても、世の中の9割が信じてると、長いモノには巻かれてしまう。


って、長くなったんで、また明日。


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昨日は、多数決のハナシ。
コイズミ支持率は一時、100%に迫る90%台。それを長く維持してた。


この9割ってすごい。
ハナシは反れるけど、
75%だっけ?忘れたけど、一定以上のシェアを取った商品は、
絶対に覆せないという「神話」があった。
この例えで引用されるのが、キリンラガー。
ご存知の通り、ドライ戦争が始まるまで、神話はずっとリアルだった。

マーケティングの基本も、結果論的な多数決だ。
100万個売れるものは、開発コストなんか、ビビたるものだ。
だけど、1000個しか売れないものには、開発コストどころか、
パッケージの版代金なんかでも、出費は大きい。同じものでも、一個あたりの定価を高く設定しなければならないから、その付加価値を理解してもらえる人じゃないと、買ってもらえない。売れない、
だから作らない。

でも、考えてみると。。。
それって、独裁者と、どう違う?

売れるか売れないかの結果。
独裁者が勝手に決めた結果。

下っ端の個人にとって、
成るようにしかならない結果ってコトでは同じなんじゃないかなあ。

そんな
疑問を感じる、感じないに関わらず、私たちは、そういうオキテの中に生きてる。

ヒットラーがそうであったように、
民主主義とは、独裁者をも肯定してしまう方法論なんだろう。
困ったコトに、それなのに、私たちは、民主主義イコール公平と信じてしまっている。
単細胞すずめは、カッコ良ければ、ナチの赤い旗に向かって突進しちゃうかも。

じゃあ。
どうしたら良い?

中学生辺りに聞いても、こう、応えるだろう。
「少数意見も尊重すべき」

なーるほど。
やっぱりマーケティングのハナシでこういうのを聞いたことがある。
たとえば、化粧品のパッケージ(クリーム)のデザインモニター。
1 白いデザイン
2 ピンク
3 薄黄色
4 黒
調査結果では、もちろ、白がダントツ。
でも、黒も14%あった。
多数決的には、白だけど、この結果から黒を選択して、成功した。

全員が選ぶ無難なモノって、魅力を感じないこともある。少なくとも、市場で競合に勝つためには、何か、アピールが別に必要になる。そのアピールがボトルカラーでできれば、これほど安上がりな
戦略は無い。だけど、黒い瓶のクリームなんて、肌も黒くなっちゃいそう。。。?
黒という(その当時は)大冒険の色でも、14%あったというのは、この色が受け入れられる素地はあるのだという事を示しているという判断なのかもしれない。

マーケティングの場合、売れる事、イコール 真実であり、善だ。
そこにきれいごと、言うつもりはない。
だって、売れ残ったら、捨てるしか無い。お店も、会社も倒産しちゃう。

だから、この結果、
14%を選ぶっていうものは、正しいんだろう。
まさに、これって「少数意見を尊重」した成功例?


でも、そうだろうか?
14%じゃなく、10%だったら?
もしくは、いつも50%を廃して14%を選んで正解なんだろうか?
実は。。。
殆どの現場では、1位が50%で2位が14%だったら、一位を廃して、2位を選ぶ事なんてできない。
多くは、非常にキャラが立った?ような天才肌のベテランマーケッターがいて、彼の「独断」で、決定されるのだ。
彼は天才なので、外すコトもあれば、当たるコトもある。
黒いクリームの箱は冒険であり、どっちにしろ、当たるも八卦当たらぬも八卦。当たらなかった時は、大外れ。
その点、無難なデザイン(白)であれば、大当たりはしないかもしれないけど、大外れも無い。

さ〜って、そんなコト、誰もが承知の上、どういう結論を出すか。

多数決の少数意見。
たくさんある個別の少数意見のうち、どれを採用するか。
それもまた、多数決で決めるんだろうか。

それって、じゃんけんより、正しいんだろうか。


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もひとつ、すずめの妄想的例

昨今のユニバーサルデザイン。
点字ブロックって、高齢者には突っかかりやすい。

視覚障害への補助をちょっと見えないヒトもカバーするのか、
全盲でしかダメなのか。。。
車椅子の方が聴覚障害よりオトクにするか。。。。

障害って、ヒトの数ほど多種多様。だから、どんな形のものでも、法律でも、
あっちを立てればこっちが立たず。。っていうようなのはすっごく多い。
っていうか、みんなにハッピーなんて、アリエナイ。

