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2009年7月28日 (火)

ロービジョン学会2:ちょっと尖ってるんで気に障ったらごめんなさい

昨日の続き。
昨日は、そのロービジョンケアについて、褒めちぎったけど。
だけど、褒めちぎられるに値する勉強家の人たちがいっぱいいるのは確か。

そんな中、今日はちょい、反れた本題。

結構、トガってるかもしれないので、
不快だったらごめんなさい。

先ず、もしかしてマイミクさんの何人かはピンと来ちゃうかもしれないけど。。。
ここんとこ、すずめの頭の中でモヤモヤしてた問題がある。その事について。

昨日の日記に書いた、「闇から連れ出してくれる人たち」その中には、特別支援学校(盲学校)の先生たちがいる。学会に来てる人たち。ものすごーっく熱く、勉強家だ。

さて、そのすずめの頭のモヤモヤに話を戻すと。。。

昨今、統合教育が話題だ。
奈良でもあった。階段のために学校へ通えない女の子。学校は山の上にあり、校内は階段もいっぱい。町立のこの学校を何千万もかけてこの子の2年間の為に大改装をする予算は無い。すったもんだの末、先生たちみんなでおぶって移動させたりするということで、通学できることになった。
良い話だ。

。。。でも、すずめ的には疑問を感じざるをえない。なぜ、この子は、どうしても特別支援学校ではなく、地元の学校へ行きたかったのか。でも、まあ、この子の場合は分かる。単純に足だけが悪いだけで、後は全く同じ。物理的に階段が越えられれば、授業にも付いていけるし、友達とも普通にやっていける。
だけど。。。統合教育を美談として報道しすぎではないだろうか?
それは、とりもなおさず、全国にたくさんいる、特別支援学校の先生たちの専門性を否定することではないだろうか?
多くのそういう学校では、重度の障害の場合、一対一で指導してくれる。学校内も施設的に、スロープやその他、様々な配慮がされている。スロープは取り付ければコト足りる。
学校の多くは災害拠点にもなってるんだし、そういうのそのチャンスに付けるって、良いことかもしれない。だけど、人的支援に関しては、どうしても限界がある。
普通学校の先生は40人の子を1人で見て、剰え、不登校やら学級崩壊やらイロイロあるのに、それ以上に、そういう特殊なケアを学べるんだろうか?盲学校の教員さんたちの知識、医学的なものだけじゃなく、福祉の情報、子供たちの将来の進路...ちょっとやそっとで仕入れられるものじゃない。そのスキルも半端じゃないのだ。

さて、すずめがモヤモヤ考えてたケースは重度の知的障害と肢体不自由の重複障害の子だ。姉弟二人。二人とも発語は無い。
両親はその子育てやその他について、何冊か本も書かれてる。ワカランチンじゃない。論理的だし、良い人たちだ。

彼等は二人の子供たちを地元の学校に通わせている。
登下校から授業中まで、親か、ヘルパーがずっと付き添わなければならない。多大なお金と犠牲が要求される。

子供たちは小学校中学年と中学生の女の子
二人とも言葉によるコミュニケーションはできない。(下の子は言う事を少しは分かっているような気がする程度。上の子はあまり分かっていない)
住まいは地方の都市で特別支援学校も遠く無い
1人だけだったら、学校の事情も分からないが、二人目だと、いろんな状況を知った上での決断ができる。

小学校の頃、地元の学童保育に入っていた。その時は、とても良い経験だった。普通の子と普通に交わって。。。それは普通の子にも良い刺激になるはず。
もし、特別支援学校に行ったら、地元の友達ができない。もちろん、いじめなどの問題もあるかもしれないが、養護学校では、いじめられるチャンスさえ無い。


という理由から、教育委員会にかけあって、下の子を普通学級に入れることに成功した。ヘルパーの費用の何割かを補助することを、市も了承した。

この件、どうなんだろう。
本当に、これが良いことなのだろうか?
この子は、おそらく、明らかに学校の授業は理解できていないだろう。だけど、45分の授業の間、ずっとそばにヘルパーが付き添って、座らされてることになる。休憩の時間は他の子が遊んでくれたりするが...本当に友人関係といえる、対等の関係を結べるのか。分からない授業の間、ずっと付き添いがそばで見張ってて、座らされてるってのは、普通の小学生だったら(大学生であっても)苦行だ。すずめだったら爆睡だけどね。


実はすずめ的には、ちょい、怒りも感じている。
統合っていう美名のもと、子供の能力に見切りを付けてるんじゃないか。
この子、普通の小学校の勉強のスピードじゃ、字が書けるようにはならないだろう。6年生で鶴亀算ができるようにはならないだろう。
それよりも、6年かけて、一対一で先生がついて、ひらがなを覚えさせてくれる学校の方が良いのではないだろうか?少しの言葉でも、話せるようになった方が良いんじゃないだろうか?もしかして、バリアフリーと言いながら、親自身が、この子が文字を覚える事、話せるようになる事をを諦めてる?

一昨年のロービジョン学会では、阪大の先生の重複障害児への研究があった。
全盲だと思われていた赤ちゃん。暗い所で懐中電灯を照らしてあげて、方向感覚を付け(見えないと言われても、光は見えるかもしれないと、諦めない)歩けるようになった。言葉のしゃべれない子。(知的障害)しゃべれないなら、字が書ければいい。。。(知的障害でしゃべれないのに!)訓練したら、その子、中学になるまでには、作文を書くようになった!(しゃべれないけど)

養護学校にはこんな奇跡がゴマンとある。
奇跡は起こしてこそ価値があるのよっ。
それを起こすのは、専門家の技術だ。
それを提供している特別支援学校がなぜ、こんなにも蔑ろにされるのか。

普通の子だったら、親はちょっとでも、勉強ができるように、かけっこのタイムが良くなるように。。。いろいろ心を砕く。障害を持ってたって、字が読めるようになるか、そうでないか、本当は大問題のはず。本当はハナから、この子は字が書けるようになんてなりっこないって諦めてるんじゃないだろうか?45分間、普通授業で座らせて6年間過ごすことが、本当の「統合」になるのか。親自身、バリアを内包してしまっていないだろうか。


たしかに、盲学校にしても何も問題が無いわけじゃない。
専門家と言っても、すべての人がそうじゃない。定年前の先生のご褒美(特別手当がつくのでその後の年金支給額が上乗せされる)とも言われ、定年前の何年間か赴任させてもらうとも聞く。学校の質、教員のモチベーションにも大きな差がある。
でも、だったら、なぜ、ズバリ、その問題を変えて行こうと思わないんだろう。なぜ、「統合」なんだろう。
特別支援学校 VS 普通学校
なぜ、普通学校へ行くのが「美談」なんだろう。
その発想そのものが、偏見をベースにしてないだろうか?

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