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2009年7月

2009年7月30日 (木)

ロービジョン学会3:車の運転1

車の運転問題


このハナシ、世の中的にもまだ未解決だ。
実は、前にも書いたけど、ウワサでは、視覚障害があっても、車を運転してる人がいるらしい。もちろん、ウワサなので、データは無い。

視覚障害の中には、視野が欠けるものがある。周辺がちょっと見えなくなるもの。
右半分が全部無くなるもの、ど真ん中が見えなくなるもの、真ん中に十円玉程の見える部分を残して、後は何も見えないというのもある。(その状態に向かって、どんどん進行するという疾患もある)

真ん中がドンと見えないなら、自動車免許の更新はできないだろう。
だけど、周辺が見えない状態なら、極端な事を言えば、真ん中に10円玉位の視野さえ残ってれば、免許更新の時の輪っかは見えちゃうのだ。

これはウワサだが。。。
眼科には、こういうかなり広範囲な視野障害がある人が、車を運転して来ることもあるという。眼科医さんは、本人に、そして可能であれば家族も呼んで車は運転しないように説得をする。時に強く、誠意を込めて。必要があれば、車を運転しないでも良い福祉のサポートなどにも繋ぐ。しかし、できるのはそこまで。通報もできないし、それ以上脅迫めいたこともできない。患者本人には、検査を受けない権利だってあるワケで、視野欠損の疾患である事が分かってる上で、その進行状況を改めて確認した所で、本人にはウザイだけだ。眼科に行かなくなる恐れさえある。
そうなったらもっと怖い。

この問題は視覚障害のみならず、高齢者ドライバにも言えることだ。
注意力が若い頃より極端に下がっている。免許書き換えの時に、検査をすることができるにしろ、漏れる例は多い。何よりも、本人にそれを自覚させて、運転を辞めさせることが難しい。昨今、いろんなニュースを目にする。

しかし、そう、強く言えない背景もある。
地方では車が足なのだ。
バス便なんて一時間に1本ならまだ良い方で、一日に1本。。。。それも乗り継がないと行けないなど、イロイロある。
昨今は、地方都市でも駅の近くより、郊外のショッピングセンターの方が活気があったりする。そんな所へはみんな車で行く。
なるほど、地方の家々は、みんな何台も車を持ってる。家族の数より多く持ってる家さえある。

長くなったので続きは明日。

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2009年7月28日 (火)

ロービジョン学会2:ちょっと尖ってるんで気に障ったらごめんなさい

昨日の続き。
昨日は、そのロービジョンケアについて、褒めちぎったけど。
だけど、褒めちぎられるに値する勉強家の人たちがいっぱいいるのは確か。

そんな中、今日はちょい、反れた本題。

結構、トガってるかもしれないので、
不快だったらごめんなさい。

先ず、もしかしてマイミクさんの何人かはピンと来ちゃうかもしれないけど。。。
ここんとこ、すずめの頭の中でモヤモヤしてた問題がある。その事について。

昨日の日記に書いた、「闇から連れ出してくれる人たち」その中には、特別支援学校(盲学校)の先生たちがいる。学会に来てる人たち。ものすごーっく熱く、勉強家だ。

さて、そのすずめの頭のモヤモヤに話を戻すと。。。

昨今、統合教育が話題だ。
奈良でもあった。階段のために学校へ通えない女の子。学校は山の上にあり、校内は階段もいっぱい。町立のこの学校を何千万もかけてこの子の2年間の為に大改装をする予算は無い。すったもんだの末、先生たちみんなでおぶって移動させたりするということで、通学できることになった。
良い話だ。