そんな中、
「少数意見」って「誰の?」
ってのが、一番の問題になる。
結果的に、ニッポンは障害者運動としては、車椅子のヒトたちがずっと頑張ってきたので、
彼らの声が一番大きく聞こえる。(ってのはすずめの誤解です。ごめんなさい)その次は、ロービジョンでなくて、全盲。(ってのもすずめの誤解です。ごめんなさい。っと最初から謝っちゃうけど)
で、ナンタラ病とか、よく分からない複雑なモノは、仲間も少ないから、行政への声も届かない。
多数決の場では、この声の大きさで「少数意見」の中が更に分かれてるコトになる。

そんなのアタリキシャリキな中、どれを選ぶか。
結局は、マスコミ受けの良いモノになる。


「少数意見を尊重」イコール、多数決なんていうのは、単なる手続きにすぎず、最初っから結論は決まってるってコトじゃないだろうか?天才の独断によって。
それって、要するに、独裁と似てる。
そして、それって、場合によっては、更に不公平に感じちゃうってコトないだろうか?

っていうすずめ的多数決の限界。


また、長くなったので、続きは明日。


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じゃあ、
どうすりゃ、良いんだろう。

多数決に問題があることなんて、本当は幼稚園児でも知ってる。
だけど、ニホンのエライヒトも、アメリカの大統領も、それで決められてる。
なぜかというと、
多数決は別に良いアイデアが無いっていう事に尽きるんだろう。


そこで、
熟議の民主主義ってのがあるんだそうだ。
このコトバ、初めて聞いたんで、
最初は熟慮の民主主義かと思ったんだけど、ぐぐると、
熟議の民主主義って言葉が出てきたんで、こっちだろうな。


たとえば、ココに書いてある。

http://www.csdemocracy.com/ronkou/tamura091110.html

ここで注目されるのが、熟議民主主義である。「熟議」とは、「熟慮し議論する」ということだ。自分の意見をできるだけ明確に述べるとともに、他者の異なる意見にも真摯に耳を傾け、納得したり自分の誤りに気づいたら、自分の意見を修正する。それは、「ごり押し」や「固執」や「論破」ではない。熟議民主主義は、集計民主主義の問題点を乗り越える可能性を秘めている。投票サイクルの状態は、それぞれの見解を修正し合うことでしか解決しない。現代社会には、唯一の「正解」を見出しにくい社会問題が多数存在しているとなれば、なおさらである。政治が素朴な「世論」に左右されたり、「利益誘導」の場にならないためには、何が妥当なのか、何がなされるべきなのかについて、世論そのものの質を高め、「よく練られた世論」によって政治家をコントロールすることが必要である。
うーん。

理屈としては分かるかもだけど。


何か、すっごく恣意的な気がする。
多数決って、分かりやすい。みんなで投票して、数の多いのに決めれば良い。
だけど、コレって、平たく言って、どうすれば良い?
決を取る前に、みんなでトコトン議論せよってコト?
トコトンってどのレベル?
1時間?10日?
パワポとか、資料とか使う?
会議室で?居酒屋で?

メンバーの中に口がよく回るセンセイとかいる?
スレスレで見えそうなミニスカートの美女とかいる?

国立行政法人仕分け会議

1参加者 町のおじさん プラス 美女 @居酒屋
2参加者 町のおじさん プラス 東大教授 @会議室

同じ時間熟議しても、結果は全然、違いそう。。。
でも、それがどういう結果になるか、ウスウス分かるんで、最初っから、助っ人を美女にするか、センセイにするか、ちょい、手心を加えれば、結果は自由自在。


ところで、この日、イロイロ政治系のヒトたちも来てた。
で、すずめのした素朴な質問。

「政治家さんっていろいろいると思うんですけど、その中で誰が良いかって、分かんないんです。政治家としての能力っていうか、スキルとか、偏差値にできないんですか?たとえば、柔道家のヒトとか。。偏差値どれくらいなのかとか。。」

そうそう!、って意外に立派な哲学系のヒトたちにもウケタ気がするんだけど。
(っていうお調子モノのすずめ)
どう考えても、スキルの無い、基礎知識の無い人には、政治は難しそう。
騙すのは簡単そうで、騙そうと思ったら、素人ばかり入れれば良い。そうすれば、エライ政治家さんの言うなりの手駒だよね。
ってまあ、言うまでも無いことなんだけどさ。

でも、何で、政治にプロフェッショナリズムって問われないんだろう。
政治家としてのスキルが高けりゃ、少々フリンしてたって、オッケーだけどね。
ニホンはそれを問わないから、政策作成能力や政治的手腕じゃなく、全然関係無いコトで引きずり降ろされるんじゃない?


