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2009年8月

2009年8月31日 (月)

警報は鳴らなかった 2

一つ前のつづき


昨日の日記では、ヒロシマでは警報が無かった。
それも。。。もしかすると意図的に?
という可能性を示唆したテレビ報道の事を書いた。

では、長崎ではどうだったんだろう。

4月に、長崎に行った時、「旧松山町防空壕」というのを見た。
爆心地公園からほどないところ、普通の民家の裏に、ひっそりとあった。

長崎は起伏にとんだ地形で、爆心地は丘に囲まれ、爆弾の威力を削いだといわれる。 その起伏の一つに、ほんの少し高くなった崖線のようなところがあり、そこに防空壕が並んでいた。
原爆資料館かどこかだったと思うが、そんな当時の写真があり、その中の一つがこの松山町防空壕だった。

松山町の住民は全員即死。ただ一人、防空壕で遊んでいた女の子を除いて。

だとすると。。。長崎でも、警報は鳴っていなかったのだ。

すずめにはネットでパタパタするしかできないんだけど、調べてみた。
まず、「防空壕で助かった女の子」の件。
ここにあった。
http://shinbun.fan-miyagi.jp/diary/20080815123206.php

引用

当時、この松山町には約300世帯、1,860人余の一般市民が生活していたが、町内に居た者は、偶然に防空壕に避難していた9歳の少女を除いて、全員が即死したそうだ。

やはりそうだ。

さて、当日の警報の状況はここに書いてあった。


http://homepage3.nifty.com/kikigaki/24kanegae.html

列挙すると。

8月 9日 午前 7時48分  警戒警報発令(だいたい九州でいいますと天草列島辺りの上空を北に向かって航行しているのがキャッチされれば、警戒警報が出ていたんじゃないかと思います

7時50分  空襲警報発令

8時30分に空襲警報解除

(どうも爆撃しそうにない、アメリカの飛行機はUターンした、そういう状況だったと思います。空襲警報が解除され警戒警報にかわったわけです)

原爆投下  昭和20年 (1945年) 8月 9日午前11時 2分 (警戒警報下)

11時 9分 空襲警報が発令

12時 5分 空襲警報 解除

ちなみに。。。以下引用

広島の新型爆弾の惨状を聞いた永野若松県知事は8日夜、警察の部課長や署長を官舎に集め、同じ爆弾が長崎に落とされる恐れもあるとして、明日にでも会議を開いて対策を検討しようと指示を出した。そして9日、避難命令が一番いいと考えた永野知事は会議を招集したものの、空襲警報が出て(9日朝の時点)警察幹部は長崎市立山の県防空本部(立山防空壕)を動けなかったため、知事が自ら同本部へ駆けつけ、会議を始めた途端に爆弾が投下され、壕内の電気が消え真っ暗になった。とされている。また同盟通信社長崎支局では、当日午前11時に県の防空課長から、新型爆弾に対する戦訓を広く発表したいとの召集があったとされる。原爆投下はその数分後であり、原爆投下直前に「長崎市民は全員退避せよ」との臨時ニュースが福岡、熊本、佐賀3県のラジオ放送で流れたことも分かっている。[23]その臨時ニュースは、「総退避」の叫び声が流れる中、原爆の投下と同時に無変調となった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B

原爆の恐れは充分意識されていたのだろう。

にもかかわらず、警報は解除された。

以下はすずめの勝手な推測だが、

解除しても良いように見える行動がB29にあったのではないだろうか?もしかしてヒロシマと同じように。」

たとえば、ここにはこうある。

http://www.sci.kagoshima-u.ac.jp/~dosokai/dosokai/enkaku/7kou/sensou/nagasaki_genbaku/ueyama1999/13-7kousei_hibaku/13-01-huiuchi.htm

以下引用

 「当時、先入観に支配されていた。空襲はいつも編隊を組んで、夜間に行われていたし、当日は昼間でもあり、偵察か、航空写真撮影かなと思った。
 ただ、少しおかしいと思ったのは旋回度が多い。いつもせいぜい二回なのに、三回も、もしかすると四回もやっている。ひどく、丁寧に旋回しているなと思った」 
 B129は、十時過ぎに小倉から南へ針路を取り離脱していった。
北九州に出されていた空襲警報は解除され、担当の参謀も退席する。作戦室にはホッとした空気が流れる。 ただ、地図に航跡を記入していた荒木准尉は、B−29は離脱したものの、その後の動きが怪しいと感じる。不審に思った前田中尉は、受話器をとりあげ、長崎要塞司令部を呼び出す。