。。。でも、すずめ的には疑問を感じざるをえない。なぜ、この子は、どうしても特別支援学校ではなく、地元の学校へ行きたかったのか。でも、まあ、この子の場合は分かる。単純に足だけが悪いだけで、後は全く同じ。物理的に階段が越えられれば、授業にも付いていけるし、友達とも普通にやっていける。
だけど。。。統合教育を美談として報道しすぎではないだろうか?
それは、とりもなおさず、全国にたくさんいる、特別支援学校の先生たちの専門性を否定することではないだろうか?
多くのそういう学校では、重度の障害の場合、一対一で指導してくれる。学校内も施設的に、スロープやその他、様々な配慮がされている。スロープは取り付ければコト足りる。
学校の多くは災害拠点にもなってるんだし、そういうのそのチャンスに付けるって、良いことかもしれない。だけど、人的支援に関しては、どうしても限界がある。
普通学校の先生は40人の子を1人で見て、剰え、不登校やら学級崩壊やらイロイロあるのに、それ以上に、そういう特殊なケアを学べるんだろうか?盲学校の教員さんたちの知識、医学的なものだけじゃなく、福祉の情報、子供たちの将来の進路...ちょっとやそっとで仕入れられるものじゃない。そのスキルも半端じゃないのだ。

さて、すずめがモヤモヤ考えてたケースは重度の知的障害と肢体不自由の重複障害の子だ。姉弟二人。二人とも発語は無い。
両親はその子育てやその他について、何冊か本も書かれてる。ワカランチンじゃない。論理的だし、良い人たちだ。

彼等は二人の子供たちを地元の学校に通わせている。
登下校から授業中まで、親か、ヘルパーがずっと付き添わなければならない。多大なお金と犠牲が要求される。

子供たちは小学校中学年と中学生の女の子
二人とも言葉によるコミュニケーションはできない。(下の子は言う事を少しは分かっているような気がする程度。上の子はあまり分かっていない)
住まいは地方の都市で特別支援学校も遠く無い
1人だけだったら、学校の事情も分からないが、二人目だと、いろんな状況を知った上での決断ができる。

小学校の頃、地元の学童保育に入っていた。その時は、とても良い経験だった。普通の子と普通に交わって。。。それは普通の子にも良い刺激になるはず。
もし、特別支援学校に行ったら、地元の友達ができない。もちろん、いじめなどの問題もあるかもしれないが、養護学校では、いじめられるチャンスさえ無い。


という理由から、教育委員会にかけあって、下の子を普通学級に入れることに成功した。ヘルパーの費用の何割かを補助することを、市も了承した。

この件、どうなんだろう。
本当に、これが良いことなのだろうか?
この子は、おそらく、明らかに学校の授業は理解できていないだろう。だけど、45分の授業の間、ずっとそばにヘルパーが付き添って、座らされてることになる。休憩の時間は他の子が遊んでくれたりするが...本当に友人関係といえる、対等の関係を結べるのか。分からない授業の間、ずっと付き添いがそばで見張ってて、座らされてるってのは、普通の小学生だったら(大学生であっても)苦行だ。すずめだったら爆睡だけどね。


実はすずめ的には、ちょい、怒りも感じている。
統合っていう美名のもと、子供の能力に見切りを付けてるんじゃないか。
この子、普通の小学校の勉強のスピードじゃ、字が書けるようにはならないだろう。6年生で鶴亀算ができるようにはならないだろう。
それよりも、6年かけて、一対一で先生がついて、ひらがなを覚えさせてくれる学校の方が良いのではないだろうか?少しの言葉でも、話せるようになった方が良いんじゃないだろうか?もしかして、バリアフリーと言いながら、親自身が、この子が文字を覚える事、話せるようになる事をを諦めてる?

一昨年のロービジョン学会では、阪大の先生の重複障害児への研究があった。
全盲だと思われていた赤ちゃん。暗い所で懐中電灯を照らしてあげて、方向感覚を付け(見えないと言われても、光は見えるかもしれないと、諦めない)歩けるようになった。言葉のしゃべれない子。(知的障害)しゃべれないなら、字が書ければいい。。。(知的障害でしゃべれないのに!)訓練したら、その子、中学になるまでには、作文を書くようになった!(しゃべれないけど)

養護学校にはこんな奇跡がゴマンとある。
奇跡は起こしてこそ価値があるのよっ。
それを起こすのは、専門家の技術だ。
それを提供している特別支援学校がなぜ、こんなにも蔑ろにされるのか。

普通の子だったら、親はちょっとでも、勉強ができるように、かけっこのタイムが良くなるように。。。いろいろ心を砕く。障害を持ってたって、字が読めるようになるか、そうでないか、本当は大問題のはず。本当はハナから、この子は字が書けるようになんてなりっこないって諦めてるんじゃないだろうか?45分間、普通授業で座らせて6年間過ごすことが、本当の「統合」になるのか。親自身、バリアを内包してしまっていないだろうか。