ってのは、ともかく。
元の、熟議の民主主義に話しを戻すと。。。

あ、その前に、
すずめのデザイナ的経験。


よく、いろんな場で、酷いデザインを見ることがある。
何で??っていうの、よくあるよね。
そういうのを見るたび、すずめは想像する。
ああ、みんなで寄ってたかって、こんなにしちゃったのね。。。

デザインって、デザイナが提案したそのままで通る時ばかりじゃない。
アレはダメ、コレ入れて。。。といろんな条件があったりする。
それだけなら良い。
「みんなで考えましょう」
みたいに素人さんが寄ってたかって来ちゃうコトもある。
「一緒に勉強していきましょう」
トカナントカ。
あのさあ。あたし、この道、ウン十年なの。何で今更、素人さんとオベンキョしなきゃいけないのよっ。
だけど。。。それが多勢に無勢で言えなかったりする。

(この部分には、すずめは怨念の思い出がいっぱいある)

そうすると。。。結果は最悪。
すずめはいろんな印刷やら複雑なテクニックを駆使して選らんだ黒を、
あのヒトは青が良いと言い、このヒトは赤が良いと言う。
そういう人たちに「なぜ黒」なのかというのを、統計やいろんな資料を集めれば説明できるかもだけど、そんな事するためには、デザイン作業の何十倍もの時間がかかる。。。なので、しょーがないから、青と赤の縞にする。
「あらあ、その方が全然、良いわ!」
っと一人が言うと、みんながそうだそうだ。。。ってなっていく。
そういうヒトにセンスがあるかどうか。。薄々服装でも分かるんだけど、それは言えない。
で、多数決。
デザインっていろんな理屈の上で作り上げてるものなんだけど、
いろんなヒトが、理屈を知らないで、勝手なことを言えば言うほど、ひどくなる。でも、その勝手なことを言った人には、何の責任も無く、酷いものに上がった場合はデザイナの責任なのだ。

デザインに対する「熟議」が3分なら良い。
30分もあったりしたら、エライコトになる。
熟議なんて、やればやるほど、ひどくなる。

「それはうまく、コントロールしていくということによって・・」
とかって、言われても、
それって、詭弁だとしか思えない。

ここにある大きな問題はプロフェッショナルと、素人とのスキルの差だ。
デザインなどという、形のあるもの、前例のあるものへの答えは、
プロフェッショナルは、もともと知っている。
結果として、「熟議」の成功とは、このプロのスキルをいかに損なわないで、最初に提示したデザインの通りにできるかという事でしかない。
そもそも、素人さんのアドバイスなど、プロには、何の役にも立たない。(きっぱり!)

それなのに。。。
最悪な事に、
熟議を重ねた上に、多数決があると。。。
結果的には、10人の素人の意見が一人のプロの意見に勝ってしまうという事になるのだ。
熟議でめちゃくちゃにして、みんなで多数決。
多数決までやられちゃった日にゃ、もう、デザイナには抵抗するすべは無い。
技術やテクニックは無視で、素人シゴトでやりたいなら、最初っからプロ抜きにすりゃ良いのに。
だけど、その素人10人の感性は、必ずしも何百万人もの消費者を代表してない。狭い密室で、「熟議」して作り上げた独特な空気の中だけでしか通用しないものだったりする。
市中で時々見る、ゴチャゴチャにいろんなモノが盛り込まれた稚拙なデザイン。きっと、そんな理由あるんだろーなっと、いつも頭をよぎる。

熟議
プラス
多数決。

まさに最悪のルール。

デザインっていうのは、技術の上にあるもの。だから。特殊なのかもしれない。

じゃあ、政治はどうだろう?
もちろん、スキルとか統計手法とか、論理性ってあるよね。
(逆にそれ以外、思いつかない)
だとすると。。。。デザインにおける熟議の多数決と同じなんじゃないだろうか?

---------


じゃあ、どーすりゃ良いんだ。


もちろん、答えなんて無いけど。



もっと、平たく、演繹的決定がされても良いんじゃないだろうか。
政治って、本当に、「多数決/民主主義」って方法を介在させなきゃ、成り立たないんだろうか?

よく、SFにあるけど、
コンピュータによる政治。
徹底して、論理的にのみ追求する。
すべての可能性を洗い出して、総合的、包括的に客観化させて、費用対効果の高いものを選択する。
もちろん、福祉だって、否定されない。(当たり前だけど福祉にはちゃんといろんな「効能」があるからね)
で、それでも、どっちが良いって言えないものはじゃんけんで決めちゃう。(オトナ的には乱数かな)
コレって、コンピュータにできる事かも。

ミソは、徹底した論理性。
誰か特定の個人のキモチは反映されない。事情は客観化され、重みに合わせて計算によって組み込まれるだけ。
そして、その結果も、論理的結論の範疇。
リスクも予め、分かっちゃう。

A案では今年の失業者は59043人でそのうち自殺者は23234人でしょう。
B案では失業者は444444ですが、自殺者は5930440人。
国家的損失としては、B案の方が大きいので、A案とします。
自殺予定のヒト、ごめんなさい。


みたいな。
って、コレ、すずめ風妄想SFの世界なんだけど。

だけど、それって、不可能だろうか?