とたんに、「今、光った」と緊迫した声が飛び込んでくる。広島と同じように光ったのだ。(中略)
 「長崎に新型爆弾が投下されました。市民は退避してください」という、悲痛なアナウンスが三十分も繰り返されることになる。(中略) アメリカ側からみると、かねてより少数機のB129の飛来では避難しないように日本人を習慣づけておいて、不意打ち攻撃するという作戦だったから、非情ではあるが広島も長崎も見事に成功したことになる。

http://shinbun.fan-miyagi.jp/diary/20080815123206.php

----

うーん。

これは、ヒロシマと同じような推測が成り立つのではないだろうか?

彼らは、

あらかじめ、市民が避難しないように作戦をたてていた。

そして、無防備な子供や女性も含む市民の肉体の上に落とされた。

この残忍さは「それが戦争というもの」と片付けるには余りあるが。。。

ここにもうひとつ、要素がある。

長崎に行ったときのすずめ日記

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1141353268&owner_id=12848274

彼らが焼き尽くそうとした「肉体」は、同じキリスト教徒のものであった。

宗教のバックボーンを持たないすずめや、多くの日本人も分からないかもしれない。

だけど。。。これ、この事実。この残忍さ。

世界中のクリスチャンの耳に入ったらどうだろう。
相当インパクトのあるものになるのではないだろうか。


長崎原爆の日 恒久平和を祈る
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=924267&media_id=2

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2009年8月28日 (金)

警報は鳴らなかった 1

2、3日前、夜の報道番組の特集で、原爆投下の時、警報がならなかったという事を問題にしているのがあった。
初めて知ったので、驚いた。

ネットをさがしたら、ここにあった。

http://www.youtube.com/watch?v=CLZA19h9LII


詳細はこの中にあるが、
B29が襲来しているにも関わらず、
空襲警報は鳴らなかった。原爆は全く無防備な市民の上に落とされた。


これを見て、もうひとつ気づいたことがある。
4月、
長崎に被爆マリアに会いに行った時、
街の片隅にあった、昔の防空壕の後を見た。
いろんな観光スポットがある中、普通の民家の裏にあったこの防空壕は、
あまりに地味。

しかし、ここでもそうだった。
長崎の原爆が投下された時、
ここで難を逃れたのは、遊んでいた小さな女の子だけだったのだ!

要するに...
長崎でも、警報は鳴らなかったのではないだろうか。

なぜ、鳴らなかったのか。
広島で、
そして、すずめの個人的な連想が正しければ、
長崎でも。

上のニュースは示唆している。

エノラゲイは、
広島上空を通ると見せかけて...
フェイントのように一旦、迂回し、
そして、戻って落とした。

なぜなら...

二つ想像できる

広島上空を通る時、敵機にみつけられて攻撃されるのを避ける。
無防備な市民の上に落としたい

前者は、おそらくレーダーで確認できただろう。
フェイントをかける程もない。

だとすると、後者?


と書いたが、誰もが確信を感じるだろう。
結果的に、
無防備な普通の市民の上に落とされたのだ。


そして、これが、
長崎でも意図的に行われたとすると、
彼等は、同じキリスト教徒の、無防備な身体の上に落とした事になる。


彼等とは、
今の世代、
オバマでも、アメリカ人という概念的集団でもなく、
64年前の
あの、作戦に関わった一握りの人たちであり、
そして、それは彼等個人の罪では無い。
それをはっきりさせた上で、
この問題、
もう一度、知るべきかもしれない。


広島原爆の日 英語で平和宣言
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=921122&media_id=2

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2009年8月25日 (火)

メーカーを訴えてみたらどうだろう。

このニュース。


2歳児の静脈に誤って空気注入
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=918339&media_id=2

写真は病院関係者が謝ってる図。
確かに、ベテランが立ち会うべき所を、立ち会わなかったとか非があるんだろうけど。。。こういう事件を見るたび、歯がゆく思うことがある。


誰か、メーカーを訴えてみればどうだろう。
そんなコトしたら、また、ネットで、
「自分のミスを棚にあげて」
だの
DQN医師だのって言われそうだけど、
誰か、勇気出して、メーカーを訴えてみない?