たしかに、盲学校にしても何も問題が無いわけじゃない。
専門家と言っても、すべての人がそうじゃない。定年前の先生のご褒美(特別手当がつくのでその後の年金支給額が上乗せされる)とも言われ、定年前の何年間か赴任させてもらうとも聞く。学校の質、教員のモチベーションにも大きな差がある。
でも、だったら、なぜ、ズバリ、その問題を変えて行こうと思わないんだろう。なぜ、「統合」なんだろう。
特別支援学校 VS 普通学校
なぜ、普通学校へ行くのが「美談」なんだろう。
その発想そのものが、偏見をベースにしてないだろうか?

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2009年7月23日 (木)

ロービジョン学会レポート1:10年!

さて、今回のロービジョン学会。
いろいろ考えさせられることがあった。

それぞれにとても重い、そして、重要な事柄じゃないかなって思えるんだけど。

さて、何から始めよう。


日本ロービジョン学会。
第10回となる。
基調講演には10年間の歴史をたどるものなどもあって、感慨深かった。

ご参加されたマイミクさんたち。
あのね、今回の抄録と、発表者に送られた図書券はすずめがデザイン。
使われた写真はナント学会長さんの作品!すごい。
学生時代は暗室も持ってらして、プロ並みに稼いでたって。

ってのはともかく。。。
さて、本題。

とりあえず、ここでロービジョンの問題ってどういうものか、サラリと偏見で説明すると。(あ、本題じゃなくて、前置きかな)


日本には、視覚障害者手帳を持つ人が、301,000人(20歳以上)。しかし、実はもっといて、100万人だとも言われている。視覚障害と認定されることに意味が無かったり、分からなかったり。。。いろいろあるのだろう。

余談だけど、よく偽診断書で障害者を作っちゃうニュースが流れて、アタマと心の貧しいヒトは、「障害者ってったってインチキがいっぱい」ってしたり顔で言ってたりするが、現実は違う。(そういう犯罪はどんな世界にもある例外)

視覚障害と言っても、全く見えない、光さえ感じない所から、
視野の中央に10円玉の大きさだけ見える。。。などなど、見え方は様々。
そして、それがある日突然始まるものから、ゆっくりと何十年もかけて進行するものまで、いろいろ。その中で、本人はどう、その状態と折り合いをつけていくか。社会とも、家族やいろんなものと。その手助けをするのが、ロービジョンケアだ。

平たく想像してどうだろう。
あなたが明日の朝、起きたら、目が見えなくなっている。

稀なケースじゃない。
1億人の中の100万人が経験してることだ。
手探りで起きると、ぼんやりと見える。だけど、ほとんど何も見えない。自分の手さえも。ベッドから降りることはできるかもしれない。トイレに行くのも?
だけど、服がどこにあるのか分からない....外へは出られる?
家を出て、表の道路が歩ける?駅まで行ける?仕事は?
さて、あなたが、このまま誰とも出会わなければ、あなたの人生は、ほぼ、これで終わりだ。買い物にも行けないんだから、そのうち餓死。電話がかけられれば、友達が来てくれる?家族がごはんを運んでくれる?だけど、あなたは、部屋から出ることもできず、真っ暗な中、誰かから話しかけられなければ、誰とも話すことすらなく、ずっとその後の人生を闇の中で1人、生きていくことになる。生きていきたくなければ、死ぬ事はできるかもしれないけれど。


っていうのは、哀しいというより、ばかばかしい。
だって、多くの人は、「何か」と出会う。そして、闇の中から脱出する。
服を着るどころじゃなく、掃除もするし、天ぷらだって揚げる。駅どころか、海外旅行も行き、もちろん仕事だってやってる。
その差にあるもの。
福祉的なサポートであったり、医療的な行為であったり、訓練や特殊なデバイスであったり。それがロービジョンケアだ。

さらりと言っちゃえば、眼科医が原因となる疾患を診断し、視能訓練士や歩行訓練士が様々な検査やディレクション、サポートをする。そこには福祉関係者の存在も重要だ。
ね。
医療のすんごく、素敵なモデルだと思わない?

