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2009年9月 4日 (金)

1945年 二度と辿ってはいけない道

1945年
日本にとって一番長い年だった。

ウィキで1945年を引くとものすごーっくいっぱい出て来る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/1945年


引用するにはあまりに長いので、もうちょい、短いものを。
すずめが勝手に抜粋。


1月25日 最高戦争指導会議、決戦非常措置要綱を決定。 
2月4日 ルーズベルト、チャーチル、スターリン、ヤルタ会談。ソ連の対日参戦密約。
3月6日 国民勤労動員令公布。 
3月9日 B29が東京を夜間大空襲。 
3月14日 大阪大空襲。 
3月17日 硫黄島の日本軍全滅。(戦死 23,000人) 
4月1日 米軍が沖縄本島に上陸。 
4月7日 鈴木貫太郎(海軍大将)内閣成立。 
4月7日 呉から沖縄に出撃の戦艦大和が九州南方で撃沈される。 
4月12日 ルーズベルト米大統領死去。副大統領トルーマンが昇格。 
4月16日 ソ連軍がベルリン攻撃開始(〜5月2日)。 
5月7日 ドイツが連合国に無条件降伏。 
5月14日 最高戦争指導会議で、対ソ交渉方針決定(終戦工作始まる)。 
5月30日 ヒトラー自殺。 
6月8日 天皇臨席の最高戦争指導会議、本土決戦方針採択。 
7月17日 トルーマン、チャーチル、スターリンがポツダム会談。
7月26日 ポツダム宣言発表。 
7月28日 鈴木首相、ポツダム宣言黙殺を表明。 
8月6日 B29が広島に原子爆弾投下(死者約15万人)。 
8月9日 長崎に原子爆弾投下(死者約7万人)。 
8月9日 ソ連が、日本のポツダム宣言拒否を理由に、対日宣戦布告。 
8月10日 政府が中立国スイス、スウェーデンを通じて米英中ソにポツダム宣言受諾を申し入れ。 
8月13日 御前会議・閣議が連合国の回答をめぐり紛糾。 
8月14日 天皇裁決で、ポツダム宣言の無条件受諾を決定。 
8月15日 天皇の「終戦の詔書」録音放送。日本が無条件降伏 鈴木内閣総辞職。 
8月17日 東久邇稔彦内閣成立。臨時戦闘行為停止、降伏の命令。 
8月28日 連合国軍総司令部(GHQ)を横浜に設置。 
9月2日 ミズーリ号艦上で、降伏文書調印。マッカーサーが、北緯38度線を境に米ソによる南北朝鮮の分割占領を発表。 
9月6日 米が「降伏後における米国の初期の対日方針」を決定。 
9月17日 枕崎台風、死者・行方不明2400人。 
9月27日 天皇がマッカーサーを訪問。 
10月4日 GHQが政治的・民事的・宗教的自由制限の撤廃の「公民権指令」覚書。 
10月9日 幣原喜重郎内閣成立。 
10月11日 マッカーサー、教育の自由主義化および人権確保など5大改革を指令。 
10月13日 中国で蒋介石が国民党各部隊に内戦を密令、解放軍と各地で衝突。 
10月15日 治安維持法など廃止。 
10月24日 国際連合発足。 
11月6日 GHQ、持株会社解体に関する覚書(財閥解体)。 
11月6日 柔道・剣道・弓道などの授業禁止。 
11月9日 日本自由党結成。総裁・鳩山一郎。 
11月16日 戦後初の大相撲が東京国技館で開幕。
11月17日 チャンバラ映画禁止。 
11月21日 治安警察法を廃止。 
12月6日 GHQが近衛文麿、木戸幸一ら9人の逮捕を命令。16日近衛は服毒自殺。 
12月9日 GHQが農地改革を指令。  
12月15日 GHQが国家と神道の分離を指令。 
12月17日 衆議院議員選挙法改正公布(大選挙区、連記制、女性に参政権など)。 
12月18日 衆議院解散。 
12月22日 労働組合法公布。 
12月29日 農地調整法改正公布(第1次農地改革実施の基準)。
12月31日 GHQが修身・地理歴史科の授業停止を指令。


すずめたちが歴史年表で見る時、
1945年というと、原子爆弾、ポツダム宣言ぐらいしか出てこない。
だけど、こんなにもたくさんの出来事があった。

一つ一つを見て行くと...
何だかストーリーが分かる。
最大のポイントは2月のヤルタ会談じゃないだろうか。
4月16日 ソ連軍はベルリン攻撃。あっけなくドイツは降伏。2週間程の戦闘活動でソ連はドイツに対して戦勝国になれた。
日本は、7月26日 ポツダム宣言が発表されるも、即座に(2日後)拒否。
原爆が落とされ...ポツダム宣言拒否を理由にソ連は参戦。土壇場でのソビエトの活躍は手際が鮮やかだ。
でも、もちろん、悪いのは、戦争をした国。しかもそれをズルズルと長引かせ、のっぴきならない所まで引っ張ってしまった政府だ。1、2週間しか戦闘行為をしてない国の罪は軽い。


なーんて書くと、そのミチの方には
「自虐的」って言われちゃいそうだけど。事実は事実。
自虐じゃない。二度と、辿ってはならない道だ。


さて...
ここから、「今」の問題に頭を切り替えると...

この間のイラク戦争、湾岸戦争...そして、今もまだ、続く戦争。
彼等の「終戦の年」はどういうものだったのだろう。
日本に伝えられる形とは違った「ストーリー」もあるのかもしれない。
彼等の視点から。
そして、その中で、日本はどういう役柄を演じているのだろう。

終戦記念日 平和への貢献誓う
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=930309&media_id=2

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コメント

>彼等の「終戦の年」はどういうものだったのだろう。

彼らにとって「終戦の日」はないのではないだろうか。あえて記念日を作るとしたら「米軍が撤退した日」か…。
テロとの戦いは、テロリストが全滅するまで続くと思われ、いまや敵は世界中に広がっているような。大統領が身柄を拘束されてもなお続く戦争の新しい形。

作戦あたりの犠牲者の数はグッと減ったと思うけど、「終戦」という概念はなくなってしまったように思えます。

投稿: Uni●●●●● | 2009年9月 4日 (金) 21時16分

いつもコメントありがとうございます。

>彼らにとって「終戦の日」はないのではないだろうか。あえて記念日を作るとしたら「米軍が撤退した日」か…。

実は、最初、反論しようと思っていました。
戦争が終ったのは確かなこと。
それが、二次大戦であれ、湾岸戦争であれ、
明日から爆撃に怯えなくても良いというのは、厳然たる大きな違いがあります。

それは決して詭弁で片付けてはならない違いでしょう。

でも...

もしかして、終ったというのは、確かに相応しく無いのかもしれないと、思い直しました。
終った後、続くのは戦前のままの世界ではなく、全く別のもの。日本にしても、アフガニスタンにしても。
それは、終るというより、
「切断された」という方が正しいのかもしれません。

でも、
>テロとの戦いは、テロリストが全滅するまで続く

私は、テロをイコール「戦い/戦争」とみなす事に抵抗を感じます。単なる個人的な破壊活動。
「戦争」であるとするから、ブッシュがフセインを追いつめたように、国家レベルの「戦争」になってしまいます。というより、戦争の為の良い言い訳として利用されたのかも?


撲滅は「軍隊」ではなく「警察」の範疇であってほしいなあ。

投稿: すずめ | 2009年9月 7日 (月) 20時44分

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