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2009年5月 1日 (金)

長崎への旅 被爆マリア 2

4月なのに熱い長崎。
強い日差しの中、礼拝堂は別世界だった。
冷涼な静寂。


被爆マリア小聖堂。

もともとこの天主堂のあった場所は、この辺りの有力者の屋敷の
あった場所だった。
江戸時代。
キリシタン迫害の拠点でもあった場所。
今でも教会の敷地の隅に、「拷問石」が残る。
屋敷には一本の柿の木があり、ここで何人もの信者が殉教していった。

年月を経て、
天主堂の前には柿の木があった。
原爆の熱線を浴び、黒こげになりながらも残った木から、信者たち
の手で十字架が作られた。
その一部はマリアに捧げられ、祭壇のモチーフにも柿の木が描かれ
ている。

そんなお話をお聞きしながら、マリアと対面した。


被爆マリア小聖堂

中には3人の信者さんがいた。
ここは、祈りの場。
一人は年配の男性、そして女性。
もう一人は、高校生にも見える男の子だった。

祭壇はオレンジ色の光を浴びて、中央にあり、
そして、その高みにマリアがいた。


Nagama1_7


宗教心の無いすずめにも、このマリアの存在は奇跡のように思える。
これは、「木像」なのだ。小さな木を組み合わせ、寄せ木作りになっている。写真のあごのところ、木が組み合わさっているラインだろう。
側面がスパッと切れているのも、他のパーツは失われたということではないだろうか。顔の煤を思うと、おそらく、像の一部は燃えたのではないだろうか。もし、この像が一本の木から作られていたら、全身が炎に包まれていただろう。しかし、倒れた時に頭部だけが外れたのではと思う。そのことによって、大きな胴体、ドレスなどの部分が燃えてしまっても、少女の顔だけは助かった。
不思議な幸運であるのかもしれない。もしかして、論理的な必然でもあるのかも。
マリアが美しい顔を持っていたからこそ、何かを探して瓦礫の中を歩く野口神父の視線を捕らえることができた。
そして、人の顔を持つからこそ、守られ、大切に保管されてきた。
宗教は関係なく、人が人の形を持つ命に対する想い。それがマリアの奇跡の論拠だろう。
それだけに、原爆が、人の命の上に落とされたことの、重さがある。

(上記の写真は、資料館にあるレプリカ)

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