っていう事の中には、いろんな技術的、科学的な裏付けが欠かせない。
それを学術のフィールドでまとめてきたのが、ロービジョン学会だ。
10年前、産声をあげて、今、10才。
もちろん、きれいゴトばかりじゃない。
だけど、多くの人を脱出させて来たのは事実だ。

っていう続きはあした。

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2009年7月15日 (水)

移植法:賛成/反対、どちらの世論も作らないで欲しい

臓器移植法

一言で言うと、
分からない。


是か非か
感情的二次元論。
だって、根拠が無い。
人類が100年経って成長してたって、そんなコトに答えが出せてるだろうか?

そもそも「脳死」って何?
そんなのは分かんないのかもしれない。
だけど、少なくとも
この言葉に関して、みんなでコンセンサスを持たなければならない。
それが無い。

無いだけじゃなく、
いろんな、おそらく永遠に平行線を辿るいろんな問題が投げ出されている。とっても情緒的な形そのままに。


ちょい、書いてみる。

賛成的

3歳のXXちゃん。
愛くるしく、ぽっちゃりした顔。誰もが愛さずにはいられない写真。
心臓に疾患があり、彼に人生を与えるなら、渡米しか選択肢が無い。何億円もの費用。
きっと、その影には怪しいビジネスの存在をも許してしまう。

日本人は、他国の命を貰いに、アメリカへ行く。
なぜ?なぜ、ドナーの順番の先頭に、その国の子じゃなく、日本人が入れてもらえるのか?
入れてもらって良いのか?

死すべき運命の子の命、もし生きる、生かすすべがあるとしたら、それはXXちゃんの体内であっても良いのではないだろうか?それによって、家族も救われるかもしれない。

反対的

本当に、子供の脳死の判定ができるのか。何年も生き、成長し、家族に喜びを与え続けた子もいる。

脳死していたら、何もできなかったら、その命には価値が無いのか。


臓器移植に供すべき治療と、脳を守り、命をどうにか繋げようとする治療、違うのではないか?
もし、病院が移植例を作りたいと思ったら、そんな手心を加えたりしないだろうか?私たちの知らない所で。


脳死の状態で生き続けて、
どんなに幸運でも、1週間。
すずめだったら、自分の愛する人との最後の1週間を、
大切にしたい。

という、ここまでが、皆様が書いてること。


さて、すずめは。。。。
実はこの法案には「賛成」
してしまうしかないのだ。


なぜなら。。。分からないから。
最初に書いた通り、
分からない

そして、分からないのに、何か主張したくないヘナチョコすずめは
「賛成」
するしかないのだ。
上の★印で書いた懸念があるものの、
もし、反対したら、賛成の人たちの権利を侵害してしまうことになる。
今の法案なら、本当に額面通りなら、「ノー」と言いたい人はノーと言えるのだから。

だから、ワケ分かって無いすずめは反対できない。


さて、
世の中の、すずめと同じように、ヘナチョコで、
分かんない皆さま。
では、私たち、何を訴えていけば良いんだろー?

---

っていうコトで本題です。


マスコミさんに言いたい。

この問題、
賛成の世論も
反対の世論も
作らないでください。

私たちを絶対にどちらかに流さないでください。
感情的なシーンを混ぜる時は、注意してください。

あの、美人のお母さんの涙だけとか、
あの、ぽっちゃり可愛い笑顔とか
それだけを写した映像を流さないでください。

美人のお母さんを流すんだったら、
その反対の派の、同じ位美人のお母さんも流してください。
同じ秒数だけ。

そして、必ず、記事を書く時は、
まったく同じ重さでお願いします。

人の命と人生を、
法律で規定しようとしている私たち。
その規定には、次善の策としては賛成です。
だから、反対しません。

だけど、間違った料理がされないように、
是非、気をつけて欲しいと望みます。

脳死は人の死、移植法が成立
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=896755&media_id=2

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2009年7月13日 (月)