なぜ、不可能なのか?
演算能力の問題?
それだったら、もしかして、解決の余地はあるかも。

だけど。。
本当のところは、「違和感」じゃないだろうか。
政治に対して、そういう論理性を求めていない。
なぜなら、自分だけの目線しか無いから。どんなに自分の中で決着がついても、全体の中でそれが論理的かどうかなんて分からない。それ以前に否定されちゃうそうだし。
だから、論理性より、「やさしい」だの「強い」だのっていうようなアバウトな形容詞が来る。
だから、いつまでたっても、政治スキルの客観化、偏差値なんて方向出てこない。
もちろんそんな偏差値、役になんて立たないし、あったって、どういう根拠が作れるんだかアヤシイものだ。
だから、私たちにとって、スポーツ選手も、家政科出身のかわいい女の子も、この道何年って政治家さんも、能力としては同じって、思っちゃう。


すずめ的にはそう、想像しちゃう。

でも、それって、これからもずっと続けてて良いんだろうか?
頭の良い、完全無欠のコンピュータの独裁政治の方が良かったりしないだろうか?


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2010年9月22日 (水)

検察:幼稚な言い訳  村木氏事件


敏腕検事、なぜ正義を見失う?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1349645&media_id=2


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100922-OYT1T00116.htm?from=rss&ref=mixi


フロッピーディスクを書き換えたって?
それが、今になって分かった??

言い訳としてはあまりに、幼稚じゃないだろうか?
要するに。。データの保存年月日が事実と合ないということだけど、
それって、画面上あまりに明らかに出て来てしまうものだ。誰も気がつかなかったなどと、あり得ない。データを開く前に、リストを出した時点で、
誰でも一発で気づくはず。
というより、デジタルデータなんて、「いつ」作ったかが一番の「証拠」なんだから、先ず、最初に確認するはずでしょ。

だけど、本当は、それでも、まだ、疑いを持って良い。
なぜなら、この保存年月日は、簡単に変えられるのだから。

PCのクロックを3年前にして、保存すれば、3年前の保存年月日になる。
そんなのは、中学生でも知ってるコトで、検察さんは、それシキのテクニックも使って無い?


更に言えば。。。
写真だって、デジタルなら、ホントは怪しい。
画像処理では何でもできる。
誰かと誰かが会ってる写真とか、簡単に顔を変えたり、場所を変えたりできるヨ。でもって、もちろん、クロックも好きな日に設定すれば、どんな証拠でも作れちゃう。だから、昔ながらのネガ/フィルムカメラでの写真で、っていう方が証拠には良いのかもしれないけど、もちろん、こういうプリントアウトを複写すれば、ネガフィルムだってできる。(デジタル写真の粒子を複写してしまったら。。?って思うなら、微かにピンボケさせりゃ良い)

言っとくけど、↑は特殊なテクニックじゃなくて、ちょっと、賢い高校生でも知ってるし、簡単にできちゃう。


っていう今日このごろ、
データの保存年月日を確認しなかった?
馬鹿馬鹿し過ぎ!
ばっくれるなら、もうちょっと、賢いコト言うべきじゃん。


むしろ疑問なのは、そんな明らかな、幼稚とも言えるポイントを、なぜ、今日になるまで、弁護してる人達にも気づかなかったのか?
まさか、みんなして、気がつかないフリをしていた??
心配しちゃうのは、こう、明らかになってもまだ尚、彼女の周りは敵ばかりなんじゃなかろーっかって言う事。


怖い世の中だ。
伏魔殿に入ったら最後、
どんな罪人にもされちゃうってコトかもね。

以下、引用
-----

 ところが、押収したディスクには、偽証明書作成の最終更新日時が「04年6月1日午前1時20分」と記録されていた。


 前田容疑者は逮捕前の聴取に対し、「FDのデータをUSBメモリーにコピーし、上村被告による改ざんがなかったか調べたが確認できず、中身を書き換えて遊んだ。USBのデータをいじっていたと思ったが、公判に入ってから、FDの方を書き換えていたことに気付いた」として、故意であることを否定していたという。 

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