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2009年8月31日 (月)

警報は鳴らなかった 2

一つ前のつづき


昨日の日記では、ヒロシマでは警報が無かった。
それも。。。もしかすると意図的に?
という可能性を示唆したテレビ報道の事を書いた。

では、長崎ではどうだったんだろう。

4月に、長崎に行った時、「旧松山町防空壕」というのを見た。
爆心地公園からほどないところ、普通の民家の裏に、ひっそりとあった。

長崎は起伏にとんだ地形で、爆心地は丘に囲まれ、爆弾の威力を削いだといわれる。 その起伏の一つに、ほんの少し高くなった崖線のようなところがあり、そこに防空壕が並んでいた。
原爆資料館かどこかだったと思うが、そんな当時の写真があり、その中の一つがこの松山町防空壕だった。

松山町の住民は全員即死。ただ一人、防空壕で遊んでいた女の子を除いて。

だとすると。。。長崎でも、警報は鳴っていなかったのだ。

すずめにはネットでパタパタするしかできないんだけど、調べてみた。
まず、「防空壕で助かった女の子」の件。
ここにあった。
http://shinbun.fan-miyagi.jp/diary/20080815123206.php

引用

当時、この松山町には約300世帯、1,860人余の一般市民が生活していたが、町内に居た者は、偶然に防空壕に避難していた9歳の少女を除いて、全員が即死したそうだ。

やはりそうだ。

さて、当日の警報の状況はここに書いてあった。


http://homepage3.nifty.com/kikigaki/24kanegae.html

列挙すると。

8月 9日 午前 7時48分  警戒警報発令(だいたい九州でいいますと天草列島辺りの上空を北に向かって航行しているのがキャッチされれば、警戒警報が出ていたんじゃないかと思います

7時50分  空襲警報発令

8時30分に空襲警報解除

(どうも爆撃しそうにない、アメリカの飛行機はUターンした、そういう状況だったと思います。空襲警報が解除され警戒警報にかわったわけです)

原爆投下  昭和20年 (1945年) 8月 9日午前11時 2分 (警戒警報下)

11時 9分 空襲警報が発令

12時 5分 空襲警報 解除

ちなみに。。。以下引用

広島の新型爆弾の惨状を聞いた永野若松県知事は8日夜、警察の部課長や署長を官舎に集め、同じ爆弾が長崎に落とされる恐れもあるとして、明日にでも会議を開いて対策を検討しようと指示を出した。そして9日、避難命令が一番いいと考えた永野知事は会議を招集したものの、空襲警報が出て(9日朝の時点)警察幹部は長崎市立山の県防空本部(立山防空壕)を動けなかったため、知事が自ら同本部へ駆けつけ、会議を始めた途端に爆弾が投下され、壕内の電気が消え真っ暗になった。とされている。また同盟通信社長崎支局では、当日午前11時に県の防空課長から、新型爆弾に対する戦訓を広く発表したいとの召集があったとされる。原爆投下はその数分後であり、原爆投下直前に「長崎市民は全員退避せよ」との臨時ニュースが福岡、熊本、佐賀3県のラジオ放送で流れたことも分かっている。[23]その臨時ニュースは、「総退避」の叫び声が流れる中、原爆の投下と同時に無変調となった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B

原爆の恐れは充分意識されていたのだろう。

にもかかわらず、警報は解除された。

以下はすずめの勝手な推測だが、

解除しても良いように見える行動がB29にあったのではないだろうか?もしかしてヒロシマと同じように。」

たとえば、ここにはこうある。

http://www.sci.kagoshima-u.ac.jp/~dosokai/dosokai/enkaku/7kou/sensou/nagasaki_genbaku/ueyama1999/13-7kousei_hibaku/13-01-huiuchi.htm

以下引用

 「当時、先入観に支配されていた。空襲はいつも編隊を組んで、夜間に行われていたし、当日は昼間でもあり、偵察か、航空写真撮影かなと思った。
 ただ、少しおかしいと思ったのは旋回度が多い。いつもせいぜい二回なのに、三回も、もしかすると四回もやっている。ひどく、丁寧に旋回しているなと思った」 
 B129は、十時過ぎに小倉から南へ針路を取り離脱していった。
北九州に出されていた空襲警報は解除され、担当の参謀も退席する。作戦室にはホッとした空気が流れる。 ただ、地図に航跡を記入していた荒木准尉は、B−29は離脱したものの、その後の動きが怪しいと感じる。不審に思った前田中尉は、受話器をとりあげ、長崎要塞司令部を呼び出す。

とたんに、「今、光った」と緊迫した声が飛び込んでくる。広島と同じように光ったのだ。(中略)
 「長崎に新型爆弾が投下されました。市民は退避してください」という、悲痛なアナウンスが三十分も繰り返されることになる。(中略) アメリカ側からみると、かねてより少数機のB129の飛来では避難しないように日本人を習慣づけておいて、不意打ち攻撃するという作戦だったから、非情ではあるが広島も長崎も見事に成功したことになる。

http://shinbun.fan-miyagi.jp/diary/20080815123206.php

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うーん。

これは、ヒロシマと同じような推測が成り立つのではないだろうか?

彼らは、

あらかじめ、市民が避難しないように作戦をたてていた。

そして、無防備な子供や女性も含む市民の肉体の上に落とされた。

この残忍さは「それが戦争というもの」と片付けるには余りあるが。。。

ここにもうひとつ、要素がある。

長崎に行ったときのすずめ日記

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1141353268&owner_id=12848274

彼らが焼き尽くそうとした「肉体」は、同じキリスト教徒のものであった。

宗教のバックボーンを持たないすずめや、多くの日本人も分からないかもしれない。

だけど。。。これ、この事実。この残忍さ。

世界中のクリスチャンの耳に入ったらどうだろう。
相当インパクトのあるものになるのではないだろうか。


長崎原爆の日 恒久平和を祈る
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=924267&media_id=2

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