採用試験 全盲女性を門前払い

視覚障害があったって、温情は不要だと思う。
むしろ、プロフェッショナルには失礼だ。

採用試験 全盲女性を門前払い
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=890717&media_id=2


だけど、
何で門前払いなんだよ。
ってか、今までもこういうの、門前払いにしてきたんだろう。
ココだけの問題じゃなくて、今までもいろんな所で門前払いにしてきたんじゃないだろうか。

このニュース、
みんな怒ってると思うけど、
すずめからも一言。


いろいろ反論があると思うけど。。。
障害者自立支援法
すずめ的には悪い部分ばかりじゃないと思う。
福祉は障害が有る無しにかかわらず、
どんな人でも、自尊心を持って自立するためのサポート(別に働けるようになるばかりが自立ってワケじゃないけどね)
をするべきだと思う。
いろんな反論がある中でも、すずめ的にはそれは正しいと思う。

だけどね。
もし、
問答無用の門前払いだったら、
そりゃ、チャラだよね。
こういう「実態」があったら、自立支援法が全否定されたってしょーが無い。


こういうニュースから見えてくることって、いろいろウラがあるだろう。
本当の所は分からない。
たとえば、この女性がトンデモないヤツだったり?
でも、その可能性は少ないだろう。
だって、この人、私立の幼稚園で働いているのだ。
トンデモな人だったら、やってけてるワケないじゃん。
現実的に、おそらくこういう職場はとっても親の目がウルサイ。それなのにやってけてる。もし、何か事故や大変な事があったら、親が黙っちゃいないはず。
どんな人も、障害を持つ持たないに関わらず、自分がこの職場で、本当にやっていけるのか、やってみる前は分からない。
だから「私にはできます」って言ったって、それがホントなのかどうか、証明なんてできない。
だけど、この人は少なくとも、それが証明できている。少なくとも職歴/経歴の所に、それが書けてるはず。

保育の職場はチームのはず。
腰が悪くて子供を抱いたり、重い荷物を持てないベテラン保母さんだって、誰かがカバーしてやってるじゃん。
この人の場合だってそうだろう。
視覚障害があったって、大昔からたくさんの人が子育てしてるし。その場合は「チーム」じゃなく。


そういうコトを想像すると、この人に充分なスキルがあるのが分かる。
大学を出たばかりで、職歴/経験も何もない子と比べて、どうなんだ!

すずめ的に、
この記事で、視覚障害だからって、下駄を履かせろとかって思わない。
障害者を雇わない自治体/事業主は冷たいって思わない。
子供の命を預かる職場で、そんな温情は不要だ。
むしろ、そういう「配慮」で障害者を雇ってるとしたら、こういう人に失礼だ。

自立支援法に反対する人たち、
すずめはその理屈の一部に賛同できないとこあるけど、
これからは、この事件、論拠にガンガン文句言うといいかもね。
相手が非論理的に問答無用なんだから
こっちも論理的応戦は不要。感情的極論でも何でもオッケー。


ってなレベルの低い世界になる前に、
何とかした方が良いよね。

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2009年7月 6日 (月)

必見、ベネトン広告

ベネトンの広告

表現としての


(本題は下の方。くだらないコト書いてるから読んでくれなくていいんだけど、URLだけクリックしてみてね)


最近のバーゲンの流行の一つに、「下取り」ってある。
要するに。。。何かひとつ持って来ると、
500円とか、1000円とか割引券を渡すっての。
これがウケてるらしく、いろんな所でやってる。
でもさあ、要するに、イメージ戦略ってだけなんだよね。
だって、そうやって回収したものが、セカンドハンドで売れるはず無いじゃん。
単に500円まけますって言っても、あんましインパクトない。
たとえば、Tシャツ1980円で、これ、500円まけますって言ったって。1500円。
イマドキ25%引きなんてだ〜れも見向きしないヨ。
すずめは75%offにならなきゃスルーだからね。
だけど、「下取り」します。なんて言うと、お得な感じしちゃうんだろうね。
まあ、そういうのでダマされるのって、せいぜい今年いっぱいだと思うけどね。


ってのを見て、本当は思い出したことがある。
10年位前、
同じキャンペーンを
たしか、ベネトンがやってたのだ。

クローゼットを空にしよう!