詳細は分からないけど。

>胃を膨らませる際、20代の女性麻酔科医が、鼻から入れた管で胃に空気を送るべきなのに、誤って薬物を投与するため右脚の静脈につないだ管から空気を50ミリリットルずつ2回送った。管がよく似ており、男児の体に布がかけられていたため、区別がつかなかったという。


「似ている」設計をしていた。

「管」なんてイロイロ流用されるんだろうから、そりゃ、モトモトの管を繋いだヒトが気をつけるべき?なんだろうけど。
鼻に入れるための何らかのパーツには、赤い管とかしか繋げられない設計とかできるはず。
「管」っていうと、汎用性が大きすぎて、ミスを誘発した部品の特定が難しいだろう。でも、この事故、もしかして、ミスを起こさない「モノ」の設計/管理はできたはずじゃないだろうか。(本当はもっと良い「例」だと良いんだけどな)

たとえば。。。三方活栓(東海大の事故を受けて、そもそもの管が繋げられないように設計変更された)のような事例で「訴訟」しときゃ良かったと思うんだけど...

(モノ作りに関わったヒトは分かるはずだけど、こういう設計変更、そんな大変じゃないんだヨ。金型高いけど、小さいんだし。生産コストは変わらないはず。大変だ/高くなるって言われたら、そう、突っ込んでみると良いと思うんだけど)

他にも、「モノ」が事故を防ぐように設計/管理されてたら、起きなかった事故はあるんじゃないの?
こんなモノの不備を人が神経すり減らしてカバーするって、ヘンだ。


1人で訴えるって怖いだろう。
バッシングがすごいだろうし。
だけど...他にもモノの不備で起こした事故の「加害者」の医療者、被害者遺族がいっしょに、国か、メーカーか、業界団体か...
そういうトコ、訴えてみるって、どう?
訴えて、こういうミスを誘発するようなモノを作ったら、訴えられる。
設計時にチェックしないと販売できないっていう、「仕組み」作んなきゃ。
(PL法は医療は除外だけど、それに変わるモノ、あって良いよね)


こういうの、麻酔医さんが一人で反省したって、
何も良くならないと思うんだけどなあ。

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2009年8月24日 (月)

ロービジョン学会8:医療の問題として

さて、学会の間、すずめ、なーんか、右目がゴロゴロしてた。
モノモライ。。。何でまた。


ってのは置いといて、


医療のモンダイの続き。

視覚障害になって、ロービジョンケアに出会うか出会わないか、それによって人生は大きく変わる。白杖だって、持てば誰だって歩けるワケじゃない。訓練がいる。歩けるようになる訓練、生活できるようになる訓練、本が読めるようになる訓練。。。
そういうのをやってこそ、普通の生活ができるようになる。
一日中、誰かに世話をしてもらって、家の中に籠って生きるか。
今まで通りといかないまでも、そこそこ変わらず生きていけるか。

この差は大きいはずだ。これを医療が与えてくれるとしたら、大きな価値がある。


それなのに、このロービジョンケアには診療報酬他、コストを支払う仕組みが無い。
保険点数が無い。だから、これを行う、視能訓練士を眼科は雇う事もできない。
ロービジョン学会のHPが掲載している、ロービジョンケアを行う施設(会員のもの)のリストには、一軒も無い県もある。

さて、冒頭に書いた、すずめの目のモノモライ。
かなりイタイ。
あー。ステロイドと抗生剤の目薬買って、つけた方がいいかもって。
ガンカイさんに言われた。
放っとくとどうなるの?
って言うと、まあ、どうにもならないけど、薬つけた方が早く治るかな。
運が悪いと、長引くかな。いつまでもゴロゴロした感じが残るとか位かなあ。。。

