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2009年6月13日 (土)

マスコミ批判の批判2

マスメディアの批判の批判の続き

3つ前の日記の続きやっと。

昔は新聞に載ったらタイヘンな自体だった。
今も、新聞の中の情報量はさして変わっていない。文字が減った分、文章量としてはものすごーっく少なくなっている。
ユニバーサルデザイン的には良いかもしれない。
だけど、読者としては何か不満足が残る。
昔、字が小さかったころは、一つひとつの文章から、narrativeなものを感じた。
だけど、今の記事には、そんなものを含ませる物理的余裕が無い。

narrative
物語性だろうか
わざわざアファベットにしたのは、
evidence
と対語にしたかったから。
たとえば、Evidece based メディシン に対して、
NBMもあっても良いかも?
って。
報道にもそれがあっても良いかもしれない。
ただし、もちろん、それにはものすごーい危険が潜んでいる。
暴走したら、止まらない。そして、その暴走とは、ズバリ、「感情/情緒」が核になり、尾ひれがゴージャスに付いてしまう性格のものだ。

だけど、EとNのバランスを取っていることができたのが、新聞の良いところだなと思っていた。

だがしかし。。。

ここ何年か、
普通の人はみんな、

「朝日の報道」というと、新聞の紙面を指さない。
テレビ朝日のニュースと、ニュースステーション他、いろんな報道番組、
果ては、お昼のワイドショー、ニュースネタの娯楽番組、お笑いでしゃべる芸人さんの言動まで含む。
それに、ネットという尾ひれまでつく。
たとえば、朝日のニュースをタイトルにした2チャンネルのスレッドの下まで全部。

前の日記にも書いたけど、
時系列にそって何度も報道されるパラパラ漫画の一枚ずつの報道だけじゃなく、
ネット上で何度も何度も星の数ほど引用され、その一つ一つが全部、「朝日の報道」であり、
1万回引用されれば、私たちは何となく、朝日は一万回も報道してるかのような錯覚を覚える。

「朝日」という限定が付かなかったら、どんな、膨大なものになるか。

これを称して我々は

「マスコミの煽り」

と呼ぶ。もちろん、そのモトネタになるのが「煽り」だったりする部分もあるんだけど。


さて、この「煽り」って、どういう形をしているのだろうか?

たとえば、
「モンスターによる医療崩壊」
たしかにこういう記事があり、これは正しい部分もあるだろう。
だけど、上記のような増幅が行われると、すべての病院はモンスターでごったがえし、
クレームを言おうモノなら、全部モンスター。。。のような勘違いを生み始める。

ここから私たちはミスリードされる。

以下余談---

モンスターによって、医療が崩壊されたのだったら、国はお金出さなくても良いよ。
だって、患者がお行儀よくすれば解決するんだから。
そんなのにお金はいらない。「お行儀よくしましょう」ってポスターで足りる。

余談ここまで----


本来、エビデンスがベースになるべき所が、なぜか、誰かの鬱憤をnarrativeに語る場になってしまってくる。
そして、このアクション活劇風勧善懲悪お涙ちょうだい物語は、バランスを取ることなく、世間を席巻する。
声の大きい人が言う物語だけが、日本を支配。
これが、煽りの結果。

そして、私たちはこの「結果」の原因は
マスゴミに有りと、
真ん中をすっ飛ばして、最初と最後だけで理解しちゃう。


でもね、これって、本当に「報道」のせい?
確かに、発端は報道かもしれない。
そして、そこをもっと控えめにすることによって、増幅効果は半分に、もしくはもっと減らせたのかもしれない。
でも、それって、良いんだろうか?
ペンの正義の力、そんな事に気を使って弱めるべき??

年金問題だって、ペンの力が無けりゃ、そのまんまだったんだよね。
何十年もそのまんまだったように。

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