っていうの。あなたの家のクローゼットの洋服、お店にもってきてください。
どこかの国?だったか、届けますっていうの。
で、思い出した。
最近、やらないから、忘れちゃった人、多いかも?
ベネトンの広告ってすごいんだヨ。

って、やっと本題ね。


すずめが一番最初に、記憶してるのはコレだ。1989年

http://www.investis.com/il/images/benetton/2545.jpg

ベネトンは初期のころ、こういった人種問題を扱ったものが多い。
なぜなら、このころ「広告」では宗教と人種問題は御法度だったから。
絶対にあり得ないものだった。(そういう意味では今もそうだ)

http://www.investis.com/il/images/benetton/2560.jpg

これは1991年

タイトルは「Tongue」
子供たちが見せているのは、まさにTongueだが
言葉/言語と解釈すると興味深い。

こういうアプローチは更に続く。


http://www.investis.com/il/images/benetton/2578.jpg

United colors...ofで、ハートは同じだ。
これは1996年のもの。
この頃はもう、表面的にはBlack Peopleっていう存在への隔たりは、上の時代とは変わっている。だから「心」の問題へシフトしているという意味合いだったろう。

ベネトンはこのような訴求を全世界へ同時発信していた。そう、アパルトヘイトの渦中にある南アフリカでも。


これらは「美」が虚像の上に立っている。
広告という存在自体に対するアンチテーゼでもあるわけだが。。。

http://www.investis.com/il/images/benetton/2554.jpg


こういうのを見せられると、
そういう理屈は吹っ飛ぶ。


当時、日経デザインかなにかの記事で読んだと思うけど、
「革命的で無ければ広告じゃない」
っていうことで、どれも、ドギモを抜かれるインパクト。


これはこの時代だけでなく、今でさえ、革命的だ。

http://www.investis.com/il/images/benetton/2602.jpg

これは評判になったから、覚えてる人も多い?
タブー中のタブー。すずめの記憶だと、黒人と白人の組み合わせもあったかな。

一番すごかったのは、コレだよね。

http://www.investis.com/il/images/benetton/2662.jpg

すずめが記憶してるのは、赤ちゃんにこのスタンプが押されてるのだったんだけど、なぜか見当たらない。
HIV Positive
1993年


どの広告も、年代を理解しないと、意味が分からない。

http://www.investis.com/il/images/benetton/2623.jpg


エイズで死の床にある家族。
1992年


http://www.investis.com/il/images/benetton/2548.jpg

血まみれのボスニア兵士のシャツ。1994年

http://www.investis.com/il/images/benetton/2554.jpg

コレ、広告だからね。ファッションブランドの。


http://www.investis.com/il/images/benetton/2575.jpg


電気椅子。。。
こんな、生活感すら感じさせるものだったのか。。。
この写真、何となく、新聞広告の白黒写真で覚えてる。
1992年。

http://www.investis.com/il/images/benetton/2599.jpg

人形を抱く女の子。1992年。
この前の年、1991年に湾岸戦争が始まっている。

http://www.investis.com/il/images/benetton/2566.jpg
骨を持つ兵士...少年だろうか。
大腿骨。誰のだろう。背景にはどういう人生があったんだろう。

http://www.benetton.co.jp/company/ad.html

http://press.benettongroup.com/ben_en/image_gallery/campaigns/?branch_id=1109

他にもいろいろある。


説明はいらないけど。。。

パタパタしてたら、説明してるサイトも見つけた。


http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/benettonad.htm


結局、すずめの記憶の隅にあった、
「クローゼットを空っぽにしよう」キャンペーンについては見つからなかったけど。
久しぶりに思い出した。


広告が、
一つの表現芸術であった時代
その大きなインパクトで、社会にメッセージを投げかけていた。


本当は、こういうの、いっぱいあった。
ちゃんと、新聞や雑誌に「広告」として載って。
プレイボーイのとか、ワーゲンのとか。
ホントはイエローブックスのミュッシャとかもそうかも。
そういえば、ライフ誌も無くなったんだなあ。
誰も求めないんだろうか。
こういうの。

経済主導の今、めっきり見なくなってしまった。

また、戻ってくるだろうか?

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