さて、この麦粒腫、霰粒腫、白内障とかはやり目が、眼科の扱うもののトップ。
白内障は良いかも。見えなくてショボショボしてたのが、すっきりクリアーになっちゃうんだし。そりゃ、人生も変わる。
流行り目も、まあ、めーわくな話だし。(でも薬屋さんで薬買ってもいいかもだけど)

だけど、モノモライなんて、何日か早く治るだけの病気。
これにはちゃんと、保険点数が付く。
3日早く治っても、別にすずめの人生変わんないんだけどね。

それって、どーよ。

前も書いたけど。

医療の中で、価値があるものって、どういうものだろう。
医療行為でしか解決できず、代替えがきかないもの。
すずめのモノモライは医療行為じゃなくても、オマジナイとか、チョコレートケーキでも治ったりするのだ。

前にカツ氏が「レセプト開示」の運動してる話を書いたけど、
レセプト開示
お金のコトが言いたい分けじゃないんだって。
レセプトを開示すれば、みんな、ああ、コレはこの金額かかってるんだ。
こんな高いんだ。。。って分かる。
水虫で時間外救急にかかっても、心筋梗塞で独歩来院しても、
お値段いっしょ。(水虫の薬と心筋梗塞の手当は違うだろーけど)
それって、知っとくべきでしょ。
そして、それを知ったら、おかしいって思えるものもでてくるはず。
価値のあるものに、もっと支払う仕組みがあっても良いって、みんなが思うはず。

たとえば、産科にしても、救急にしても、
命を救う医療は高くても良い.高くあるべき。
だけど、この薬つければ、3日早く治るってんだったら、もう、やめようよ。
それは節約しようよ。モノモライで風が吹いたら桶屋が儲かって、失明するなんてハナシ(さすがにそれは無いか。。。)やめようよ。
クスリって美容に悪いよねえ。マイケルジャクソンだって薬で死んじゃったじゃん(注:すずめのデマ)


でさあ、
すずめの提案なんだけど。

ロービジョンケアやってる眼科さん。
診療報酬の所に、
「ロービジョンケア 1時間 0円」って書いてみるってどう?
プライスレス!
気がつく人は少ないかも。だけど。。。
地道にやれば、気づく人もでてくるかも。
私の人生を、こんなにも明るくしてくれた、
あのケアには、保険点数がゼロ。
医療者さんの熱い想いだけで、やってくれたのねって。

もしかして、みんなでやれば、どこかに風を吹かせることができるかも?

さて、すずめのモノモライであるが。。。
結局、何もしないで治った。
やっぱしコレは、札幌のステラプレイス6Fのケーキ屋さんのイチゴタルトが効いたに違いない。じゃなければ、花畑牧場のキャラメルソフトクリームか。

モノモライしたヒトはお試しを!

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2009年8月23日 (日)

ロービジョン学会7:医療の問題として

さて、今回の学会の最後。
すずめ、ちょっとびっくりだった。

シンポジウムのトリ、学会の全演題のトリは学会長のナガ先生。
「地雷踏んじゃいそうだけど..」
とおっしゃいながら、PPTの最後のスライドは

遮光眼鏡と
ソマリア沖の海賊退治のニポンの船だった。

遮光眼鏡が保険で買えないのはなぜか
なぜ、あの船がココにいるのか。

同じ背景があるのかも?

というもの。
そして、
何よりびっくりは、
この最後の演題のシンポジストは

内科系/医療政策問題系?のドクター H氏
眼科医師会の会長 H’氏

H氏はすずめのマイミクさんにゃおなじみのハナシ。
日本の医療コスト/政策の問題。
耳にタコかもだけど、こういう学会で、それって、ちょい、びっくり。


実はロービジョンケア。
現場ではこんなにもあんなにもいろいろ尽力してる人がいるのに、どうしようもないコトがあるのだ。


ORTモンダイ


この学会に来ると時々耳にする愚痴がある。

ロービジョンケアは眼科医、視能訓練士(ORT)福祉関係のエキスパートが連携して行う。眼科の疾患の何割かは治らない。進行を止めることすらできないものもある。
今は見えていても、将来見えなくなることが分かっているものもある。

しかし、見えなくなっても、変わりなく幸福な人生を送っていくべきだ。
それをサポートしてくれる様々なものがある。

それを手助けしてくれる職種の一つが視能訓練士だ。国家資格でもあり、眼科系医療知識/スキルはもちろん、光学やレンズ、福祉などの技能を持っている。
ロービジョンケアの大きな戦力である。


ところが!
医療のコスト面で、彼等の技能を生かす形にはなっていないのだ。
彼等の仕事。。。ロービジョンケアは保険点数にならない。
視能訓練士は国家資格を持つにも関わらず、雇う時の枠は、「事務員」しか無い。
それって、どーよ。
こんなに頑張ってるORTさん、

ort.....



本当はロービジョンケアの周りにはいろんな問題がある。
眼科医とコメディカルとの関係、広まって行かない事。。。。
イロイロ考えると、とどのつまり、ここに行き着く気がするのだ。

そして、
この問題、突き詰めて行くと、今の医療の問題のちょっとした核心に近い部分と同じものがある気がする。

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2009年8月22日 (土)

ロービジョン学会6:すずめのケンキュっ2

すずめのケンキュっのつづきね。

今回のすずめのテーマは
「生活の中での見え辛さのシミュレーション」

メインのネタに使ったのは、某都立高校の数学の入試問題。

視覚障害の子って、目をものすごーっく近づけて見たりする。
10センチとかもっと。近づければ大きく見えるワケで、どんなタイプの障害であっても、そりゃ、そうだろう。
でも。。。当たり前のコトだけど、近づけると、大きくなる代わりに、見える範囲も狭くなる。その狭さがどうなるのか。正常な視野だったら良い。だけど、もし、真ん中がちょっとしか見えない視野だったら...たとえば、図形の問題とか、どう、見えるんだろう。人間の視覚って、視力の一番良い場所は真ん中のものすごく狭い範囲に限られる。
だから、もし、目をうんと近づけて、たとえば図形問題を見てるとすると、図形中のすべての記号がその視力の一番良い場所に入るわけじゃない。目を動かして、線を追いかけてすべての記号の在処を探り、問題を解いていくことになる。
これって、難しそうだ。
特別な訓練が必要なんだろう。
もしくは、特別な配慮がされていれば。。。たとえば、その子によっては、線を太くするとか?

なーんてのをシミュレーションしてみた。
生活の中での見辛さの視覚化。
いろんなモノを写真で撮ってみた。
すずめんちの冷蔵庫の中とか。(後ろに並んだ二つの瓶は自家製梅シロップね)
すずめんちの近所の道路とか。

すずめんちの近所の道路。
そんなに広く無い駅前の道。交通量は結構あって、目黒通りからカンパチや自由が丘に抜ける道でもあるんで、飛ばしてる人もいる。
その信号。
もし、視野が狭かったら、(狭さは視野表で表示)信号機を注視してる時、どの程度の周りのものが目に入るか。
視野が狭いと、目の前の目標物を見ながらその方向に歩くと安定して歩けるって言うけど。。。たとえば、青信号を見ながら歩いたら。
そしてもし、右折車が来たら...どのくらい、その車体は視野の中に入るんだろう。
ネタに使った視野、そんなに特別狭いモンじゃない。だけど、これだけ危ない。
だから、信号では右見て左見て。。。ってのが必要なんだろうけどね。

もひとつ。
道を曲がった時、もし、視野が狭い人の目の前を車が横切ったとすると。。。こんだけしか見えないのかも(ワイパーの所が少し)。これはコワイ。もちろん、音とかで車が来てるってのが分かるとは思うけど。。。お年寄りだったら怖いかも。

脳の病気で、視野が半分欠けてたら。。。駅のホームの片側。怖いかもだよね。
って感じのシミュレーション。

ちょい、想像すると怖いかな。

時々聞く話。
不便さを説明するのが大変。

でも、それを言ったら、福祉系の人が言った。
ウチまで(某福祉系施設)来てくれたので、こう、説明した。
こう、説明すれば良いのよって。

でもね、そんな、そこまで来てくれる人だったら、何もそこで説明なんてしなくたって、分かってくれてる、少なくとも興味持ってくれてる人じゃん。それだけでもう、味方じゃん。
世の中、さすがにそんなに甘く無いよね。本当の敵、本当に説明しなきゃいけない人はもっと、遠くにいて、もっと冷たい。そんな一緒に専門家の所に聞きに行ってなんてくれない。こっちを向いてさえくれない。。。。文書でヨコセだったりする。

あのね。普通の一般人は、「視野キョーサク」なんてコトバ、知らないの。
そんな見え方なんて、想像もできないし、っていうか、考えてみる事もしない。
目が見えないって言ったら、みんな全部見えなくて、盲導犬が全部やってくれて、自動販売機でジュースとか買ってくれちゃうって思ってる(コレはウソ)


視野狭窄で、真ん中の視力が高いと新聞でももっと細かいモノでも見えたりする。
だけど、本人は階段が降りられないっていう。
なによ。あのヒト、階段が怖いなんて言ってても、さっき、新聞なんて読んでたワヨってなコトを陰で言ったりしちゃうワケだ。

でも、その相手が仕事場のヒトの場合はまた微妙。
そんなに不便なら、辞めちゃえば?ってなコトになる。

だからね。
どこまで、感情的に、感覚的にピンとくる説明ができるかがポイントだと思うのだ。
そして、どういうフォローをすれば、どういうことなら自分でできるっていう説明ができること。

視野を説明するのは、確かにゴールドマン視野表は正確なのかもしれない。
だけど、素人にとっては、もしこれがチンプンカンプンであったら、正常視野のデータを見ても。
「ナンダカワケノワカラナイ、検査表を持って来た。きっとすんごいびょーきに違いない」ってなコトになっちゃったりするかもしれない。
正確だけど、リアルとして正確に伝わるとは限らないってモノはこの世にいっぱいある。

すずめのシミュレーションは正確じゃない。もっと言えば、人間の見え方なんて、再現できっこない。これが「正確な見え方」で、同じ視野の人であれば、同じように見えてると思われたら危険だ。
だけど、説明のツールにはなるかもしれない。
陰口を言う人たちに少しでも立ち向かっていくための。

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2009年8月21日 (金)

ロービジョン学会の続き

何か。。。更新忘れてた。(^-^;
じゃ、今日は、さりげなく?すずめのケンキュのご紹介。

前にも書いたけど、すずめはここ何年か、ふぉとしょっぷのがぞーしょりに凝ってる。
で、ずーっとコレをネタにやってきてるんだけど。

なぜかっていうと、
一つには、フォトショップって、ここ何年か急激にいろんな人、みんなに使われるようになってきて、別にデザインや写真が趣味じゃなくても持ってたりする。
何か、この手のことって、いろいろやられてきてるから、誰かと同じコトやってもしょーがない中、フォトショップだったら、まあ、あんまし手あかついてないかな。

ってのが一つ。


それから。。。
視覚障害の見え方って。。。
よく、「視覚障害の人に見てもらって、モニターして」とかってのが言われるけど、それってホントは危ない。だって、どういう状態の人に見てもらうかによって、全然違う。それに、その人が「僕は緑内障です」「はい、これは見え難いです」って言ったって、どう、解釈すればいいのか分かんない。見え難いって、色?形?この線が見えないってコト??でもって、別の緑内障の人が同じように見えてるかっていうと。。。たぶん、違う。
緑内障で視野が欠けたって、いろんな欠け方があるわけだし。
で、その全く違う見え方をしてる人が同じ事を言っても、違う事を言っても、どう解釈していいかは、分かんない。「なぜ」「どこが」見えなかったから、このデザインはダメなのかって、どっちみち、分かんない。
ましてや、色変、白内障、半盲....その他モロモロある。それぞれ、全く見え方が違う。
点字ブロックだって、黄色でないと見えないっていう人もいれば、黄色は地面の色と見分けがつかないって言う人もいる。
白黒反転の黒地が良いっていう人も、白地が良いっていう人もいる。


だから。。。

もし、1000人の視覚障害の人に見てもらう事ができたとしても、
そして、その中の何割かが「見え難い」と言っても、どう、直したら見易くなるのかは、そこからは何も分かんないのだ。
だって、デザイナには、彼等の目にどう、映ってるか、分かんないんだもん。



それだけじゃなく、もうひとつ。

白地に黒い文字が良いと言う人(黒い文字が白い地の中で霞んでしまうなど)
黒い地に白い文字が良いと言う人(白い地が羞明でまぶしいなど)

という二つのケースがある中、視覚障害3名にさせたら、1:2もしくは0:3で白地が良いだの、黒地が良いだのっていうのになる。
この「割合」をどう、信じたら良いのか。当然、信じてはいけないワケだが...0:3であった場合、黒地が良いという人は誰もいなくなるので、
「視覚障害の人に見てもらったらこの白地のサンプルは見易いということになった。」という結果になってしまう。
そしてコレに反論できるのは、自分がどうしても黒地に白のサンプルの方が見易いという視覚障害の人だけ。
「いいえ。自分には黒地の方が見易い」
「それはあなたの勘違い。ウチのデータでは100%白地が良いという結果だ。」
っていうような、水掛け論を言うしかない。
黒地派の人は仲間を3人集めて来なきゃ反論できない。

そもそも、そういう検証用データにしたかったら、人口比率と同じ比率で被験者の母集団を作んなきゃいけないよね。(見え方も同じ割合で)そんなの、不可能。


これって、視覚障害だけに限らず、建築やその他、いろんなユニバーサルデザインの「検証」に関して言える。

要するに...こういう見てもらったモニターを
数値データに置き換えた「検証」に使うことは、とても危ないってコトだ。

もちろん、人間の目ではない、コンピュータにしても、同様の危険性はある。
だから、様々な角度からの検証じゃなくて、「検討」が必要だと思う。
人をたくさん集めて、調べるってのは、得意なヒトがいるかもしれないんで、それは他の人におまかせしたい。
(すずめはそーゆー実験のお手伝いやってると、寝ちゃったりするしふらふら

で、すずめは、フォトショップにき~めたって、感じなんだけど。



さて、前置きがうーんと長くなったけど。

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2009年8月 2日 (日)

ロービジョン学会4:車の運転2

って、ワケで、これは4つ前のロービジョン学会の私的感想のつづきで、
昨日の車のハナシのつづき。

-----


ってコトをウワサしてたすずめたち。


じゃあ、車運転できないヒトはどうするの?
高校生とか?

だから、多くのバスは、「高校生バス」と呼ばれるんだそうだ。
学校の時間に合わせたバス便。学校の無い時間には無し。
それならまだ良いが。。。高校生さえ、多くの家庭では車で送り迎えをしてるんだそうだ。だから、私立の学校の前の道には、ずらりと車が並ぶ。一台の車で1人の生徒の送り迎え。何か。。。東京のすずめには目が点なんだけど。。。
「だったらみんなでシェアすればいいんじゃないの?」って言うと、
みんな他所の子を乗せたくないんだそうだ。事故やトラブルがあっても嫌だし。それだけ送り迎えに不自由してないのかもしれない。


これじゃあ、確かに車が運転できなきゃ、生活できないのが分かる.
視覚障害になっても、
高齢になっても、
バス便が無ければ、自分で運転しない限り、買い物もできない。
誰にも会えない。


そういえば、誰かが愚痴ってた。
何かのイベント、視覚障害関係の研究会?とかでも、郊外の、バスを乗り継がなきゃ行けないような所でやる。
すべての人が車を持ってる事が前提の社会。
車を持たなければ、パラサイトするしか無い。

でも。。。
なぜ、こんな事になったんだろう。

バス便は昔っから無かったわけじゃない。どんどん無くなってったんだそうだ。
採算が合ないと。
なぜ、採算が合なくなったんだろう。。。
結局、みんなが、車しか使わなくなったからだろう。
だから、バス便は無くなった。
よく聞く話は、それでも地方では一族の結束力が強く、家族内で高齢者や不自由な人の送り迎えをしたりして、うまくやっているというもの。だけど、そういう家族のいない人はどうなんだろう。今は運転できても、将来、ずっとそれでやっていけるんだろうか?


地方では満員電車に乗ることも、
狭い家で不自由する事も無い。
通勤は車で行けば、快適だ。
駐車場もある。

だけど...
自分たちで自分たちの周りにバリアを作って、
孤島にしてって無いだろうか。
車が無ければ他に何の代替え手段も無い。

それって、どうなんだろう?

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